晴渡った空の下を、一台の幌馬車が北に向かって走っていた。
ジプシー達が使うような、疲れきった幌を付けていたが、それをひくのは、毛並みの良い、しかも二頭の馬だった。
それなのに、馬車の背後には、親子であろうか、二頭の痩せ細った貧相な馬も繋いであった。
馭者台には、黒髪の大柄な男と、陽の光でキラキラと、輝くブランドのやや華奢な男が座っていた。
兎に角、妙な一行だった。
しかし、取り立てて急ぐ様子もなく、のんびりと街道を走り、街道の道筋が荒れていると、脇道へと逸れていく。あてのない旅のように見えた。
そんな訳で、街道を行き交う者も、畑を耕す者も、ましてや夜盗も、気にはするものの、目の端へと追いやってしまっていた。
そんなのんびり走っている、幌馬車の馭者台では、黒髪の男が、隣に座る、実は彼の妻、オスカルに先ほどからずっと、頼み込んでいた。昨夜は眠らなかっただろう。少し、後ろへ行って、横になってこい。と、妻の体を心配して、言い続けていた。
*******************
昨夜の、ソワソン家の食堂は、先日オスカルとアンドレが、どこからか分からないが、・・・分からないから、あの世からという事にした。・・・戻って来たお祝いの時の様には、人気が無かった。
オスカルとアンドレは、今日アンドレが、手に入れてきたフランス北部のロードマップを見ながら、食事をしていた。相変わらず、前にはアランが座っている。
この街道が、使えれば容易にアラスに到着できるのだがな~!アンドレが、パリから真っ直ぐにアラスへと延びる街道を、形の良い、しかし男らしい指でなぞった。
それを見ながら、オスカルが、今日、外環道を通ってここまで戻って来たが、う~~~ん、快適とは言えなかったな。迂回するほどではないが、忍者ハットリくんなら何の事もないが、馬と馬車が通るには、チト厳しいようだ。と言った。
そうか・・・つまり、行ってみなければ、分からないって事だな?まあ、向こうの様子が、この2-3日で変化するってわけでもないし、早く行きたいのは山々だが、焦らず、安全に行こう!荷物もある事だしな!?アンドレが、余裕を持って言った。
ああ、子ども達には早く会いたいが・・・父上も母上もいる。それに、パパアンドレとシモーヌもいるしな。
兎に角、行ってみなければ分からない、急ぐ旅でもないし。こちらの状況を確かめるのにもいいチャンスだ。のんびり行こう。
・・・と、この話を終えると、アンドレが、そういえば、ジェルメーヌはどうしたんだ?
食べに降りてこないのか?と、今、目の前のアランに気づいた・・・と、言う風に聞いた。
が、聞かれてもいないオスカルが、嫌~~~な顔をしたのをアランは見逃さなかった。
しかし、それには構わず、
「ふん!宿代を払わない奴には、食事は出せねえ!
それに・・・貴族のお嬢さまには、ここの食事は合わねぇそうだ。
ほっとけ!」アランは、吐き捨てるように言った。
オスカルは、此処はまた、恋愛に百戦錬磨の自分の出番だとばかりに、
「アラン・・・本当にいいのか?
彼女は、・・・今は、気が立っているから、強がりを言っているが、本心じゃないかもしれないぞ?
それに・・・おまえの方はどうなんだ?少しは、気があって、一緒に暮らしていたのだろう?
以前、アンドレから聞いた、一生分の・・・」
と、オスカルが言おうとしたところに、珍しくアンドレが遮って、
「と・・・兎に角、食事なしはかわいそうだ。おれが、呼んで・・・あ、オスカル、2人で呼びに行こうな!な!」と、あたふたと言いながら、立ち上がった。
すると、オスカルが、アランとの会話を忘れたように、今度は慌てて、いや、わたしが行って来よう。と、言い出した。アランとオスカルを2人にしておいては、不味いと思っていたアンドレは、ホッとしてオスカルを見送る事にした。
アランは、これは何か面白い事になりそうだぞ!と、オスカルを見送った。
「すまないな・・・」
「おまえのせいじゃあない・・・」
同じ女性を愛している二人のオトコは、それきり黙って酒を酌み交わしていた。
しばらくすると、2階からオスカルが降りてきたが、両手の手のひらを上に向け、肩をすくめてみせた。
「ダメだったか?」アンドレが、聞いた。
「ああ、それに・・・ベネツィア行きも、いやだと言っている。
生きていく術も知らないで、これからどうしようというのか、全く分からない。
アラスに行っても、楽な暮らしは出来ない。と言ったが、
行ってみなければ分からない・・・と言うだけだ。
はっきり言って、お手上げだ」
オスカルは、首を振り振り、しかし、何かを考えながら言った。
「だから~、アレは、根っからの腐った、貴族なんだ。
革命前は、体制がどうの・・・国民がどうの・・・って言っていたが、
いざ、革命が起きたら、居場所がなくなったんだ!
誰かに、帰属して、周りの者に世話を焼かれて、言いたい事を言うだけで、
自分から生産活動をしようなんて、これっぽっちも考えていねえ!
アラスになんか連れて行ったって、碌な事にならないぜ!」
ここでまた、オスカルの、恋愛の達人という思い込みが飛び出してきた。
「では、やはり、アラン、おまえが彼女を助けて、彼女が独り立ちできるよう、面倒をみたらどうだ?これまでは、上手くやって来たんだろう?」
そこで、オスカルは一気に言葉を続けた。
「もし、おまえが愛しているという女性が・・・」
アンドレが、慌てて、今度は、隣に座るオスカルの足を思いっきり踏んだ。
オスカルが、ギロリとアンドレを見たが、アンドレはお構いなしに、
「オスカル!明日、おれたちは、早いんだ。そろそろ寝よう!」
と、言って先を続けさせずに、オスカルの手を取ると、階段の方へほとんど、引きずるように連れて行った。そして、アンドレはアランの方に・・・済まないな、とウインクを送った。
「なんなんだ!アンドレ?わたしは、アランとジェルメーヌの為に、・・・」
また、オスカルは、アンドレに言葉を遮られてしまった。
「シッ!もう寝ている。しかも、ど真ん中に・・・」
アンドレも、絶句した。
マジで、ジェルメーヌは片方のベッドのど真ん中で、ぐっすりと眠っているように見えた。
「ここのベッドは狭い。
おまえとジェルメーヌで、
一緒に寝てもらおうと思っていたが、
無理そうだな・・・」
「うん、だから・・・」
また、オスカルの言葉が遮られた。
「おれは、床に寝るから、おまえはこっちのベッドを使えばいい」
アンドレは、断言した。
すると、オスカルが、頬を膨らませた。
「い・や・だ!」
え?どういう意味だ?アンドレが不思議そうに聞いてきた。
「わたしたちは、夫婦だ。一緒のベッドに寝るのが、正しい。
よって、おまえとわたしは、狭いベッドにくっ付いて眠るのだ!
以上!」
オスカルは、アンドレの意見など聞きもしないで、ブーたれたまま、夜着に着替えていた。
そして、
「試してみないと、分からないじゃないか!
おまえも、夜着に着替えろ!」と、荷物の中から、アンドレの夜着を出すと投げて渡した。
オスカルに、ここまでされては、諾!とするしかないアンドレだった。
やれやれとアンドレは、昔からの習性でオスカルには、さからえず渋々夜着に着替えた。
しかし、しかし、
アンドレは、2人で、ベッドから落ちないように、身を寄せ合って眠るのだと、心底思っていた。
次は、ベッドインである。
また、やれやれとアンドレは、
「2人が並んで、横にはなれない。
おれは、横を向いて寝るから、おまえは、空いたスペースに入ってみろ。
・・・・・・アンドレ・・・狭い・・・
・・・・・・だから、言っただろう?おれは、床に寝る!
・・・・・・それだけは、ダメだ!向かい合って、抱き合ってみよう・・・
・・・ゴソゴソゴソ・・・
・・・・・・オスカル、朝までこのままで居るのか?かなり辛いぞ!
オスカルも、尤もだと思い、しばし考えた。
そして、何を思ったか・・・
ベッドから降りた。
そして・・・
・・・・・・アンドレ!ど真ん中に、仰向けに寝てくれ!
・・・・・・はあ?それじゃあ、おまえの入る余地がないじゃないか?
・・・・・・いいから、やってみろ!
お嬢さまの、指図には逆らえないアンドレは、またまた、やれやれと仰向けになってみた。
両脇は、腕を置いたら、ほんの少ししか余裕がなかった。
仰向けになったアンドレを、ベッドわきからオスカルは、仁王立ちで眺めている。
そして、ニヤリとすると、毛布を持ち上げて、ベッドに入って来た。
アンドレは、ビックラポン!した。オイオイオイオイ・・・と言おうとしたら。
オスカルが、
・・・・・・人間ベッド、アンドレ君だ。・・・
と言って、アンドレの上にうつ伏せに寝た。
しばらく、寝心地の良い場所を探ると、
落ち着いた様子で、此処が良い!
フランスに戻って来て初めて、おまえと一つベッドで朝まで寝られるのだ。
うん、上等だ!
おやすみなさい。と言って、オスカルは、直ぐに寝息を立てたように思えた。アンドレは、あれだけ、ドタバタとした後に、よく眠れるものだと、感心するばかりだった。が、愛する妻の重みを感じて眠るのも、良い事だと自分も、羊を数え始めた。
アンドレが、9,999匹目の羊を数え終えようとした時。
アンドレの夜着の襟元が開けられ、オスカルの唇を感じた。
ギョッとした。
「おい!何をしているんだ?」
「いいじゃないか、夫婦なんだもん!」
「夫婦だけど、此処にはもう1人いるんだぞ!」
「ふふふふ…」
アンドレの胸に唇を、這わせ終わると、また、眠った様だった。
アンドレは、ホッとした。
焦ったぜ!全くこのお嬢さまは、とんでもない事をしでかす。
ジャポンとか、に行って、人格が変わったか?
そうには、見えないが・・・
まあいいか、もう一度、羊を数えよう。
アンドレは、頭の中に、長閑な丘のある一面の緑地を思い浮かべ、
その中に、柵を超える、羊を数え始めた。
が、しかし、今度は、9,995匹目だった。
急にオスカルが、匍匐前進してきて、美しい顔が、目の前にあった。
そして、口づけをしてきた。
「おい!何をしているんだ?」
「いいじゃないか、夫婦なんだもん!」
「夫婦だけど、此処にはもう1人いるんだぞ!」
「ふふふふ…」
こうして、アンドレが、穏やかに羊の数を数えようとすると、邪魔が入った。
その度に、
「おい!何をしているんだ?」
「いいじゃないか、夫婦なんだもん!」
「夫婦だけど、此処にはもう1人いるんだぞ!」
「ふふふふ…」
「おい!何をしているんだ?」
「いいじゃないか、夫婦なんだもん!」
「夫婦だけど、此処にはもう1人いるんだぞ!」
「ふふふふ…」
「おい!何をしているんだ?」
「いいじゃないか、夫婦なんだもん!」
「夫婦だけど、此処にはもう1人いるんだぞ!」
「ふふふふ…」
以下略・・・そして、これが、夜明けの早いこの時期の朝まで続いた。
*******************
「だから~、眠って来いって!」
「大丈夫だ!一晩位徹夜したって、わたしを誰だと思っている?!」
昨夜から続く、何度目かの、『やれやれ』を連発して、アンドレは、
「オスカルさまだろう!」
と、言いながらも、オスカルの体の心配をして、何とか眠らせようとした。
「オスカル・・・おれも眠いのだ。交代で、休もう!」
「分かった。でも、馭者台には、2人必要だ。どうするのだ?」
「おまえが、眠っている間、ジェルメーヌに座ってもらう、それでどうだ?」
これなら文句はあるまい、とアンドレは、ホッとしていった。
すると、
「イヤだ!おまえが、ジェルメーヌと二人きりになるのも嫌だし、
荷台で、わたしがジェルメーヌとふたりきりになるのも、お断りだ!」
「おまえ、昨日からおかしいぞ・・・彼女と何があった?
以前は、あんなに仲良かったのに・・・」
アンドレは、決して人を心底から嫌う事のない、妻の横顔を見つめた。
「ああ、一年前まではな・・・
お互い、変わったんだ!」
オスカルの言葉に、アンドレはジャポンで、何かあったのだろうか・・・と、全く違った事を考えていた。
「じゃあ、おれに寄りかかって、眠れ。
おれは、大丈夫だ!」
すると、意外にもオスカルは素直に、アンドレに寄りかかってウトウトしだした。
こうして、馬車は、北を目指して、進んで行った。
*******************
幌の付いた荷台の中には、かなり、不機嫌そうな女が膝を抱えて座っていた。
彼女・・・ジェルメーヌは、憤慨していた。
アランのニワトリ小屋から脱出したと思ったのに・・・
なんでまた、ニワトリに囲まれなくちゃならないの。
確かに、彼女の周りには、10羽のめんどりがいて、コケッ!コケッ!コケッ!っと騒がしく鳴きながら走り回っていた。確か、アラスに着くまでの、三人の朝食用の卵を調達する為、だと言っていたが、なんで10羽もいるのか、彼女には理解できなかった。
実は、このめんどり、3人の朝食用に3羽だが、アラスで食料に困っていたらと、それぞれの両親に一羽ずつ、そして、子ども達に1羽ずつ。合計9羽なのだが、キリが良いという事で10羽、アランから取り返してきたのである。
(オスカルは、一体ジャポンから、何羽のニワトリを持って来たのだろうか?)
その他に馬車には、衣装ケースと見られる大きな箱、ドッサリと山になった馬の餌、野宿用の毛布が何枚か、・・・と、彼女のスーツケース。それだけだった。
つまり、彼女が座っているのは、馬車の床、すなわち、ニワトリと同じレベルだった。
ニワトリは、かまわず彼女のむき出しの腕を突いてくる。
むき出しでもない、背中も突いてくる。
アラスに行けば、何とかなる。と、思って、アンドレ夫妻に同行して、馬車の旅人となったが、ジェルメーヌは、不安になってきた。マジで、顔見知りのいない土地である。
見ず知らずでも、公爵家の血筋と言えば、1年前までは、それ相当のもてなしを受けた。だが、今では、貴族というだけで迫害、もしくは、殺される時代だ。
しかし、彼女には、生きなければならなかった。
その辺でのたれ死ぬこと程、恐ろしいものはなかった。
実際パリで、迫害された貴族。殺され晒し者になっている貴族を見た。それで、貴族であるが平民並みの暮らしをしていたアランが、自分を見つめているのに気づき、彼の下宿に潜り込んだ。
が、ソワソン家の暮らしは、想像とはかなりかけ離れたものだった。
下宿屋とは、名ばかり。寝床は、あるが、食料がない。
偶然、アランの母が、市場でほとんど売り物にならない野菜、肉を譲って貰ってくるくらいだった。
他の下宿人達は、それでも不平も不満も言わずに、すきっ腹を抱えて黙っている。
ジェルメーヌが、不思議に思っていると、彼等は皆、国民衛兵隊に属していて、日勤では、昼食を、夜勤になると、夕食と朝食を食べる事ができていた。
つまり、彼等は一日一食は、口にしていたのである。
そして何より、皆、出された食事を少しずつ、持ち帰り、世話をしてくれるアランの母親の為に渡していた。
そんな訳で、ジェルメーヌには、大して食料が回って来なかったのである。
やはり、自分は伯父のところに行くべきなのだろか?
しかし、いまさら、オスカルに頼むのも癪に障った。
ふと、目の前の衣装ケースに、目が行った。
そっと近寄って、馭者台にいる2人に気づかれないように開けてみた。
子ども用の、洋服、オモチャ、本が、いっぱい入っていた。
確か、昨日アンドレが、パリに必要な物を買いに行った。と、聞いていた。
しかし、彼女が歩いていたパリで、この様な新品で高級とは言えないが、それなりの物を見た事がなかった。
もしかして・・・と、考えた。
アンドレは、思っていた以上に、生活力があるのではないだろうか。
しぶといのではないだろうか?
そうだ、いつ来るとも知れないオスカルを待って、あの、ヴェルサイユの下町でずっと独りで待っていたのだ。
そして今、あのオスカルと、2人の子どもを育てて、養っていこうと考えているらしい。
それに、アンドレは、オスカルに決してひもじい思いをさせないだろう。
そして、子ども達には、それなりの教育を受けさせるつもりだろう。
アンドレじゃダメだろうか?
アンドレと、共に生活するのが、相応しいのではないだろうか?
アンドレは、平民だけれどずっと貴族のお屋敷で、オスカルと一緒に育ったのよね!
だから、品もいいし、イイモノ・・・高級品も、高級な食べ物も知っているわ。
その上、使用人として、お屋敷の仕事もこなしてきたから、家事全般に長けている!
これ以上、この時代に望めるオトコがいるかしら、ジェルメーヌ?
彼女は、自分に問いかけた。
いないわよねぇ!決めたわ!
オスカル?・・・え!もしかして、昨夜の様子。
彼女の宣戦布告だったのかしら?
そうでなければ、彼女があんな事するわけないわ。
やるじゃあないの。
でも、貴女には実家があるわ。
私には、何もないのよ!
それに、アランと一緒になるって、手もあるわよ。
アランとベッドにいた時、一度だけ『オスカル』って言ったのを覚えているわ。
ふ〜、私って、よくよく、オスカルの代わりになるのね。
どこがいいのかしら?男として育てられて、軍人で・・・ホント、見た目も男じゃないの。
ふふふ!アンドレ・・・昔、付き合った時は、何とも思わなかったけど、知り合っておいて良かったわ。
あとは、お邪魔虫ね!アンドレしか知らない、お嬢ちゃま!
ちょろいわ!
子供たちひっくるめて、ジャルジェ家にお戻りになればいいのよ!
見ていなさい!ジェルメールさまの、手練手管を・・・
ほほほほほ・・・。
2人の女の想いを乗せて、馬車は軽快・・・たまにぬかるみに入ったり、裏街道を入ったりしたが、とにかく走っていた。
そして、男は全く何にも気づかずに、のんきに、未来予想図を描いていた。
つづく
ジプシー達が使うような、疲れきった幌を付けていたが、それをひくのは、毛並みの良い、しかも二頭の馬だった。
それなのに、馬車の背後には、親子であろうか、二頭の痩せ細った貧相な馬も繋いであった。
馭者台には、黒髪の大柄な男と、陽の光でキラキラと、輝くブランドのやや華奢な男が座っていた。
兎に角、妙な一行だった。
しかし、取り立てて急ぐ様子もなく、のんびりと街道を走り、街道の道筋が荒れていると、脇道へと逸れていく。あてのない旅のように見えた。
そんな訳で、街道を行き交う者も、畑を耕す者も、ましてや夜盗も、気にはするものの、目の端へと追いやってしまっていた。
そんなのんびり走っている、幌馬車の馭者台では、黒髪の男が、隣に座る、実は彼の妻、オスカルに先ほどからずっと、頼み込んでいた。昨夜は眠らなかっただろう。少し、後ろへ行って、横になってこい。と、妻の体を心配して、言い続けていた。
*******************
昨夜の、ソワソン家の食堂は、先日オスカルとアンドレが、どこからか分からないが、・・・分からないから、あの世からという事にした。・・・戻って来たお祝いの時の様には、人気が無かった。
オスカルとアンドレは、今日アンドレが、手に入れてきたフランス北部のロードマップを見ながら、食事をしていた。相変わらず、前にはアランが座っている。
この街道が、使えれば容易にアラスに到着できるのだがな~!アンドレが、パリから真っ直ぐにアラスへと延びる街道を、形の良い、しかし男らしい指でなぞった。
それを見ながら、オスカルが、今日、外環道を通ってここまで戻って来たが、う~~~ん、快適とは言えなかったな。迂回するほどではないが、忍者ハットリくんなら何の事もないが、馬と馬車が通るには、チト厳しいようだ。と言った。
そうか・・・つまり、行ってみなければ、分からないって事だな?まあ、向こうの様子が、この2-3日で変化するってわけでもないし、早く行きたいのは山々だが、焦らず、安全に行こう!荷物もある事だしな!?アンドレが、余裕を持って言った。
ああ、子ども達には早く会いたいが・・・父上も母上もいる。それに、パパアンドレとシモーヌもいるしな。
兎に角、行ってみなければ分からない、急ぐ旅でもないし。こちらの状況を確かめるのにもいいチャンスだ。のんびり行こう。
・・・と、この話を終えると、アンドレが、そういえば、ジェルメーヌはどうしたんだ?
食べに降りてこないのか?と、今、目の前のアランに気づいた・・・と、言う風に聞いた。
が、聞かれてもいないオスカルが、嫌~~~な顔をしたのをアランは見逃さなかった。
しかし、それには構わず、
「ふん!宿代を払わない奴には、食事は出せねえ!
それに・・・貴族のお嬢さまには、ここの食事は合わねぇそうだ。
ほっとけ!」アランは、吐き捨てるように言った。
オスカルは、此処はまた、恋愛に百戦錬磨の自分の出番だとばかりに、
「アラン・・・本当にいいのか?
彼女は、・・・今は、気が立っているから、強がりを言っているが、本心じゃないかもしれないぞ?
それに・・・おまえの方はどうなんだ?少しは、気があって、一緒に暮らしていたのだろう?
以前、アンドレから聞いた、一生分の・・・」
と、オスカルが言おうとしたところに、珍しくアンドレが遮って、
「と・・・兎に角、食事なしはかわいそうだ。おれが、呼んで・・・あ、オスカル、2人で呼びに行こうな!な!」と、あたふたと言いながら、立ち上がった。
すると、オスカルが、アランとの会話を忘れたように、今度は慌てて、いや、わたしが行って来よう。と、言い出した。アランとオスカルを2人にしておいては、不味いと思っていたアンドレは、ホッとしてオスカルを見送る事にした。
アランは、これは何か面白い事になりそうだぞ!と、オスカルを見送った。
「すまないな・・・」
「おまえのせいじゃあない・・・」
同じ女性を愛している二人のオトコは、それきり黙って酒を酌み交わしていた。
しばらくすると、2階からオスカルが降りてきたが、両手の手のひらを上に向け、肩をすくめてみせた。
「ダメだったか?」アンドレが、聞いた。
「ああ、それに・・・ベネツィア行きも、いやだと言っている。
生きていく術も知らないで、これからどうしようというのか、全く分からない。
アラスに行っても、楽な暮らしは出来ない。と言ったが、
行ってみなければ分からない・・・と言うだけだ。
はっきり言って、お手上げだ」
オスカルは、首を振り振り、しかし、何かを考えながら言った。
「だから~、アレは、根っからの腐った、貴族なんだ。
革命前は、体制がどうの・・・国民がどうの・・・って言っていたが、
いざ、革命が起きたら、居場所がなくなったんだ!
誰かに、帰属して、周りの者に世話を焼かれて、言いたい事を言うだけで、
自分から生産活動をしようなんて、これっぽっちも考えていねえ!
アラスになんか連れて行ったって、碌な事にならないぜ!」
ここでまた、オスカルの、恋愛の達人という思い込みが飛び出してきた。
「では、やはり、アラン、おまえが彼女を助けて、彼女が独り立ちできるよう、面倒をみたらどうだ?これまでは、上手くやって来たんだろう?」
そこで、オスカルは一気に言葉を続けた。
「もし、おまえが愛しているという女性が・・・」
アンドレが、慌てて、今度は、隣に座るオスカルの足を思いっきり踏んだ。
オスカルが、ギロリとアンドレを見たが、アンドレはお構いなしに、
「オスカル!明日、おれたちは、早いんだ。そろそろ寝よう!」
と、言って先を続けさせずに、オスカルの手を取ると、階段の方へほとんど、引きずるように連れて行った。そして、アンドレはアランの方に・・・済まないな、とウインクを送った。
「なんなんだ!アンドレ?わたしは、アランとジェルメーヌの為に、・・・」
また、オスカルは、アンドレに言葉を遮られてしまった。
「シッ!もう寝ている。しかも、ど真ん中に・・・」
アンドレも、絶句した。
マジで、ジェルメーヌは片方のベッドのど真ん中で、ぐっすりと眠っているように見えた。
「ここのベッドは狭い。
おまえとジェルメーヌで、
一緒に寝てもらおうと思っていたが、
無理そうだな・・・」
「うん、だから・・・」
また、オスカルの言葉が遮られた。
「おれは、床に寝るから、おまえはこっちのベッドを使えばいい」
アンドレは、断言した。
すると、オスカルが、頬を膨らませた。
「い・や・だ!」
え?どういう意味だ?アンドレが不思議そうに聞いてきた。
「わたしたちは、夫婦だ。一緒のベッドに寝るのが、正しい。
よって、おまえとわたしは、狭いベッドにくっ付いて眠るのだ!
以上!」
オスカルは、アンドレの意見など聞きもしないで、ブーたれたまま、夜着に着替えていた。
そして、
「試してみないと、分からないじゃないか!
おまえも、夜着に着替えろ!」と、荷物の中から、アンドレの夜着を出すと投げて渡した。
オスカルに、ここまでされては、諾!とするしかないアンドレだった。
やれやれとアンドレは、昔からの習性でオスカルには、さからえず渋々夜着に着替えた。
しかし、しかし、
アンドレは、2人で、ベッドから落ちないように、身を寄せ合って眠るのだと、心底思っていた。
次は、ベッドインである。
また、やれやれとアンドレは、
「2人が並んで、横にはなれない。
おれは、横を向いて寝るから、おまえは、空いたスペースに入ってみろ。
・・・・・・アンドレ・・・狭い・・・
・・・・・・だから、言っただろう?おれは、床に寝る!
・・・・・・それだけは、ダメだ!向かい合って、抱き合ってみよう・・・
・・・ゴソゴソゴソ・・・
・・・・・・オスカル、朝までこのままで居るのか?かなり辛いぞ!
オスカルも、尤もだと思い、しばし考えた。
そして、何を思ったか・・・
ベッドから降りた。
そして・・・
・・・・・・アンドレ!ど真ん中に、仰向けに寝てくれ!
・・・・・・はあ?それじゃあ、おまえの入る余地がないじゃないか?
・・・・・・いいから、やってみろ!
お嬢さまの、指図には逆らえないアンドレは、またまた、やれやれと仰向けになってみた。
両脇は、腕を置いたら、ほんの少ししか余裕がなかった。
仰向けになったアンドレを、ベッドわきからオスカルは、仁王立ちで眺めている。
そして、ニヤリとすると、毛布を持ち上げて、ベッドに入って来た。
アンドレは、ビックラポン!した。オイオイオイオイ・・・と言おうとしたら。
オスカルが、
・・・・・・人間ベッド、アンドレ君だ。・・・
と言って、アンドレの上にうつ伏せに寝た。
しばらく、寝心地の良い場所を探ると、
落ち着いた様子で、此処が良い!
フランスに戻って来て初めて、おまえと一つベッドで朝まで寝られるのだ。
うん、上等だ!
おやすみなさい。と言って、オスカルは、直ぐに寝息を立てたように思えた。アンドレは、あれだけ、ドタバタとした後に、よく眠れるものだと、感心するばかりだった。が、愛する妻の重みを感じて眠るのも、良い事だと自分も、羊を数え始めた。
アンドレが、9,999匹目の羊を数え終えようとした時。
アンドレの夜着の襟元が開けられ、オスカルの唇を感じた。
ギョッとした。
「おい!何をしているんだ?」
「いいじゃないか、夫婦なんだもん!」
「夫婦だけど、此処にはもう1人いるんだぞ!」
「ふふふふ…」
アンドレの胸に唇を、這わせ終わると、また、眠った様だった。
アンドレは、ホッとした。
焦ったぜ!全くこのお嬢さまは、とんでもない事をしでかす。
ジャポンとか、に行って、人格が変わったか?
そうには、見えないが・・・
まあいいか、もう一度、羊を数えよう。
アンドレは、頭の中に、長閑な丘のある一面の緑地を思い浮かべ、
その中に、柵を超える、羊を数え始めた。
が、しかし、今度は、9,995匹目だった。
急にオスカルが、匍匐前進してきて、美しい顔が、目の前にあった。
そして、口づけをしてきた。
「おい!何をしているんだ?」
「いいじゃないか、夫婦なんだもん!」
「夫婦だけど、此処にはもう1人いるんだぞ!」
「ふふふふ…」
こうして、アンドレが、穏やかに羊の数を数えようとすると、邪魔が入った。
その度に、
「おい!何をしているんだ?」
「いいじゃないか、夫婦なんだもん!」
「夫婦だけど、此処にはもう1人いるんだぞ!」
「ふふふふ…」
「おい!何をしているんだ?」
「いいじゃないか、夫婦なんだもん!」
「夫婦だけど、此処にはもう1人いるんだぞ!」
「ふふふふ…」
「おい!何をしているんだ?」
「いいじゃないか、夫婦なんだもん!」
「夫婦だけど、此処にはもう1人いるんだぞ!」
「ふふふふ…」
以下略・・・そして、これが、夜明けの早いこの時期の朝まで続いた。
*******************
「だから~、眠って来いって!」
「大丈夫だ!一晩位徹夜したって、わたしを誰だと思っている?!」
昨夜から続く、何度目かの、『やれやれ』を連発して、アンドレは、
「オスカルさまだろう!」
と、言いながらも、オスカルの体の心配をして、何とか眠らせようとした。
「オスカル・・・おれも眠いのだ。交代で、休もう!」
「分かった。でも、馭者台には、2人必要だ。どうするのだ?」
「おまえが、眠っている間、ジェルメーヌに座ってもらう、それでどうだ?」
これなら文句はあるまい、とアンドレは、ホッとしていった。
すると、
「イヤだ!おまえが、ジェルメーヌと二人きりになるのも嫌だし、
荷台で、わたしがジェルメーヌとふたりきりになるのも、お断りだ!」
「おまえ、昨日からおかしいぞ・・・彼女と何があった?
以前は、あんなに仲良かったのに・・・」
アンドレは、決して人を心底から嫌う事のない、妻の横顔を見つめた。
「ああ、一年前まではな・・・
お互い、変わったんだ!」
オスカルの言葉に、アンドレはジャポンで、何かあったのだろうか・・・と、全く違った事を考えていた。
「じゃあ、おれに寄りかかって、眠れ。
おれは、大丈夫だ!」
すると、意外にもオスカルは素直に、アンドレに寄りかかってウトウトしだした。
こうして、馬車は、北を目指して、進んで行った。
*******************
幌の付いた荷台の中には、かなり、不機嫌そうな女が膝を抱えて座っていた。
彼女・・・ジェルメーヌは、憤慨していた。
アランのニワトリ小屋から脱出したと思ったのに・・・
なんでまた、ニワトリに囲まれなくちゃならないの。
確かに、彼女の周りには、10羽のめんどりがいて、コケッ!コケッ!コケッ!っと騒がしく鳴きながら走り回っていた。確か、アラスに着くまでの、三人の朝食用の卵を調達する為、だと言っていたが、なんで10羽もいるのか、彼女には理解できなかった。
実は、このめんどり、3人の朝食用に3羽だが、アラスで食料に困っていたらと、それぞれの両親に一羽ずつ、そして、子ども達に1羽ずつ。合計9羽なのだが、キリが良いという事で10羽、アランから取り返してきたのである。
(オスカルは、一体ジャポンから、何羽のニワトリを持って来たのだろうか?)
その他に馬車には、衣装ケースと見られる大きな箱、ドッサリと山になった馬の餌、野宿用の毛布が何枚か、・・・と、彼女のスーツケース。それだけだった。
つまり、彼女が座っているのは、馬車の床、すなわち、ニワトリと同じレベルだった。
ニワトリは、かまわず彼女のむき出しの腕を突いてくる。
むき出しでもない、背中も突いてくる。
アラスに行けば、何とかなる。と、思って、アンドレ夫妻に同行して、馬車の旅人となったが、ジェルメーヌは、不安になってきた。マジで、顔見知りのいない土地である。
見ず知らずでも、公爵家の血筋と言えば、1年前までは、それ相当のもてなしを受けた。だが、今では、貴族というだけで迫害、もしくは、殺される時代だ。
しかし、彼女には、生きなければならなかった。
その辺でのたれ死ぬこと程、恐ろしいものはなかった。
実際パリで、迫害された貴族。殺され晒し者になっている貴族を見た。それで、貴族であるが平民並みの暮らしをしていたアランが、自分を見つめているのに気づき、彼の下宿に潜り込んだ。
が、ソワソン家の暮らしは、想像とはかなりかけ離れたものだった。
下宿屋とは、名ばかり。寝床は、あるが、食料がない。
偶然、アランの母が、市場でほとんど売り物にならない野菜、肉を譲って貰ってくるくらいだった。
他の下宿人達は、それでも不平も不満も言わずに、すきっ腹を抱えて黙っている。
ジェルメーヌが、不思議に思っていると、彼等は皆、国民衛兵隊に属していて、日勤では、昼食を、夜勤になると、夕食と朝食を食べる事ができていた。
つまり、彼等は一日一食は、口にしていたのである。
そして何より、皆、出された食事を少しずつ、持ち帰り、世話をしてくれるアランの母親の為に渡していた。
そんな訳で、ジェルメーヌには、大して食料が回って来なかったのである。
やはり、自分は伯父のところに行くべきなのだろか?
しかし、いまさら、オスカルに頼むのも癪に障った。
ふと、目の前の衣装ケースに、目が行った。
そっと近寄って、馭者台にいる2人に気づかれないように開けてみた。
子ども用の、洋服、オモチャ、本が、いっぱい入っていた。
確か、昨日アンドレが、パリに必要な物を買いに行った。と、聞いていた。
しかし、彼女が歩いていたパリで、この様な新品で高級とは言えないが、それなりの物を見た事がなかった。
もしかして・・・と、考えた。
アンドレは、思っていた以上に、生活力があるのではないだろうか。
しぶといのではないだろうか?
そうだ、いつ来るとも知れないオスカルを待って、あの、ヴェルサイユの下町でずっと独りで待っていたのだ。
そして今、あのオスカルと、2人の子どもを育てて、養っていこうと考えているらしい。
それに、アンドレは、オスカルに決してひもじい思いをさせないだろう。
そして、子ども達には、それなりの教育を受けさせるつもりだろう。
アンドレじゃダメだろうか?
アンドレと、共に生活するのが、相応しいのではないだろうか?
アンドレは、平民だけれどずっと貴族のお屋敷で、オスカルと一緒に育ったのよね!
だから、品もいいし、イイモノ・・・高級品も、高級な食べ物も知っているわ。
その上、使用人として、お屋敷の仕事もこなしてきたから、家事全般に長けている!
これ以上、この時代に望めるオトコがいるかしら、ジェルメーヌ?
彼女は、自分に問いかけた。
いないわよねぇ!決めたわ!
オスカル?・・・え!もしかして、昨夜の様子。
彼女の宣戦布告だったのかしら?
そうでなければ、彼女があんな事するわけないわ。
やるじゃあないの。
でも、貴女には実家があるわ。
私には、何もないのよ!
それに、アランと一緒になるって、手もあるわよ。
アランとベッドにいた時、一度だけ『オスカル』って言ったのを覚えているわ。
ふ〜、私って、よくよく、オスカルの代わりになるのね。
どこがいいのかしら?男として育てられて、軍人で・・・ホント、見た目も男じゃないの。
ふふふ!アンドレ・・・昔、付き合った時は、何とも思わなかったけど、知り合っておいて良かったわ。
あとは、お邪魔虫ね!アンドレしか知らない、お嬢ちゃま!
ちょろいわ!
子供たちひっくるめて、ジャルジェ家にお戻りになればいいのよ!
見ていなさい!ジェルメールさまの、手練手管を・・・
ほほほほほ・・・。
2人の女の想いを乗せて、馬車は軽快・・・たまにぬかるみに入ったり、裏街道を入ったりしたが、とにかく走っていた。
そして、男は全く何にも気づかずに、のんきに、未来予想図を描いていた。
つづく
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