10月某日

アンドレが、領地から帰ると、あと数日で月誕生日だ。
オスカルも、アンドレも待ち望んでいるはずだが…。

それなのに、オスカルの心は沈んでいた。
司令官室の椅子に腰かけて、呆然としていた。

そこへ、ジョルジュがいつもより香り高いショコラを運んできた。
そして、いつもよりオスカルの近くに置いた。

ショコラは、鼻先をくすぐった。体中を包む香りがした。
オスカルは、チラッと見た。
しかし、飲む気にもならなかった。

背後に控えるロジェは、オスカルの手が、届かない場所まで、下がった。
とある事情で…。

お屋敷では、ばあやがジャルパパに随行した孫息子が、主人に無礼を働かなかったか、聞こうとしていた。しかし、当の孫息子の姿は何処にもなかった。

その当の孫息子、アンドレは、ロジェから昨夜渡されたノートを持って、庭園の奥にある池のほとりに座っていた。

昨夜は、【オスカルが、ロジャーと…。】と、書いてある所だけが、目に焼き付いた。一晩眠れなかった。オスカルが、プレゼントしてくれた羽ペンで、赤線を引く気にもならなかった。

1ページ目から、読み返した。この辺りは、ほのぼのしていた。
オスカルが、己の不在を寂しく思い、いない事で、あちらこちらに、当たっていたようだ。

だが、その後は、アンドレが、オスカルを問い詰める気も起らないような、出来事が、つらつらと書かれていた。

アンドレは、元々は、感情穏やかで、決して嫌なことがあっても、顔に出したりしない。行動にもそれを見せる事は、無かった。だが、今回だけは、違った。

だから、アンドレは、今朝の給仕にも、顔を出さなかった。
もし、オスカルの顔を見たら、何をするか判らない自分が、怖かった。

  *****************

オスカルは、アンドレが領地に行って、何かが起こったのか…。
それしか考えられなかった。
原因が、自分にあるなど、思ってもいなかった。

昨夜は、いつもより早く、屋敷に戻り、侍女達に軍靴をやっとの事で、脱がせてもらい、いつものルーティーンをこなしていた。

ふと、もう、アンドレは、もうそろそろ、帰ってくるだろう。
そう思ったが、素直に言えず、父上は、何時ごろ戻るのか?
侍女に聞いた。

すると、旦那さまは、とっくにお帰りになられています。
奥さまと晩餐をすまして、お部屋でごゆっくりなさっていらっしゃるはずです。

仕方がないので、アンドレは、どうしたのか?と聞いた。
すると、侍女は、そういえば、アンドレは、一緒ではなかったわね。
ええ、見かけていないわね。

その言葉に、
えっ!オスカルは、パニックになった。
もしかして、アンドレは、領地に置き去りにされたのだろうか?

兎に角、時間だと侍女に、ベッドに投げ入れられた。
オスカルも、明朝には会えるだろう。
そう信じて、アンドレの優しい笑顔を思いながら、眠った。

翌朝、アンドレはいなかった。
ジョルジュが、申し訳なさそうに、給仕してくれた。
誰の顔も、誰の背中も、アンドレの事は、聞かないでくれ!
そう、訴えていた。

仕方なく、衛兵隊へと出仕し、今に至った。

  ****************

ふと、ロジャーを見ると、何やら必死に書いている。
オスカルは、ぼんやりロジャーを見ていたが、
その目は遥か彼方を見つめていた。

突然、オスカルの視界に、そのぼんやりが大きくなって現れた。
そして、封筒をオスカルの前に置いた。

オスカルは、興味が無かったが、
仕事に手をつけたく無かったので見た。

【退職届】と書いてあった。

オスカルは、封筒の文字と、ロジャーを交互に見た。
そして、
「なんの、冗談だ?」
そう言いながら、届け出を読んだ。

そして、
「テイラー君、
これには、本日午前中に、退職したい。
と書いてあるが、
隊則を、読んでいないのかね?

退職届は、一か月前までに提出。
さらに、退職するに当たっては、仕事の引継ぎを行う事。
とある。
従って、後任の人事が決まるまで、勤務を続ける事。
以上だ!」

ロジャーは、指を折って、日にちを数え、退職届を書き直した。
懐から、チケットらしきものを出し、見た。
それから、倉庫の賃貸契約書を見て、ニヤリとした。

   ****************

その日も、オスカルは、勤務時間が終わると共に帰宅した。
もっとも、その日は、仕事らしい仕事は、していなかったが…。

だが、アンドレは、いなかった。

だれも、教えてくれないのか…。
オスカルが、絶望の淵に落ち込もうという時、ばあやが来た。
そして、ばあやは、オスカルを、地球の裏側にまで、落とした。

アンドレは、何処かに出かけた。
そう、ばあやは言った。

夕食後、オスカルは、風呂につかりながら、初めて侍女たちのお喋りに、耳を傾けようとした。すなわち、アンドレの情報が欲しかった。その日の担当は、フォンダンとショーだった。

ガトーは、真面目でオスカルが、知る必要のない使用人たちの裏事情など、話してくれないだろう。また、他の2人が話そうとすると、たしなめるだろう。だから、今夜は、オスカルにとって都合が良かった。

すると、馭者を夫に持つフォンダンが、言った。ジャルパパに随行した馭者の話では、帰路ヴェルサイユに入った所で、アンドレは、途中で、約束があるからと言って、馬車を降りて、何処かへと行ってしまったそうです。

オスカルは、このわたしに、3週間振りに会えるのに、それよりも、大事な用事などあるのか!かなり、カチンときた。

首を傾げている主人に、ショーが、楽しそうに言った。
「リュッサンも、出掛けていたわ!
アンドレは、強張った身体を伸ばしに行ったんじゃない?」

「2人は、一緒なのか?」
オスカルは、ますます分からなかった。
使用人のプライベートには、口を挟まないようにしていた。
だけれども、今回だけは、ダメだった。
無理もない、アンドレが絡んでいるのだから。

すると、フォンダンが、
「さあ、分かりませんが、昨夜、使用人たちが、こぞって出かけていましたねぇ。アンドレも合流したのかもしれません」

オスカルは、
「合流って、どこに居るのか、分かるのか?」
「ええ、男どもが、たいてい行く店は、決まっているようです。
覗けば誰かいるらしいですよ」
ショーが、自慢げに言った。

オスカルは、自分と同じ天然のショーに、聞いてみた。
「つまり、お酒も料理も不味いけれど安くて、手厚いもてなしをしてくれるところですわ!」

ショーは、何でも知っているオスカルにも、知らない世界があって、それを、自分で教えられる事に喜びを感じた。

そういう事か?
でも、オスカルは、腑に落ちなかった。

オスカルが、アンドレに連れて行ってもらう、平民御用達の店では、そんなに、手厚いおもてなし、を、された事がない。

お酒も料理も美味しかった。多分、それなりの金額だろう…。よくわからないけれど…。

それなのに、なんで、お酒も料理も不味い店、その上安い店で、そんなにも、手厚いもてなしがされるのだ?

「あゝ、リュッサンは、フォンダンの夫と、双子だったな」
オスカルが、思い出したように言った。

そのオスカルは、話に夢中で、段々と顔が赤くなり、かなりのぼせてきた。
だが、アンドレ捜索作戦を、遂行しなければならない。

頑張ってみたが、お手上げだったので、湯船から抜け出し、作戦を続行させた。オスカルとしては、今夜は徹底的に、アンドレを取り巻く、使用人達の行動を把握したかった。

オスカルは、今までの経緯を、把握するように、2人の侍女に、話した。

リュッサンが、一緒だったと言っていたな。
確か、リュッサンはヴァッサンと双子で、フォンダンの夫がヴァッサンだったな?
それで、先程の話しに戻るが、なんで、不味くて安い店で、おもてなしがいいんだ?

オスカルが、聞いてきた。
最後の質問も、2人の侍女はハッキリ聞いた。
フォンダンは、これは、オスカルさまが、お知りになるような事ではないと、判断した。

だが、ショーは、女主人とこの様に世間話が出来るのが、益々、嬉しくなってきた。

オスカルは、化粧台の前に移され、髪とお肌のお手入れをされながら、作戦遂行を実行していた。少しだけ、前進したと思った。

だが、フォンダンも侮れない。これからは、匍匐前進だ。
なんなら、ショーだけ残して、ゆっくり聞くのも悪くはない。
そう思い始めた。

「そうなんですよ〜オスカルさま〜
コレです!」
と言って、小指を立てた。

しかし、オスカルには、意味がわからなかった。が、ここで負けてはならないと、聡明な脳みそを超速回転した。
わかった!『指切りげんまん』だな!オスカルは、嬉しそうに言った。

「あらまあ、オスカルさま。
ご存知ではなかったのですね?
小指は、オンナの事です」
オスカルより、年下のショーが、楽しそうに言う。

「ふ〜ん、まあ、仕事をキチンとして貰えば、
貰った給料を何に使おうと自由だが…」

と、オスカルは、彼らが、合コンをしているのだと思った。
だが、わたしと言う恋人がいるのに、なんで、アンドレは、合コンなどしなければならないのだ!
また、オスカルの理解の範疇を超えた。

「でもね〜オスカルさまですから、言いますけど、ウチのと、リュッサンが馭者仲間から聞いた所では、

旦那さまとアンドレは、1人部屋、同行した2人の馭者は2人部屋だったそうです。ですが、旦那様に随行した、侍従たちが言うには、2人の馭者は殆ど夜は、部屋にはいなかったようです」
フォンダンが、言った。

その後を、ショーが、続けた。
「あ!聞いたわ。私。そして、帰りに一泊した宿場町で、翌日の打ち合わせに、旦那さまの侍従が、深夜、アンドレの部屋を訪れたら、アンドレもいなかったのですって」

初めて訪れた宿場町で、散歩でもしていたのだろう。
オスカルは、そう思ったが、ショーの顔は、違う意味で楽しそうだった。

  つづく

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