廊下の時計が、零時を告げた。
しかし、毎月この日、この時間に、喜びと共に開かれるドアは、開かなかった。

いつも、ドアの内側に立って待っているオスカルは、ソファーに座っていた。
ドアの方をチラリと見た。
しかし、彼女の関心は、膝の上の本に戻った。

ようやく、オスカルの居間のドアが、【開けないで欲しい】サインを出しながら、開けられた。
アンドレに、よって…。

そして、アンドレが、渋々入ってきた。
アンドレは、多分ジャルジェ家で、1番大きなワゴンを、2つ用意していた。

アンドレは、ワゴンを乱暴に、部屋の中に、押し込んだ。
そして、ドサっとオスカルの前に、腰を下ろした。
オスカルを、見つめながら…。
しかし、オスカルは、顔を上げない。

ため息と共に、アンドレが、言った。
「酒は、タップリとあるぞ!
かなり、飲んでいらっしゃると、お聞きしたので、ご用意致しました。

酒蔵の殆どの酒です。
これで、ご満足頂けないようなら、酒類業者から、お取り寄せしましょうか?
お嬢さま?」

オスカルが、顔を上げた。
だが、アンドレを見ずに、ワゴンからはみ出しそうになっている、酒の山を見た。

ワインクーラーが、ワゴンの上段を占めている。
それぞれに、白ワインが所狭しと、入っていた。
そして、氷がやけくそに、入っている。

下段には、赤ワイン。リキュール…。アンドレが、告げたように、ジャルジェ家のソムリエと料理長が、揃えた全ての酒があるようだ。

オスカルは、ワインクーラーを眺めた。
そして、面倒くさそうに、顎をプイッと向け、
「それを、くれ!」…と。

アンドレは、
「ああ、これだな」
そう答えたものの、あのようなオスカルの仕草で、分かってしまう自分も考えものだ。だれも、あの様にされても、分かるヤツなんていない。

「おまえも、飲んでもいいぞ!
わたし相手でも、構わないのなら…」

オスカルの言葉に、アンドレはムッとした。
ヤケになって、ワインを開け、グラスに注いだ。
そして今度は、オスカルの前に、従僕らしく、丁寧に置いた。

そして、もう一つのグラスに、何も注がず、アンドレが、腰掛けていた場所に置いた。そして、座った。

オスカルが、また、チラリとアンドレの空のグラスも見た。
そして、そのまま、視線を上にあげて、アンドレをチラ見した。
アンドレが、先に口を開いた。

「毎晩、飲み歩いていたと、聞いているが?
それに、
ロジャーの倉庫に、泊まった、と聞いた。本当か?」

オスカルは、相変わらず、本に目を落としたまま、
「あゝ、本当だ。」

アンドレは、拳を握りしめながら、
「どちらの事だ?
それとも、両方か?

ロジャーと、寝たのか?」

「勿論!」

オスカルは、知らなかった。『男と、寝る』という意味を…。
オスカルは、ロジャーの倉庫に行き、ロジャーのベッドで寝た。

ロジャーは、同じ部屋のソファーに寝た。
だから、『勿論』と答えた。

アンドレは、激怒していたので、オスカルが、この様な言葉を知らない事を、忘れていた。
憤怒した。

アンドレは、本に目を落としたままのオスカルが、
ニッと笑ったような気がした。
アンドレが、一歩踏み出そうとすると、オスカルが、言った。

「領地では、かなりいい思いをしたようだな?
それに、屋敷に真っ直ぐに帰らず、いかがわしい場所に、出掛けたそうだが、本当か?」

そう言って、オスカルは、立ち上がると、ワインクーラーから、手荒くボトルを取り出すと、滴る水を拭き取る事なく、自らのグラスに注いだ。

通常なら、アンドレは、オスカルのチョットした動きだけで、察し、素早く動く。しかし、その夜のオスカルの行動は、アンドレにも読むことが出来なかった。それとも、読もうとしなかったのか、分からなかった。

オスカルとアンドレの、胸の中は、怒りの炎が燃え盛っていた。
しかし、2人とも、まさかそのような事をする筈はない。とも思っていた。

オスカルが、本から、目を離さずに言った。
「わたしは、まだ、誰とも結婚はおろか、婚約も、していない。

ただ、プロポーズは、受けているが、保留にしてある。
だから、わたしが、何処で何をしようと、おまえには、関係ないはずだ。」

「プロポーズとは、ジェローデルの事か?
アレは、断ったと、思っていたが?」

お互い、相手の事を疑っていた訳ではない。
だけれども、出会ってからこれまで、この様に長い期間、姿を見ているが、話す事も、共に出歩く事も出来ずにいた。この様な、状態は初めてだった。

それなので、会えない時間に、相手がどう過ごしているのか分からず、ついつい、彼方此方からの、噂に振り回されていた。

おまけに、まだ、この状態になって3ヶ月しか経っていなかった。それが、とても長く感じられた。このままの状態で過ごせるか、不安もあった。

「ジェローデルではない。

ルイ・ジョゼフ殿下だ。
大人になるまで、待ってくれ。
そうおっしゃられた。

だから、わたしは、答えていない。
保留のままだ」
オスカルは、表情も声の抑揚もなく、告げた。

アンドレは、呆然とした。
まさか、その様な強敵が現れていたとは、知らなかった。

あまりにも、衝撃が大きかったので、歳の差を考える余裕もなかった。
それよりも、よう逝したことも、ぶっ飛んでしまった。

アンドレは、領地の視察に行ってから、オスカルとの結婚を真剣に考えだしていた。だから、ロジャーに会った時も、強く出ることが出来た。

だが、屋敷に帰ってみると、状況が変わっていた。
オスカルが、ロジャーと親密になっていた。
そして、今、オスカルが、【ロジャーと寝た】そう言った。

オスカルの声が、アンドレを現実に戻した。
「……のか?」
それしか聞き取れなかった。

アンドレが、黙っていると、オスカルは、
「なんだ?ボーっとして…。
胸の大きなオンナの事でも考えていたんだろう?
おまえ、いったい、何人の胸の大きなオンナたちを泣かせたのだ?」

アンドレは、オスカルが、何を言っているのか、分からなかった。

オスカルが、ワインクーラーをドサっとテーブルに置いた。
周りについた水滴を気にせず、ワインを開けた。

だから、おまえがわたしを知っている程、わたしは、おまえの事をよく知らないのだ。おまえは、わたしが、フェルゼン伯爵に、恋していた事も、ジェローデルに求婚された事も知っている。

それに、わたしの食べ物の好み、服装に関する好み、その時、何を欲し、何をして欲しいのか、全て知っている。

それなのに、わたしは、おまえの誕生日プレゼントを選ぶ時、おまえの欲しい物を知らない事に気付いたのだ。そうだ、愛し合う前は、わたしが欲しい物は、アンドレも欲しいだろうと、それだけで選んでいた。

だけど、アンドレの好むものをプレゼントしたかった。それなのに、おまえが、欲しいと思っているモノが、分からなかった。
そこで、つまずいてしまった。

だが、オスカルは、それを、口にもせず、顔にも出さなかった。

オスカルは、半ばヤケになり、
「なにか、摘まむものをくれ!」
心とは、裏腹に命令口調だった。

アンドレは、オスカルを挑発するように指を折りながら、昔の女の数を数えているふりをした。そして、ピンチョスのワゴンに近づいた。普段は丁寧に、皿を並べるのだが、今夜は、トレーごとテーブルの上に、ドンと置いた。

アンドレは、この後、オスカルが、ヤケになって、飲み食いするのが、分かっていた。

そしてその後は、黙って寝室に消えるだろう。

アンドレが、見ていると、

オスカルは、アンドレの予想通り、黙々と、食べ、呑んだ。
そして、ソファーに本を投げ捨てると、振り返りもせずに、寝室に消えた。

アンドレは、本を手に取ってみた。
毎週発行される、『軍事LIFE』。
それも、かなり以前の物だった。
オスカルなら、もうとっくに、頭の中に入っているだろう情報だ。

だが、またアンドレは、思った。
明日は、オスカルは屋敷にいるだろう。
多分、書斎にでも籠って、拗ねているだろう。

そして、明後日は、その気晴らしに、馬を飛ばすのだろう。
オスカルの、行動パターンを読める喜びが、今まではあった。
そのパターンの為に、準備をして、手筈を整えるのにも、喜びがあった。

しかし、その夜は、それを、察知できる事に、疲れを感じた。
明日の為に、準備をする気力も無かった。

そして、アンドレは、テーブルを見た。惨憺たる有様だった。
やはり、これを片付けるのは、おれなのだな!

アンドレは、今夜はほとほと疲れていた…精神的に…。

テーブルの上は、そのままにしてオスカルの温もりがあるソファーに、寝転んだ。これまでと、同じ温もりだった。
だが、やはりその夜は、その温もりも、寂しかった。

アンドレが、眠りに落ちる事も無く、翌朝を迎えた。

アンドレは、珍しく朝から、だるかった。
テーブルの上を片付けていると、オスカルが起きてきた。
やはり眠れなかったらしく、目を赤くしていた。

アンドレを見ると、
「そんなもの、誰かに片付けさせればいい。
おまえが、やることはないだろう!」
オスカルらしくない事を言う。

今まで、オスカルは使用人を、その様に使った事がない。
それどころか、テーブルをこの様に、使う事もなかった。

だが、オスカルは、
「今日は、書斎で、過ごす。
おまえも、勝手に過ごすがいい」
そう言うと、長い足を思いっきり延ばして、書斎に向かった。

アンドレは、領地に行っていた間に溜まっていた兵士から、オスカルへのラブレターを見直す事にした。ド・ギランドが、見たとはいえ、もしかしたら、自分で解決すべき問題があるかもしれない。
一通ずつ、丁寧に見ていくつもりだった。

が、ラブレターに専念すると、書斎のベルが鳴り、オスカルが、飲み物を持ってくるよう指示をした。それも、きっかり1時間おきに…。

オスカルは、書斎のデスクに本を積んでいたが、全く手を付けていない。目の前には、上質紙が置かれており、何かを書いているようだった。

オスカルは、遠い記憶を思い出し、7歳の時、出会ってからの、アンドレへの誕生日プレゼント、そして、クリスマスプレゼントを書き出していた。

そして、アンドレからの誕生日とクリスマスのプレゼントを書き並べていた。
そこには、それぞれ、感想も書いた。
アンドレが、どの様に反応したかも、必死に思い出して、書いていた。

しかし、飲み物を持ってきて、テーブルの上に置くアンドレは、見る気も無く、飲み物だけを、置いて立ち去った。

次の日、オスカルが、遠乗りに行きたいと、言い出した。

アンドレは、思っていた通りだ。
再び、オスカルの行動が、読めた事に、嬉しさもあったが、うんざりもした。

その朝も、ソファーに寝ていたアンドレは、こわばった身体を伸ばしながら、厩へと向かう。

いつもなら、共に、鞍を付け、手綱を選び、楽しいひと時だった。
オスカルは、厩には、来なかった。

表玄関に、アンドレが馬を引いて行くと、オスカルが待っていた。
オスカルは、手綱をひったくると白馬に跨り、いきなり飛ばして行った。

アンドレは、慌てて追いかける。だが、この様な事は、良くあった。2人がケンカをして、オスカルが謝ることが出来ず、突っ走る。

だが、あの頃は、アンドレが追いつくのを、いつも森の入り口でオスカルは、待っていた。

今日もいて欲しい、はかない望みを持って、アンドレは、森へと向かった。
オスカルは、待っていなかった。

仕方なく、アンドレは、オスカルを、追いかけた。
漸く、アンドレは、オスカルの左後ろに追いつくと、居心地のいい気分になった。

また、オスカルも、アンドレの馬のひづめの音を背後に聞きながら、今朝までの、イヤな気分が、吹っ飛んだ。
しかし、お互いの間にある、わだかまりは、消えていなかった。

屋敷に戻ると、オスカルは、シャワーの準備をさせ、汗を流した。
アンドレは、使用人用のシャワールームへと、向かった。

今までは、2人で戯れながら、使っていた。
楽しい時間だった。

だが、アンドレは、オスカルの気持ちを知りながらも、
珍しく意地を張っていた。

そして、アンドレは、そのまま自室に戻ろうかと思った。だが、月誕生日の慣例に従って、今頃は、オスカルの居間にディナーの準備が始まっているだろう。

同僚の、使用人たちの苦労を無駄にしたくない。
アンドレは、その一心で、という事にして、オスカルの部屋へと戻った。

アンドレが、オスカルの居間に入ると、まだ、オスカルの姿はなかった。
もしかして、オスカルの方が、逃げたか?

この様な経験は、初めてだった。
今までの、子供の頃からの、喧嘩、意地の張り合い。
大人になってからの、たわいのない喧嘩、口論のいさかい。

そして、オスカルの女ながらの、無防備な男に対する振る舞いへの、忠告。
そのような物の、対処は全て心得ていた。

だが、今回の様な、恋人になってからの、お互いの異性関係(元々は、誤解からだが…)から、発したいざこざに対して、どうしていいのか2人とも知らなかった。

オスカルが、奥から出てきた。
ゆっくりと、シャワーを浴びてきたのだろう。
頬が上気していた。

アンドレは、心から美しいと思った。
恋人になってから、オスカルの美しさは、さらに磨きがかかった。

だが、今まで、アンドレはオスカルの容姿について、心の中に秘める思いだけで、面と向かって告げた事はなかった。
たった一度、フェルゼンの為に、ドレスを着た時を除いて…。

だいたい、オスカルは、自分の容姿、見事なブロンドの髪にも、全く頓着しなかった。アンドレも、オスカルの見た目もひっくるめて、全てを愛していたので、口にする事も無かった。

ただ、安酒場に行く時だけ、「おまえは、目立つから…。髪が目立つから…。」それだけ言って、髪と顔を隠すように、助言するだけだった。

オスカルは、オスカルでそのような場所に行った事がなかったので、アンドレの助言に従っていただけだった。

オスカルが、テーブルに付いた。ジョルジュが、今夜のメニューを告げる。
すると、オスカルが、食前酒、ワインを選ぶ。

だが、アンドレが見る限り、今日のオスカルは、いつもより、丁寧に、言い換えれば、決めかねているように、感じた。誰かに、助言を求めているようだった。

オスカルは、アンドレとどうにかして、話の糸口を掴みたかった。
それなので、食事が始まっても、ゆっくりと、料理を口に運んだ。

そして、給仕の者が、皿を変えるたびに、もっとゆっくりとしてくれ!
そう願った。

だが、アンドレには、それは伝わらなかった。
オスカルの想いも、アンドレには、伝わらなかった。

それから、オスカルは、ポツリと言った。
毎日、勤務が終わると、暇なのだ。
屋敷にいても、独りでいるのは、寂しいのだ。

小さな声だった。

今まで、1人で過ごしたことが、ないのだ。
いつも、おまえが居た。

アンドレには、聞こえないよう、独り言のように言った。
つもりだった。

だが、目の具合が悪くなり、聴力が研ぎ澄まされたアンドレには、ハッキリと聞こえていた。

オスカルは、続けた。
だから、誰かと会っている。
わたしは、男としかまともに話す事が出来ない。
多分、女とは、話が合わない。

アンドレは、オスカルが言っていた事を、素知らぬふりをして、言った。
「サロンを開いたらどうだ?
それも、コンセルバトワール級の腕を持ったものだけの、音楽サロン!」

オスカルが、顔をあげた。

が、アンドレが、今度は下を向き、料理と格闘しているようにしていた。
だが、アンドレは、オスカルが、自分の方を向いたのを、感じていた。

そして、アンドレは、続けた。

それなら、目を合わせる事は出来ない。
しかし、お互いの存在は、感じることができる…。

アンドレも、独り言のように言った。
しかし、オスカルは、アンドレの言葉を、一言も逃さないで、聞き取った。

夕食が終わると、アンドレは、24時を待たずに、自室へと戻った。

この月誕生日は、それまでと違い、お互い気まずいまま終えた。

  つづく
追記、今回は、更に2人は、ハグもキッスも無かったどころか、
心も、ソーシャルディスタンスを保っていました。
    次回こそは、お楽しみに!…なにを?
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