アンドレは、屋敷の中を、目を閉じて歩いていた。
右目は、まだ、見えない事は無かった。

もともと、視力は良かった。
今でも、調子が良ければ、何の不自由もない。

見えなくなっても、歩くことは、出来る。
けれど、それ以上の仕事となると、不自由どころではない。
何も出来なくなるだろう。

オスカルの、護衛・補佐は、勿論のこと。
自分を介助する人間が、必要になってくるくらいだ。
アンドレは、ため息をつき、自分の行く末を考えた。

オスカルの夢の為に、援護射撃をする。その為なら、どの様な仕事もこなしていく。そう決心したのに…。女装するかは、まだ、決めていないが…。

あとどれ位なのだろう…。
いつ、暗闇が、襲ってくるのだろうか?
突然なのか?
段々と、やって来るのか?

昼間は、まだ、マシだった。
明るさが、目を助けてくれる。
でも、暗い所から、急に明るい光に出会うと、一瞬見えなくなる。
それが、頻繁になって来た。

夜になると、周りが暗くなるだけではなく、心まで暗くなってしまう。

その時、離れのホールから、ドラムの音が聞こえた。
でもつい先ほど、ロジャーが、通用門から出て行ったのを見た。
いつもの事だが、とても嬉しそうだった。

戻っていたのか?
今日は、オスカルも休みだったはずだ。
嫌な予感がした。

アンドレは、音のする方へと、向かった。
目を見開いて…。
最近富によくなっている耳も、前方からの音だけを捉えて…。

ドラムを懸命に叩く、ブロンドの髪がみえた。
でも、ロジャーのそれでは、ない。
もっと、豪華だ。
オスカルだ。

スティックを、小刻みに叩く。
そして、思いっきり叩く。

そうか、ロジャーの倉庫で、コレをしていたのか…。アンドレは、ガッテンした。が、ドラムとは別に、遠くから走って来る足音が聞こえてきた。耳の感度が、異常に良くなっているアンドレにしか、聞こえない。

アンドレは、片隅に隠れた。(何故か…。自分でも、分からなかったが…。)
ロジャーが、忘れっ物、忘れっ物と言いながら、走って来た。

忘れ物をしたのに、やはり、楽しそうだった。
首に、紐で結ばれたスティックをぶら下げている。
そして、大八車を引いていた。

そして、ドラムの音が聞こえると、大八車を捨てて、ホールに飛び込んでいった。
ストップー、ストップ!何やってるんだー!
手を止めろ!
ダメだよ!勝手に叩いちゃ。

オスカルが、悪い事をしていて、先生に見つかった子供の様に、言った。
帰ってきたのか?
だって、こんなに沢山あるのに、左側のちょっとだけしか、使わせてくれないんだ!あちこち叩いたって、いいだろう?

ロジャーは、笑いながら、
気持ちは、分かるけど、そのドラムは、全てオレの叩きやすい仕様になっているんだ。つまり、それぞれが、腕からの距離、高さ、もちろん、椅子の位置も、高さもだ。
だから、オスカルには、叩きにくいはずなんだけどなぁ。

オスカルは、先生がそんなに、叱らなかったので、安心して答えた。
じゃあ、わたしに教えていた時は、どうだったんだ?

勿論、全て、オスカルの手の長さ、頭の位置、足の長さ。オスカル仕様にしていた。今、座っていて、ペダルが踏みにくいだろう?オレ仕様だからだ。
ロジャーは、オスカルの傍に近づきながら、優しく言った。

オスカルが、だって、ロジャーとわたしの身長は、同じくらいだ。
たったの2ミリ違うだけだ。それでも、違うのか?

ロジャーは、内心、ムッとしながら、言った。
身長は、殆ど同じだ。
座高も、同じだ。

けれども、オスカルの方が、ひざ下が、長いんだ。悔しいけど…。
でも、手の長さ…指はオレの方が、長い。
その辺りの、微調整が、大切だ。

オスカルは、納得したが、まだ、不満だった。
ふーん。分かった。分かったけど、あっちこっち、全部叩いてみたい。
シレっと、含み笑いをしながら、言った。

ロジャーは、また、笑いながら、
まだ、無理だよ。

なんて言いながらも、オスカルを椅子に座らせながら、それぞれの位置、高さを調整してる。ドラムセットが終わると、オスカルを立たせて、椅子の高さも変えていく。
そして、笑いながら言った。

最初は、基本から、段々と、使うのを増やしていくからな!
リズムは、ゆっくり行こう。

ロジャーは、オスカルに背を向けて、言った。
何時ものように、オレは、向こうを向いている。
見ながらやってくれ!

先ずは、基本の“ズンズンチャッチャッ”を、両手を思い切り伸ばし、オスカルに見えやすいように、スティックを動かした。

数回、基本を叩けば、オスカルもリズムが掴めるだろう。
ロジャーが、思い、腕を大きく右に動かすべく、準備をした。

すると、背後から、ズダダダダダン・パシーン、チャッと、正確なリズムと、音程が聞こえた。ロジャーは、しばらく動くこともできずにいた。

ようやく振り向くと、オスカルが、ニヤリと笑って、シンバルを指で挟んでいた。

ロジャーは、口をポカーンと開けたまま、オスカルに近づいた。

するとオスカルは、両手にした、それぞれのスティックを、クルッと回した。

ロジャーが、のけぞった。

「なんだ?それ?いつ覚えた?それに、凄いミュートだ!」
ロジャーが、立て続けに聞いた。

「ふふふ・・・わたしにだって、耳がある。ロジャーが、いつも叩いているのを、ボケッと聞いている訳じゃない。目もある。どうスティックを動かしているのかも、ちゃんと見て、覚えている。わたしの動体視力を知らないのか?

ただ、さっきまでは、ロジャーが、言うように、ドラムの位置も、高さも同じように見えた。だけど、どんなに真似しても、同じ音が出せないで、四苦八苦していたんだ。フン!」

「でも、そのミュート…人差し指と中指だ。
そんなのやるのは、オレだけなんだぞ」
ロジャーは、惨敗感を露わにしながらも、嬉しそうだった。

「誰がやって、誰がやらないなんて、構わない。
ロジャーが、バーンってやって、チャと止めるのを、真似しただけだ」

スティック回すのは?
両方の手を回すなんて、オレでもしないぞ!

人の上を行くのが、オスカルさまだと、知らなかったのか?
それに、スティック替わりの、枝なんか、テラスに出れば、いくらでもある。

お陰で、わたしの居間、ベッド周りに枝がゴロゴロしているので、侍女たちが不審に思っている。

「でも、ロジャーは、凄いよなぁ!
もっと難しいのを、手元も見ない。
時には、上を見たまま、叩いている。
それに、変な顔もして、演出もしている」

ロジャーは、鼻高々に、言った。
1日たりと、ドラムに触れない日はない。
ドラムを叩けなければ、スティックで、イメージトレーニングだ。
オスカルが、剣を持たない日がないのと同じだ。

上を向くのも、空気を吸い込む為。
口を開けるのも、全て自然にそうなるだけだ。
演出なんかじゃない。
オスカルだって、剣を使う時、表情なんて考えないだろう?

コッソリ聞いていたアンドレは、
ロジェの報告書を思い出した。
全てその通りだった。
アンドレは、納得して、その場を去った。

すると、アンドレの背後から、声が聞こえた。
オスカルだ。
「なんで、戻って来たんだ?」

「忘れっ物、忘れっ物。その予備のスティック!
それに、ドラムセットも!

向こうにドラムセットは、用意していると聞いていたんだけど、
オレには、合わないんだ。
これを持っていくことにした。

チューニングを、しないといけないから!
直ぐに出て行くぞ。

オスカルは、手を叩いていろ」
ロジャーが、ハスキーボイスで、メチャクチャな音程で歌った。

ロジャーが、大八車をホールの中に持ち込むと、
オスカルが、ドラムのボルトを回していた。

「おい!何しているんだ!」
ロジャーが、最大級に怒鳴った。

オスカルは、平然として、
「ネジを回すと、どう音が変わるか、試そうと思った」

ロジャーは、普段はとても優しい、ニコニコとした青年だ。
だが、ことドラムに関しては、とても、シビアだ。
毎日整備し、大切に扱っていた。

それを、愛する女性は、知らずに、天然する。
ロジャーは、頭を抱えた。

   つづく

追記:ネットで調べましたら、
ロジャーの身長は、全盛期には、177.8センチ
オスカルさまは、ご存じ、178センチ。
ここまで、ロジャーの方が、高身長と思い込んで書いていました。
何処かに、不都合があるかもしれませんが、お許しくださいませ。
(衛兵隊に、着任した頃が、気になるのですが…。
あまり、背丈の事は、書かなかったと思うのですが…。
ああ、自信がない…)
   薄紅香


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