ジェルメーヌは、自室に戻って、ベッドに腰掛けていた。
まだ、頭がボーっとして、まともに考える事が出来ない。

ドアがノックされた。力強い音。
驚いた事に、オスカルが、入って来た。

お茶のポットとカップを持っている。
あまり似合わないな、と思った。
この部屋にただ一つしかないテーブルにそれらを置く。

「ジェローデルに、会ったのだな?」
いきなり聞いて来た。オスカルらしいと思った。

オスカルが、言うには、昨夜ジェローデルから、もし、ジェルメーヌが望んだら、連れて行ってもイイか・・・と、確認された。

だから、彼女も大人だ、自分の事は、自分で判断するだろう・・・と、答えておいた。

最近にしては、オスカルが、珍しく穏やかだった。
厄介払いが、出来ると安堵しているのかしら・・・とジェルメーヌは思った。

オスカルが、続ける。
ジェローデルと行っても、おまえは、100%満足出来ないと、わたしは思うぞ。

あいつは、おまえに、おまえが欲しいと望む生活を
100%与える事はできない。

それ以上は、先ほど会った、彼から判断してくれ。
言うだけ言うと、オスカルは静かに出て行こうとした。

待って!ジェルメーヌが、慌ててオスカルに声を掛けた。
なんで100%じゃないとわかるの?

それは、あいつよりわたしの方がおまえの望むものをよく知っているからかな?

私の望むものを、彼が与えてくれるのじゃないの?

着飾る事、豪華な家具に囲まれて、夜毎、オペラや舞踏会、夜会か・・・?
もう1度よく考えてみるんだな!

そう言うと、それ以上聞かないぞ・・・。と消えてしまった。

ジェルメーヌは、テーブルに移動し、
カップにお茶をつぎ、外を見やった。
しとしとと、雨が降って来た。

ここからは、畑は見えないが、多分みんな総出で、養生を行っているのだろう。
三日前の、土砂降りの雨でかなりやられてしまった。
漸く復活させたばかりである。
今度はしっかりと、やるのだ、と口々に言っていた。

それでも、誰にも、悲壮感はなかった。

三日前・・・。ジェローデル少佐が、来たといっていた日だ。
そしてまた、雨と共に去りぬ。(笑)

ジェルメーヌは、先ほど見たジェローデルの部屋を思い浮かべた。
思い描いた、そして、懐かしいものだと思った。
夜毎、夜会、サロン、劇場・・・と、言っていた。

どんなにすばらしい生活なのだろうか・・・。
でも、ジェルメーヌには、想像が出来なかった。
日陰者で暮らしてきたので、華やかな席に招かれた事が無かった。

義理の父が、社交界にデビューさせれば、それなりに後ろ盾が出来て、華やかな生活を・・・怠惰とも言うが、送る事が出来ただろう。

だが、義父は、自分の恋人に夢中だった。
そして、たった一人の妹の忘れ形見の、
今後の生活について、全く無関心だった。

窓の向こうに、パパアンドレが、ブルーシートを持って、走って行くのが見えた。
そういえば、先日、アンドレの父親らしく優しく言われた事を思いだした。

自由を求めて戦ってきたと、息子に聞いた。
その時、貴族の身分が無くなって、その後の事を考えなかったのか・・・。

自由とは、大きな代価と引き換え、そして、義務もまた付いてくるものだよ・・・。

考えていなかった。
全ては、自由に・・・。なれば、環境も変わると思っていた。

それよりも、仲間と共にある事に幸せを感じていた。
思想など、どうでも良かったのかもしれない。

幼い頃から、独りだった。

あの日から、周りは、何も変わっていない気がする。
貧しい者は相変わらずだわ。
王室が、パリに移られて、貴族は、競って逃亡したわ。

ここの人達だけね。
ふふふ・・・ジャルジェ家は、風変わりな貴族だと言われていたけど、
これで決定的に証明されたことになるわ。

ジェルメーヌは、思った。
ヴェルサイユのした街のアンドレの店で、
ベルナール、ロベスピエール等と語り合った夜・・・。
彼女に与えられた別邸に、革命家たちを呼んで、議論した夜・・・。

その後、自分は、フカフカのベッドに眠った。

アランに、言われたわ・・・。
フカフカのベッドはごめんだ!と・・・。

私にとっては、フカフカのベッドが、あるのが当たり前だった。

無くなるなんて思ってもみなかった。
だって、生まれた時から、ずっと私と共にあったから。
彼が亡くなった時も、とても悲しくて、追いかけて行きたかった。

それでも、フカフカのベッドがあったから、耐えられたわ。

ジェルメーヌは、手の甲を見た。
爪の周りは土で茶色になっていた。
爪も、手入れをしていないのと、農作業で傷がつき艶が無くなっている。
その上、農作業に適さないと、短く切ってしまっている。

ハンドクリームを貰った。
しかし、塗る端から、仕事が舞い込んできて、全然役に立たなかった。
たとえ、就寝前に塗っても・・・。

鏡をのぞいてみた。
見るまでもなく、肌の艶は無くなり、カサカサだ。
おまけに、日に焼けだした。

こちらも、保湿クリームとUVカットローションを貰っているけれど、強い日差しの方が、化粧品よりずっと強力なようだ。

もう一度、手の甲を見た。

何もしないで、香油の入った、お湯でマッサージをしたら・・・。

そして、たっぷりとクリームを塗って、シルクのグローブをして眠って、ふっくらしたら、スクラブでこれまでの汚れ・・・生活・・・を落としたら、また元の、キレイな手に戻れるのかしら?

オスカル・・・。知っているわ。
彼女は、お肌はスベスベだけれど、手は、軍人の手。
あちこちが、硬くなっていて、掌には、タコだらけ。
指もあちこち、硬くなっていたわね。

でも、そんな指でも、堂々としているわ。
アンドレも、そんなオスカルと、オスカルの指が好きだと言っていたわ。

でも、私には・・・。

革命って、バスティーユ攻撃、って何だったのだろうか・・・。
バスティーユは民衆達が集結したと言われているけど、結局は家具職人のクーデター。
でも、それで、火が付いたわ。

私も、胸が躍ったわ。
そりゃあ、オスカルとアンドレが逝ってしまったのは、悲しかったけど。
とても不思議だけど、逝ってしまった気がしなかったわ。
あんなに、生きる事に執着を持っていた2人が、簡単に逝ってしまうとは思えなかった。

だから、2人は帰って来た。
でも、何のために帰って来たのかしら?
貴族の生活には全く未練が無いように見えるわ。

取り敢えずは、子ども達に会いに・・・。
でも、パリに戻るような事を、言っていたわね。
アンドレはともかく、オスカルは、普通には生きられないはずよ!

ああ、そんな事は、どうでもいいのよ。
私の事・・・。
ジェローデル少佐に付いて行けば、優雅な暮らしが待っているわ。

あの部屋で座った、ソファーのように、
私に馴染んだ、フカフカな生活があるのよ。

それに・・・今度は、日陰者ではないわ。
ジェローデル少佐という、後ろ盾が付くのだもの。
堂々と、ボーフォール公爵家の令嬢と名乗れるわ。

それでも、ジェルメーヌの思いは、あちらに行ったり、こちらに戻ったり、
自分でも分からない程揺れていた。
オスカルが言った、100%ではない・・・。も気になった。

ただ、分かっているのは、ここでの暮らしには、耐えられない。
パリに戻っても、暮らす術を知らない・・・と言う事だけだった。

フカフカのベッドがないから・・・。

その時、ノックの音が聞こえた。
そして、
「ジェルメーヌさん、お加減はいかがですか?
ジョルジェットです。入っても宜しいかしら?」

ジャルママが、来た。
何の為に、わざわざいらしたのだろう?

ジェルメーヌは、重い腰を上げて、ドアを開けた。
輝くような真っ白な肌をした、ジャルママが立っていた。
ジェルメーヌは、思った。

どうして、この血筋の女性は、日にも焼けず、乾燥にも強い素晴らしい、肌を持っているのだろうか?明日になったら、アリエノールちゃんに聞いてみようか?
あ!明日は、もう此処にはいないのよね。

少しお話があるから、入ってもいいかしら。という、ジャルママを、窓際のテーブルに案内し、2人窓に向かって座った。

「お顔の色は、良くなったみたいですね。
お話しと言うのは・・・。
少し長くなるかもしれないけど、いいかしら?」
と、言いながらも、有無を言わせない言い方だった。

「昔ね。わたしが、5番目の子どもを身ごもっていた時、4番目と年子だったから、それは、それは、大変で・・・。

ああ、ごめんなさいね。普通の貴族は、子どもが生まれると、乳母を付けて、子守りを付けて、年頃になると、修道院に入れて・・・そして、お輿入れが、普通ですね。

ですけど、ジャルジェ家では、子どもを自分の手元に置いて、出来る限り、自分の手で育てるのが、習わしなのです。

ですから、乳飲み子と、お腹の子ども、それに、まだ、お嫁に行くには早い娘たち。わたしは、使用人たちに目を配る事も出来ない程でした。そんな時に、助けてくれたのが、アンドレの祖母・・・ばあや、だったの。

そんなこんなで、出産を乗り切ると、出不精のわたしでも、少しは、サロンやら、夜会に出かけなければならなくなりました。

そうすると、そう言う所には、お節介な、噂好きな方が、いらしてね。わたしが、そう言う所から遠ざかっていた時に、起こった出来事を、逐一教えてくれるのです。まあ、ほとんどは、くだらない世間話で、右の耳から入れて、左の耳から出していましたけどね。

ただ一つ、どうしても、気になった噂がありましたの。
夫の事でした」

此処まで聞いて、ジェルメーヌは、ドキッとした。
しかし、ジャルママが、あまりにも穏やかに話すものだから、ドキッを追いやってしまった。

「ある、舞踏会で、真っ白な雪のようなご令嬢と、あの、堅物が踊っていたというのです。わたしは、そんな事があるはずない。と一笑に付して、忘れてしまいました。

そうしたら、ある高貴な貴族のとても美しいご令嬢が、オーストリアに嫁がれると聞きました。それも、お相手は、かなりの年配の、もしかしたら、花嫁が到着する前に、死の床に就くかもしれない位の、ご高齢。

不思議な事もあるものだ。と、思いましたよ。そうよねぇ、高貴な貴族のとても美しいご令嬢なら、このフランスに、嫁として迎えたいという殿方が大勢いらっしゃるはずです。わたしは、何故か気になって、その方の行く末を見守っていました。

すると、嫁がれて、月が満たないのに、ご出産されたと・・・。
死の床に就くかもしれない方のお子さんを・・・。」

此処まで聞いて、ジェルメーヌは、ガタガタと震えが来た。
だが、ジャルママは、あくまでも優しく、赤子に話すように、ゆっくりと話を進めた。

「その後、嫁がれた方は、お亡くなりになったとお聞きしました。
それからしばらく、そのお子さまのお話しは、聞かなかったのです。
わたしも、もう、聞く必要も無いと思っていました。

そうしたら、オスカルが、アンドレの所で女性にしては、素晴らしい人に出合った。気も合うんだ。訳があって、本宅には住んでいないが、別宅もさすがに、公爵家だな、凄かったぞ!

って、嬉しそうに話してくれました。
ああ、いらしたのね。
幸せそうに暮らしているのね。
とても、安堵しました。

それからまた、ぷっつりと行方が途絶えたかと思ったら、ある日突然、このアラスにいらしたのです。オスカルにどことなく、似ていました。それまで、くすぶっていたモノが、ストンと腑に落ちました。

でも、わたしは確信を持ちたいので、その日の晩餐で、シモーヌに言って、末席に座らせてもらいました。少し離れた席に座れば、そっと、見比べる事が出来るだろうと思いましたので・・・。

思っていた通り、お父さまそっくり。
眉の形、口の形、鼻までそっくりだから、可笑しくなってしまいました。

ジェルメーヌさん・・・。」
ジャルママは、テーブルの上に乗っている、
ジェルメーヌの手をそっと、包み込んだ。

「ジャルジェ家の血も、引いていますね?」
ジャルママは、真っ直ぐにジェルメーヌの目を見た。
ジェルメーヌも、ジャルママの目を真っ直ぐにみて、頷いた。

ジャルママは、続けた。
「かわいそうに、あの頑固者の、朴念仁は知らないのでしょう?

男の社会に翻弄されるのは、わたし達女たちです。
オスカルも、男社会でなければ、あの様に育てられる事はなかったわ。

ても、あの娘には、アンドレがついていました。
女の性を持って、男として生きる事が出来たのも、アンドレがいたからです。

それに、あの娘は、男としての役割もキチンと成し遂げました。
そして、女としての幸せも掴んでいます。

まだまだ、女が主張する時代にはなっていませんが、
でも、男の舵を取るのも、女が持って生まれた能力です。

あゝ、ごめんなさい。余計な事を話してしまいました。

ジェルメーヌさん、貴女が良ければ、此処にずっといてくださっていいのよ。オスカル達が、パリに戻るとか言っているから、身を寄せるところがなくて、困ってらっしゃるなら、此処にいなさい。

もし、オスカル達について、パリに行っても、
困った事になったら、必ずこちらに戻っていらっしゃい。

こんなに、オスカルに似ているのだもの。わたしの7番目の娘だわ。

もし、決まったら、何も言わずに此処で生活していてね。
オスカルは、知っていますね?
見ていれば、分かります。

では、年寄りは、退散しますね。お邪魔してごめんなさい」

こうして、ジャルママは去って行った。
ドアがパタンと閉まった途端、ジェルメーヌの瞳から涙が溢れ出た。
なんて、鋭い母娘なのだろうか・・・。

それに、なんて、心が広く、温かい人たちなのだろう。
おおらかで、芯の強さがある。

特に、夫人・・・。
あんなにおっとりとしているのに、何処から出てくるのかしら?
やっぱり、将軍家を支えてきただけあるのね!
でも、私は・・・。

   *******************

ジャルママは、その足でオスカルの部屋に向かった。
「オスカル、いらっしゃるのでしょ?
入っていいかしら?」

言うなり、返事を待たずに、ジャルママはドアを押し開けた。
オスカルが、独りでいる事は、既に知っていた。

アンドレは、パン焼き窯の養生に、忙しく働いていた。
2人の子どもは、アンドレの弟の子ども・・・
従兄妹と屋敷内を走り回って、遊んでいる。

従って、オスカルは独りだった。

キョトンと、オスカルは、言った。
「母上、わざわざなんですか?
ご用なら、こちらから伺いますのに・・・」

ジャルママとしては、珍しく、単刀直入に言った。
「いい加減に、アンドレと仲直りしなさいな!」

珍しく、オスカルは、焦ってうろたえてしまった。
だから、しらばっくれる・・・と言う事を忘れてしまった。
「え゛・・・なんで、母上が知っているのですか?」

やはり、そうだったのね・・・。そう思いながらジャルママは、
「貴女も母親でしょ?
だったら、子どもの隠している事くらい、わかるはずだわ」

「参りました。
でも、母上」
降参・・・。とオスカルは、手を上げた。
なんとか、この話題から逃げようとしたが、
やはり母には叶わず、先を越されてしまった。

「ほほほほ・・・幼い頃は、何となく自然に仲直りできたけど、
大人になると、難しいものですね。
それに今回は、貴女から、歩み寄らなくてはならない問題の様ですね。

それならば・・・貴女には、苦手な分野かもしれないけど、
貴女が動かなければ解決しないのでしょう?

アンドレは、待っていますよ。
待っているのが、得意な彼も、そろそろ限界に来ている様です。

早い方が、良いとわたしは思いますよ」
言うだけ言うと、ジャルママは、出て行った。

どの子も、どの子もいつになったら、手が離れるのかしら・・・。
ため息をついたが、手が離れたら、また、寂しくなるのだろう。

そう考えながら、そろそろ、畑から戻って来る家族の為に、
湯を沸かしに食堂へ向かった。


つづく
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