夜も更けて来た。
窓の外の雨音は、一層激しくなっているようだ。

マスキングテープで、キッチリと分けられたベッドに、オスカルとアンドレがキッチリとマスキングテープとベッドの端の真ん中に横たわっていた。

「今夜遅くに、ジェローデルは、発つのだな。
なにも、夜中なのだから雨まで降らせることはないだろうに・・・。
パン焼き窯が、なかなか乾燥しない・・・。

ジェルメーヌも・・・行くのだろうか」
アンドレが、ジェルメーヌ・・・。の所でちょっと言いにくそうだった。

「行くのではないか?
ジェローデルと行けば、彼女が望む生活が出来ると思っているらしい」
オスカルは、気にも留めずに答えた。

「そうだな・・・。
なあ、オスカル!」
弾んだ声で、アンドレが話題を変えた。

「こっちには、進入禁止だからな」
静かな、でも毅然とした声で、制した。

「分かっている。不可侵条約を結んでいるからな!
アリエノールの誕生日プレゼントだよ」

「アリエノールの誕生日プレゼント?!」
しまった。忘れていた。

フランス歴史学の権威、ジェローデル准教授の講義が忙しくてすっかり忘れていた。

母親失格だな。
やはり、アンドレがいてくれないと、我が家は、ガタガタだ。
オスカルは、そっと手をアンドレの方へと伸ばそうとして、やめた。

アンドレは、そんな事には気づかず、
「アリエノールは、馬が欲しいと言っている。
あの仔馬は、まだ、乗るには弱っているが、間もなく元気になるだろう。

それと・・・ママンとお揃いの・・・」

オスカルは、娘が人形にだけ興味を持っていたのではなく、
乗馬にも興味を示したことが嬉しくて、話に割って入った。

「え゛・・・乗馬靴か?」

アンドレは、意地悪そうに言いたかったが、さも、楽しそうに言った。
「イヤ、違う。ブラウスとズボンが欲しいそうだ」
そして、オスカルの反応を待った。

案の定、
「作れって、言うのか?」
ため息と共に、それでも、娘の為に男の服を作る!と言う喜びがあった。

「じゃあ、人形のドレス2着は、後回しだな」
当然のように、ママンオスカルは、断言した。

だが、娘アリエノールの要求は一段高かった。
「それも一緒に、欲しいそうだ」

オスカルは、天井を向いていたのを、夫の方へ顔を向けた。
アンドレは、ニカッと笑っている。
枕を投げてやろうか!オスカルは、思ったが、
自分の枕さえ、向こうの領土に侵入させる気がなかった。

それよりなにより。
だから、オンナの子を、
女として、育てるなんて無理だったんだ!

次は、男の子だろうと、女の子だろうが、男として育てよう!
密かに決心したオスカルは、アンドレを許していない事を忘れていた。

オスカルが、馬の話に戻した。
「そういえば、ずっと馬にも乗っていないな。
以前は、尻にタコが出来るくらい、毎日乗っていたが・・・」

そう言いながら、自分の尻を触っているのが、毛布を掛けていても丸わかりで、アンドレは、愛おしくてたまらない・・・。と、見ていた。

「そうだな、ジャポンでも乗っていなかったからな」
アンドレが、懐かしそうに言った。

「ああ、そうだな」
と、ボソッとオスカルは、言った。

しかし、自分がジャポンの事をかなり忘れている事に、焦った。
ここは、馬の話からやはり離れた方が良いと、

「とにかく、また、裁縫だ。
生地はどうしよう。ズボン用の黒の生地なんて、衣裳部屋にあるのか?
真っ白な生地も探さなくてはならないな」
言った途端、オスカルは頭痛がしてきた。

「ブラウスは、おまえが、コテの跡をしっかりと付けたおれのシャツを切り刻め!
2着分くらいは、出来るぞ!」
アンドレは、未来の花嫁のために、寛容だ。

今度は、アンドレが話を変えて来た。
「それで・・・。いつ頃、パリに戻るか?」
「まだ、戻るとは、決めていないぞ」
オスカルが、即答した。

アンドレは、暗闇の中で微笑みながら・・・。
「ふん!その気でいるくせに・・・。」

「バレたか!おまえのパン焼きかまどが、完成したらかな?
おまえの、誕生日は何処で祝うのだろう?」
いつものように、うやむやに言うが、それだけで、アンドレには通じていた。

そろそろ、寝ようかと2人して、口をつぐんだ時、オスカルが、突然、アンドレにとって、話題にして欲しくない事を言い出した。

「おお、忘れていた。アランの花嫁を探して帰るのだった。
何処かに居ないか?ジャネットの娘じゃ、まだ若すぎるか?
しっかり者になると思うが・・・。」

アンドレは、オスカルが候補に挙げた娘が、2人の姪で、しかも今、5歳と言うのに呆れ果てた。

が、アンドレが、間もなく4歳になる、アリエノールを嫁にと育てているのを考えると、オスカルが言いそうなことだと納得した。

「無理だな!彼女が・・・っていうんじゃない。
アランだ・・・。
あいつは、まだケツの青いガキさ・・・。
当分、独りでいるのが合っている」

オスカルは、ビックリした。
この世に尻の青い人間がいる事など知らなかった。
そして身近にいたのだ。

アランのケツは青かったのか・・・。
うちの子ども達は、青くはないぞ。良かった(*’▽’)
今度、アランに会ったら、見せてもらうかな!
ケツの青いのなんて、初めてだ!

そんな事を、妻が妄想しながら眠りの底に落ちて言ったなどと、知らずに、アンドレも眠りの底に、ドスン!と落ちた。

  *******************

夜のしじまの中、オスカルはマスキングテープの向こう側にいる夫がぐっすりと眠っているのを確かめると、そっとベッドを抜け出した。
衣擦れがしないようガウンもそっと着る。

廊下に出ると、やっと、ほう~っと息を吐いた。
まるで今まで、息を止めていたような感じがした。

下階に行き、テラスに出る。
月がくっきりときれいだった。
月明かりのお陰で、オスカルも、此処まで辿りつけた。

ベンチに腰掛け、月を見上げる。
星も瞬いている。

ここに来て、初めて独りでゆっくりとした。
考えなければならない事が、山のように有ったが、
日々の暮らしに追われ全て後回しになっていた。

先ずは、アンドレとの和解を何とかしなければならない。
もっと早くに、こちらから、頬に口付けをして、微笑めば、直ぐに解決したはずだった。

意地になって、マスキングテープなどを持ち出したら、
収拾がつかなくなってしまった。

アンドレが、珍しく耐えているのも知っていた。
いつもだったら、なんちゃら、美辞麗句を述べて、抱きしめてくれて、『どうだ?そろそろ、許してくれるか?』とか言って。
とろけそうな微笑みを見せてくれて。

・・・解決するのだ。

今回はそのような解決法では、わたしの方にしこりが残る事を知っている。
だから、黙っている。
待っている。

真夏の月見ですか・・・。
貴女には、月の光よりも、陽光の方が、お似合いですね。

そして、彼にこそ、貴女の光で輝く月ですね。
おお、これは、失礼しました。
彼を想って、月を愛でていたのですね。

急に、しかし、静かな声がオスカルの背後からした。
異端のポーの一族だった。

分かっているのなら、独りにしておいてくれ!
オスカルも静かに答えた。

言いながら、この人間ではない。
そして、今夜遅くに、出て行き、二度と会わない男に、
胸の内を語ってもいいかとも思った。

長い間、近衛で任務をしてきた仲である。
お互いの、考え方も分かっていた。
口の堅い事も当然、知っていた。

オスカルのそんな思いが通じたのか、
ジェローデルはそっと隣のベンチに腰掛けた。
そして、勝手に語り始めた。

「オトコと言うのは、面倒な生き物で、自分を自分で制御できない時期があるのですよ。その為の、金があるものは、その手の手段を使って、自分を押さえる事が出来ます。

ですが、金を持たない者は・・・、ご存知でしょうか?
パリの、ヴェルサイユの下町の路地裏で、事件が起きている事を・・・。

そして、被害にあった者は、可哀想ながら何処にも訴える事が出来ず、
泣き寝入りするしかないのです。

だが、彼は金を持ち合わせていた。
商売とは言え、お互い了承の上で・・・
相手にとっては、商売だった。

需要と供給があった。
それだけの事です」

淡々と語られる言葉にオスカルは、黙って聞き入っていた。
何故、彼がそのような事を知っているのか・・・。
そんな事は、どうでも良かった。

何しろ彼は、異端のポーの一族なのだから。

それに・・・そのような問題は、もうどうでも良かった。
アンドレにどのような過去があろうと構わなかった。

とにかく、どうしようもなく、夫を愛していた。
彼なしでは、生きられない程、愛していた。
どうやって、夫にそれを伝えたらいいのか、
そちらの方が今となっては、重要問題になっていた。

また、胸の内を読んだかのように、ジェローデルが話し出した。
貴女は、愛情の伝え方が苦手の様ですね。

うまく行っている時は、多分、誰も知らない、貴女の彼しか知らない甘え上手な貴女が出てくるかもしれない。

でも、今のような場合・・・苦手なのじゃなくて、初めてなのですね。

ふふふ・・・今まで、彼とは何度も諍いがあったはずだ。
その度に、彼の方が折れてきたのですね。

今回は、初めて彼の方が寄ってこない。
貴女は、それにさえ苛立っているのじゃないですか?

そして、反対の方へ。
より彼との距離が隔たっていく方へと、向かって行ってしまう。
違いますか?

オスカルは、反論できなかった。

マスキングテープを引いたのも、この位おふざけをすれば、アンドレが笑って抱きしめてくれるのかと思った。そうしたら、本当にその一線を越えてこなくなってしまった。

アンドレのシャツに思いっ切りアイロンのコテで、焼き色を作ってみた。
それでも、夫は、微笑むだけで、近寄ってはくれない。
今回の問題については、夫は全てをオスカルに丸投げしてしまったようだ。

ジェローデルは、続けた。
このように、デリケートな問題になると、
普通の・・・大人になって知り合った、夫婦なら、大喧嘩の怒鳴り合い、物を投げたり投げられたり。・・・そうして、いつの間にか、お互い笑っているのです。

しかし、あなた方の場合、それが起きた時も共に生きていたのです。
そして、あなたたちは、主従関係だった。
だから、ややこしくなっているのですね。

そんな、あなたが・・・
私には痛々しい。

彼の、大きな胸は・・・
いつでも・・・
いつまでも・・・
貴女だけをうけとめる用意が、できている。

背伸びをやめて、素直におなりなさい。
家庭内別居のただ中へ、まっしぐらに、
むかっていく前に、たちどまって・・・。

いつの間にか、ジェローデルが、目の前に立っていた。
ジェローデルの手が、オスカルを捕まえた。
オスカルは、軽い驚きと共に、ジェローデルを見上げた。

ジェローデルの唇がおりて来た。
オスカルのそれと、重なる。

オスカルは、逃げようとしたが、身体がそれを止めた。
ジェローデルの唇は、氷のように冷たかった。
アンドレ以外の男性と、この様な熱くて冷たい、口づけをしたのは、初めてだった。

以前、ジェローデルと口付けをした時は、ほんの一瞬だった。
(あらまあ、ホントに、原作になってしまった(*ノωノ)
ネコ軍団は何処に行ったのかしら・・・。)

愛してもいないのに、口づけが出来るとは・・・。
オスカルは、冷たい氷の口づけに酔った。

愛してもいないオトコの、口づけに酔うなんて・・・。

いつも間にか、オスカルの腕はジェローデルの首に回され、
ジェローデルの腕は、オスカルの背中に回り、
薄衣二枚の儚い背中を、腰を、手が行き来していた。

ジェローデルの口づけから逃れるとオスカルは、言った。
おまえ、わたしの血を吸ったな?!

ふふふ・・・思っていた通り・・・。
いいえ、それよりずっと、濃い強いバラの香りがします。
貴女をお連れできないのが、残念です。

な、何をするのだ!
オスカルが、叫んだ。
ジェローデルが、夜着の前を開いて、鎖骨の下に口を付けた。

ちょっとこちらのエネジーも、味わいたくて・・・。
申し訳ありませんが、くちびるは赤いので、分かりませんが、
こちらは、真っ白なのでかなり、跡が残ると思われます。

当分は、アンドレを近づけないよう、お願いします。
勿論、貴女がアンドレに、停戦を持ち掛けない限り、
アンドレは貴女に触れないでしょうから、ご安心を・・・。

おまえ、もしかして、アンドレではなく、
わたしにリベンジしに来たのか?

おや、気が付きませんでしたか?
あの頃から、貴女はアンドレを想って、ただ一度だけ、触れるだけの口づけしか許していただけませんでした。

再び、ジェローデルは、再びオスカルのくちびるに、
己のくちびるを近づけようとした。

ばちーん!
今度は、オスカルは、ジェローデルの頬を両手で、思いっ切り左右から挟み込んだ。

両手で挟むなんて貴女らしくないです。
素直におなりなさい。

そして、アンドレと仲直りしてください。

どうして、おまえが、そんなに、しつこく夫婦間の問題に口を挟むのだ!
それに、胸に後を付けたから、しばらく、アンドレに見せるな、などと言って、矛盾しているじゃないか?

オトコとオンナの間は、矛盾だらけなのです。
それに、あなた達夫婦の問題には、口を挟まないわけにはいかないのです。

何故なら、アンドレが不幸になると、私も不幸になってしまうのです。

え゛・・・おまえ、その気があったのか?
ポーになって、その上、ゲイにもなったのか?
そういえば、おまえは女嫌いでも、通っていたな。
やはり、素地はあったのだな。

違います。私はゲイではありません。
ただ、アンドレの幸不幸が、私にも作用するのです。

なんか、よく分からないなぁ!
オスカルは頭をフリフリ考えていると、オスカルの立ち姿が表紙になっている、6巻が差し出された。

読んでみてください。

この間から、色々読まされるなぁ。
オスカルは、お気に入りの、ブイエ将軍が落馬して、その後、フランソワに『隊長、行かないでください』の個所を読んだ。ウルウルした。

それを見ていた。ジェローデルは、そこではないのです。
悲しい事ですが、私が貴女から、引導を渡される所です。

オスカルは、ページを繰って、ジェローデルを呼び出したところを読んだ。

ああ、この時、アンドレを愛していたのに・・・。
気づかず、アンドレを待たせてしまって、申し訳なかったな。
またもや、オスカルはウルウルした。

それを見て、ジェローデルが、やっとわかって頂けましたか?
晴れ晴れとした声で、言った。

ああ、分かった。
あの頃から、わたしはアンドレを愛していたのだ。
そんなわたしを、『天然』と呼ぶ輩もいる。

そこでは、ないのです。
いえ、そこなのですが、解釈が違っています。

アンドレの不幸が、おまえも不幸にする・・・。
だったな?
何処にもそんな事、描かれていないぞ。

ですから!アンドレが不幸になると、マドモアゼルが不幸になる。そして、マドモアゼルが不幸になると、この私が不幸になってしまう。

つまりは、アンドレの幸不幸が、私の幸不幸に繋がるのです。
お分かりになりましたか?

オスカルは、ポカンと口を開けた。
なんという解釈だろうか?

では、わたしが不幸になると、多分アンドレも不幸になるだろう。
そうすると、わたし達夫婦の、幸不幸が、この男の、人生を左右しているのか・・・。

では、今おまえは、あまり幸せではないという事か?
オスカルは、胸の内を吐露した。

ジェローデル、おまえはこれから先も、何百年もずっと生きて行くのだろう。その途中で、わたしもアンドレもあの世に行くだろう?その時は、どうなるのだ?おまえの、幸不幸は、どの様になるのだ?

よくぞ聞いてくださいました。
その時こそ、私に安息の日々が訪れるのです。

オスカルが、また、ポカンと口を開けた。

そこへ、再びジェローデルのくちびるが、合わさった。

オスカルの頭の中で、ジェローデルの話し声が聞こえた。

いかがですか?愛情のない、口づけをする気分は・・・。
ずっと、いつからアンドレと口づけをしていないのですか?
とても、唇が唇を欲しがっていますね。
少しは、分かって頂けましたか?

男の性というものを・・・。
女性にも・・・こうしてあるのです。

男の性・・・。
女の性・・・。
オスカルは、アンドレを想った。

心配なさることは、ありません。
ポーにはそのような、欲望は無いのですから。
私は、ただ、貴女のくちびるに触れたいだけなのです。

もう、貴女に会う事はないでしょう。
ですから、貴女によく似た女性を連れて行く事に決めました。
彼女も、貴女と同じバラの香りの、血を持っていらっしゃる・・・。

欲望が、ないのに出来るのか?

  *******************

「どうした?オスカル?」
気が付くと、オスカルはベッドの上、ガバッと起き上がったようだ。
夫が心配そうに見つめていた。

「なんでもない。足をつりそうになった夢を見た。」
そう言って、オスカルはまた、横になった。
暗闇の中で、そっとくちびるに触れてみる。
冷たい感触があった。

でも、自分は、温かく、弾力のある、愛情のこもった、アンドレのくちびるが欲しいと、切に思った。

夫の方を向いてみた。
背を向けて、寝てしまったようだ。

いつもなら、夢であろうと、心配して、ふくらはぎをマッサージしてくれるはずだ。大丈夫だと言っても・・・。

アンドレは、必死でオスカルの方を見ないように、努力していた。
確かに妻は、『ないのに出来るのか?』と言った。
愛してもいないのに・・・。なのか。
それとも、名前も知らないのに・・・。なのか。

兎に角、妻は、若い頃のおれの行動に、まだ、拘っているようだ。
でも、血気盛んな18の頃の事だ。

オスカルだって、もう34歳、若い娘じゃあるまいし、それに2児の母親だ。
その位の事理解してくれてもいいものを・・・。

これじゃあ、プチ・アンドレが年頃になったら、厳格な母親になってしまう。
その為にも、おれから、折れるわけにはいかないと、アンドレも意地を張っていた。

しかし、あまりに意地を張ってしまったので、彼女はこういう状態を、乗り越える術を、知らないのを忘れていた。

待つか・・・。
待つか ・・・。
アンドレ?
おまえは・・・おれは、待てるのか・・・。
いつまで待てば、いいのだ?オスカル?

  *******************

そして、その頃、ジェルメーヌは、約束通り、何も持たず、たった一着持っているシモーヌのドレスを着て、屋敷の奥まった所にある、ジェローデルの部屋へと向かった。

つづく

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