午後から、オスカルは、訓練の様子を見まわった以外、全ての時間を、書類との格闘に費やした。しかしながら、一向に山になっている、書類は減った感じが少しもなく、達成感を得られることはなかった。

一方のジェローデルも、アンドレの机の山を切り崩す事に、専念している。こちらは、2人掛かりだが、書類の内容を検討しなければならない為、一向に進まない。

突然。ジェローデルが、
「隊長、本日は、これにて失礼いたします」
と、言い出した。

時間の感覚がない、オスカルは、窓の外を見渡し、卓上の時計を見て、不愉快そうに、
「なんだ!まだ、明るいではないか?
近衛は、10時に来て、6時に業務終了か?

それにまだ、書類が、ほら!こんなに残っているぞ!」
アンドレが居れば、1日で片付くのに・・・それも、楽しく冗談をぶちかましながら、・・・と、思いながら言った。

オスカルは、書類の山を作ったのは、自分自身である事なんか、すっかり忘れていた。

ジェローデルは、淡々と、
「本日は、急なこちらへの配属でしたので、向こうの業務が、滞りなく行われているか。
それと、明日からの、指示をしてまいりたいと思います。

明日からは、朝一から、なんなら深夜まででも、こちらで、勤務いたします。
お望みなら、お屋敷の方へ、お迎えに上がりましょうか?
それに・・・」
と、チラッとオスカルの執務机の上を眺めて、

「隊長の方も、お渡しした書類の処理は、本日では終わらないかと、ご拝察いたします。
明日、一番に、美しい貴女にお目にかかれることを、楽しみにしております。
では、失礼いたします」

キリっと、敬礼すると、ジェローデルは、コルミエ少尉を従えて出て行った。
その後ろ姿に、迎えはいらん!と、オスカルは怒鳴り付けて、

「ふん!」と、美しいその姿に似つかわしくない、悪態をつくと、再び、書類との格闘を始めようとして、ふと、手を止めた。

『読まないまま、サインして良いもの』
『目を通してから、サインするもの』
『判断を必要とするもの』
『返信を、書かねばならないもの』
・・・オスカルは、山の数を見ていった。

何か足りない・・・
なにか、大切な書類を見落としている・・・。
アンドレなら、真っ先に持ってくるはずの・・・書類。

そっと、打ち合わせテーブルに近寄ってみた。テーブルの上に、嫌味なくらい丁寧な文字で、それぞれの分類が書かれた、紙が置いてある。
その一番隅っこに、大きな『?』が書いてある紙があった。

オスカルの顔が、輝いた。走り寄って、その山の一番上の一枚を、手に取ってみた。
これだ!この文書を待っていたのだ。

その紙には、ひどく汚い、仮名釘流の、判読しがたい文章が、書かれていた。兵士たちの、日ごろの任務、生活、などすべてにわたる事に関しての、要望、感想などなど(時には、ラブレターまがいの物も)が、書かれているはずである。

時には、こんなのもあった『隊長の訓練のお陰で、あちこちに筋肉が付きました。軍服がきつくて、今度は動けなくなりました。新しいのを支給してください』
これには、アンドレとふたりで、訴える場所が違うと、腹を抱えて笑ったものだった。

今、オスカルは、隊員達からの要望書だか、感想だかを手にしているが、読む事が出来なかった。この、兵士達の独特といえば聞こえがいいが、文字を習った事が無い者たちが、書いた文章を判読できるのは、衛兵隊広しといえど、アンドレしかいなかったからだ。

なんとか、読むことはできないかと、オスカルは、一枚を持って、己の席に戻った。果たしてこれが、アルファベットと呼べるものなのか?文字が判読できれば、スペルなど少しくらい、間違っていても、どうにかなるものだが、上官からの無理難題よりも、難しかった。

オスカルが、誰が書いたのか、何を書いたのか、分からない文書に没頭していると、廊下から、どやどや、ガヤガヤと男たちが歩いてくる気配がした。

この時間に、何か問題でも起きたのか?
書類仕事よりは、遣り甲斐があるというものだ!と、オスカルは、ドアがノックされるのを、心待ちにした。

すると、驚いたことに、ノックもなく、衛兵隊では見慣れない、大男3人が、ずかずかと、司令官室へと入ってきて、開口一番!

「オスカル!やったな!おめでとう!」
「ついに、おまえも目覚めたか!」
「本当に、女だったのだな!」

姿かたちも違えば、声色も違うが、3人の顔には、喜びがあふれ、長年の熱い友情が感じられた。

海軍に属する、ド・ギランド、近衛のロドリゲ、陸軍に所属の、ラ・トゥールである。
同じ年に、それぞれ違った年齢で、士官学校に入学し、当初女である為、敬遠されていたオスカルの実力を、最初に認めて、それからずっと変わらぬ友情を温めてきた仲間である。

ド・ギランドが、オスカルの執務机の書類を見た。
「ほお!これだけ、溜めこんだのか!
冷静に先を読む、おまえにしては珍しい」

ラ・トゥールが続ける。
「まあ、それだけ、強烈な目覚めだって事だな」

ロドリゲが、冷静に、
「では、我々が来たからには、ちょちょいと片づけて、
何処かに、行くとするか!」

この言葉に、オスカルの顔が明るくなった。

と、同時に、それまで直立不動でいた、ロジェが青ざめた。
ロジェは、アンドレから、
オスカルの側を、絶対に離れない事。
その日一日、オスカルに有ったことを、帰宅後、どんなに遅くなっても、逐一報告する事。
と、厳命を受けてきたのである。

アンドレが、怖いのではない。
まあ、真剣なまなざしで、伝えたアンドレも怖かったけど。
勤め先の、美しく凛々しくて、今まで近寄る事すら出来なかった、次期当主の、オスカルさまの側に一日中居られる、畏れ多さと、緊張から、もう、体力と気力の限界に来ていた。

その上、事務仕事が、半端ないというのに、この次期当主は、衛兵隊の端から端まで、歩き回った為、『オスカルに有ったこと』が、多すぎるのである。

もう、これ以上、覚えるのも限界に来ていた。

兄貴分として慕っている、アンドレの期待に応えるべく、指を折りながら、出来事を数えてきたが、指が足りなくなってきた。そんな時、ジェローデルが、退出したので、今日はもう何もないと、ホッとしたところだったのである。

ロジェは、もともとジャルジェ家の掃除担当だった。朝は、夜明けの早いこの時期でも、明るくなる前から起き。まず、屋敷の玄関ホール、玄関の扉、・・・と、屋敷の主たちの目に留まる所を掃除して廻り、現当主ジャルジェ将軍と、次期当主ジャルジェ准将が、出かけるとそれぞれの部屋の、侍女達の手の届かない所を掃除して回るのが仕事だった。

その為、その仕事は、早朝から始まり、昼過ぎには終わるので、仮眠を取り、アンドレが帰宅する頃、起きだして、兄貴分のアンドレに連れられて、飲みに行くこともあった

その為、昨夜、宮廷からの緊急地震速報ならぬ、緊急招集速報を受けた、オスカルとアンドレが、深夜若しくは、夜明け前とも言えるが。(ああ、日本語ってややこしい!)兎に角、まだ、使用人たちが起きてこない時間に、屋敷に戻ってきたアンドレは、その日から、オスカルに就く、護衛の者を探さねばと、馬車に揺られながら考えてきたのであった。

そこに、職務に忠実な、ロジェがいた。仕事ぶりを見てみる。体つきも見てみる。

アンドレよりは、やや体格は劣るものの、力は十分ありそうだ。彼にしよう!と、言うか、その時間起きているのは、彼の他、数人の掃除係だけだった。他のものは、アンドレから見ると、きゃしゃで、とてもオスカルの護衛を任せられるような男はいなかったのである。
こうして、ロジェは、自分にとっては、貧乏くじを引いてしまったのである。

こんなことなら、文字を覚えていれば、メモする事も出来ただろうに・・・
もしかしたら、アンドレが気を利かせて、スマホを持たせてくれたかもしれないのに・・・
しかし、残念ながら、ロジェは、その頭に、刻み込むこと以外、なすすべが無かった。

つづく



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