Now I’m Here

男は黙々と働いていた。
暮らし向きは貧しくはないが、決して楽でもなかったが、そこには喜びがあった。

小さいながらも自分の城、自分の店を持ち、主から指図される事なく自分の采配で自分の為に働く事が出来た。ただ一つ、黄金の髪を持ち、青い瞳の生涯でただ一人と決めた、愛する女性の姿を思い出す時だけ、心が言い知れぬ虚無感を感じることを止めることは出来なかった。

アンドレ・グランディエ、26歳。が、ここヴェルサイユの下町に住み始めて一年が経とうとしていた。

アンドレが所有するこの酒場。カッコよく言えば『Shot Bar ANDRE』は、彼がジャルジェ家を飛び出した晩に転がり込んだ酒場である。当初、持ち主のオヤジさんの手伝いをしながら、なんとなく居続けていた。

ある日、オヤジさんが「アンドレ、お前さん、パ・ド・カレのアラスの近くの出身だろ?」と聞いてきた。びっくりして聞いてみると、オヤジさんもパ・ド・カレ出身で代々『アンドレ』の名を継ぐグランディエ家をよく知っていたらしい。今のグランディエ氏が、領主の娘の遊び相手として長男をヴェルサイユに奉公に出したことも知っていた。



同郷であると分かると、お互い親しみがわき話も弾むものだ。とアンドレは思ったが、このオヤジさんなかなかに手強く、自分の事は余り話したがらない。アンドレ自身もジャルジェ家を出た経緯なんぞ聞かれたら、堪らないので、成るべく触れないようにしていた。

しかし、いくらお互い隠していても、一緒に暮らしていると、知れてくる部分もある。

オヤジさんはどうやら息子が一人居て、パリで食堂を営んでいるらしい。しかし、漸く入手できた情報はそれだけであった。ただ、オヤジさんは、転がり込んできただけの、いつ出ていくとも知れないアンドレに、商売のノウハウ、裏の畑の手入れの仕方、ついては飼っている鶏の飼育法など詳しく伝授してくれた。

アンドレが仕事を覚えてくると、オヤジさんはパリの息子のところにしばしば行くようになり、酒場が開く時間までに帰ってきたのが、段々と泊まって来るようになり、アンドレに店を任せるようになっていった。

ある晩、と言っても夜明けに近かったが、アンドレが店を閉めようとしていると、オヤジさんが「少し、飲まないか・・・」と誘ってきた。珍しいこともあるものだ。と、アンドレがオヤジさんの隣に腰掛けると、オヤジさんはぽつりぽつりと話し出した。

昔、パ・ド・カレにいた頃は、炭鉱で父親と一緒に働いていたが、日の当たる所に出たくて、パ・ド・カレを飛び出し、ヴェルサイユにやってきた。そして、貴族の屋敷で下働きをしていた事。その屋敷にはまだ若く美しい令嬢がいた事。

その令嬢と初めはすれ違う時目が合うくらいだったのが、その内微笑み合うようになった事。そして、言葉を交わし、手を取り合い、秘密を持ち出した頃、妊娠させてしまった事。それが主に知れ、令嬢はとある貴族の元に泣く泣く嫁いだが、平民の子どもなど要らないと、生まれた子供共々屋敷を放り出された事。

その子どもが、今パリにいる息子である事。そして、あの頃は彼女をさらってまで一緒になろうなど恐れ多い事が出来なかった・・・と、オヤジさんは話した。

「アンドレ、お前さんも多かれ少なかれ、似たようなものじゃろう?」と言って笑った。アンドレは、何も言えなかった。

更にオヤジさんは、お前さんは後悔の無いよう行動しろと付け足した。・・・で、お前さんはここで彼女を待つつもりか?と聞いてきた。が、アンドレの答えを待たずに、オヤジさんは話を続けた。実はそろそろこの店をたたんで引退しよう、と考えていたのだが、お前さん、後を継がないか?と聞いてきた。

引退してどうするのかと聞くと、息子の所で昼間働こうと思っている。・・・
そろそろ夜の仕事が辛くなってきた、と笑った。

ここは、場所も良い、良い客も付いている。・・・だから、その分売値も高いが、お前さんなら同郷のよしみで考えないこともないし、何なら分割でもいい、とオヤジさんは言った。

アンドレにとっては願ってもいない話であった。ヴェルサイユに暮らせて、仕事も住居も手に入る。夢のような話であった。

アンドレが承諾すると、商談となった。オヤジさんはかなり遠慮した金額を提示してきたようだったが・・・。それよりも、平民と言っても生まれてからずっと、貴族のオスカルと共に育ってきたアンドレ、・・・不動産の事など予備知識が全くなかったので、・・・何とどう比べていいのか、・・・

さすがのアンドレもこの件に関しては全くの情報不足であった。取り敢えず、手持ちの通帳の金で十分払える金額だったので即決となった。
ダイヤのエース、商談成立であった。

こうしてアンドレは、酒場の『オヤジ』になったが、客たちもアンドレも『オヤジ』と言う呼び名にしっくりせず、・・・かと言って、山の手のカフェのように『ギャルソン』とか『ムッシュー』『マスター』と呼ぶのも相応しくなく、・・・そのうちに、どちらともなく名前で呼び合うようになった。

また、年配の客たちは、今までいた『オヤジさんの店』が気に入っていたようで、次第に足が遠のいていった。しばらくは客層もまちまちで、閑古鳥が鳴く夜もあったが、季節が何回か巡る頃には落ち着いてきた。

アンドレがまず取り掛かったのは、店の看板を直すことだった。名前が無く、看板には文字が無かったのである。彼は『ANDRE』と決めた。
ショットバーアンドレ
裏の納屋を探してみると、薪用の枝があったのでそれで文字を作ってみた。ペンキも何色かあった。看板の色をゴールドにし、文字を黒にした。我ながら未練たっぷりだと苦笑いした。しかし、夜営業するこの店、スポットライトもないこの時代・・・何のための看板なのか・・・意味不明!

アンドレの一日を、ざっと紹介しよう。店の開店は遅く、早くても20時、だいたい21時頃である。客のほとんどがお屋敷勤め、もしくは平民の兵士たちの為皆、職場で食事をしてくるので酒だけを提供する、アンドレの店が居心地良かったのである。

閉店も遅く日付が変わって、3時過ぎになる事が、しばしばであった。それから、片づけをして、夏などは夜が明けるので、ついでに畑の手入れと、ニワトリの世話をしてようやくベッドに潜り込む。

勿論!寝る前には愛しい女性を想い、彼女の幸せを祈ることは一日足りと忘れたことはない。昼間は近所の旦那さんやおかみさんと情報交換をしたり、日用品を買い求め、パリまで出かけて行って見分を広めたり、これからの身の処し方を考えたりしていた。

店が軌道に乗って来ると、なんとなく曜日ごとに決まった顔が、現れるようになってきた。兵士たちの日、お屋敷に勤める使用人たちの日、近所の旦那衆たちの日、・・・などであるが。

アンドレがカウンターの中で話を聞いていて、最も興味を引いたのは、活動家たちのグループだった。ロベス・ピエール、ベルナール・シャトレを中心としたこのグループ。普段はパリで活動しているらしいが、時たまこうしてヴェルサイユまで来て、情報収集をして、その帰りにアンドレの店で議論を始めるのである。

その夜も彼等は、熱く語り合っていた。カウンターだけのこの店で、横並びで熱弁をふるうのがもどかしくなったのか、彼等はいつの間にか立って片隅に集まりだした。

アンドレの前にはそれを冷ややかに見詰める麗人が座っていた。
勿論男装である。彼女は彼らと共にいつも現れるのであるが、殆ど聞き役であった。しかしながら時折挟む一言が、結構ポイントをついて男たちは、一目置いているようであった。

「飲まないの?」彼女が突然話しかけてきた。
初めての事だったので驚いたおれは一瞬声が出なかった。

「少し、飲まない?」また、声をかけてきた。こういう仕事をしていると客の相手をしながらついつい酒の量が増えるので、成るべく飲まないよう気を付けてきた。その夜は特に彼らの話を聞きたかったので、一滴も飲んでいなかった。

「おれは、いいよ」と、答えると、「付き合ってよ」と微笑みながら言った。
珍しいことだ。とも、思ったし、彼女にとっておれなんか「out of 眼中」と思っていたので驚いた。

見事なプラチナブロンドのストレートヘアーを腰まで伸ばし、吸い込まれるような深い緑の瞳、最高級の仕立ての白のアビアラフランセーズ。

男装と言う点を除いて似ているところなどないのに、おれは、なんとなく忘れられない想い人と重なり「じゃあ、一杯だけ」とグラスに酒を注ぎ、乾杯しようとすると、「こっちに来ない?」と彼女の隣のスツールを指さした。

おれが「へ!?」っと、間の抜けた顔をしたのだろう。
クスクス笑いながら、「もう、あの連中はあのままよ!お酒がなくても酔っていられるわ!」と、言った。

おれも今夜の営業は、お終いだと観念し、彼女の隣に座り乾杯した。そう云えば、結構早い時間から来ていた彼等たち。彼女も結構飲んでいるはずだが、・・・

「酒・・・強いんだな?」と、つい聞いてしまった。「いつの間にか、強くなってしまったのよ」「貴方も、強そうね」「強くならざるを得なかった」「あら、それは大変だったわね~」・・・・・・

彼女は聞き上手の、話し上手だった。気が付くとおれは、一杯どころか何杯飲んだんだか、わからなくなっていた。・・・そして、いつの間にかベルナール達も帰って店の中に彼女と二人きりになっていた。

それでも、その夜のおれは活動家。・・・と言うだけで何も知らない彼女と、話す時間が終わらない事を願っていた。話が進むと、彼女も酔って来たのか、それともおれへの警戒心が無くなってきたのか、とつとつと自分の事を話し始めた。

某公爵家の表向きは令嬢であるが、実はその公爵の亡くなった妹の娘であり、母が若い頃妻子持ちのある貴族と恋に落ち身ごもり、密かにオーストリアに嫁がされそこで彼女が生まれたと。

オーストリアの養父も亡くなったのでフランスに戻り、・・・現在に至る。・・・と、話していたが、・・・途中がかなり省略&虚飾されているようなのは、聞いていて直ぐに分かったし、彼女も承知のようだった。

おれが自分の事をどの位話したのか、久しぶりの人との関わりと、酒で何処まで気を許したのか定かではない。気が付くと、当たり前のように口づけを交わしていた、が、・・・名前を呼ぼうとして、・・・まだ、お互い名乗り会っていないことに気づいた。

ジェルメーヌと彼女は名乗った。多分それは偽りではないだろう、とおれは思った。おれが名乗ろうとすると「貴方の名前は看板に書いてあるわ」とまた、クスクスと笑った。

おれは、彼女、ジェルメーヌを二階へと誘った。
久しぶりだった。
忘れていたわけでもない。
禁欲していたわけでもない。
愛しい女性に願をかけていたわけでもない。

ただ、毎日生きるのに必死だっただけだ。
おれは、ジェルメーヌの身体に溺れ、彼女もおれの身体を貪った。

激情が去り、お互い火照った身体を持て余している時、彼女が言った。

「貴方の想い人『オスカル』っていうのね」
おれは、思わず身を起こし彼女を見た。

「大丈夫よ。誰にも言わないから。でも、かなり有名な人のようね、貴方のお姫さまは」と、相変わらずクスクスと笑いながら言った。
どうやら、おれは、彼女を抱きながら、あいつの名前を呼んでいたらしい。

 
BGM Someone Like You
By Adele
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