The March of The Black Queen


ヴェルサイユの街は、ヴェルサイユ宮殿を要に扇のように広がっている。

宮殿の周りには、宮廷に出仕する貴族たちの広大な屋敷が建ち並ぶ。
そして、それを過ぎると、それら貴族たちのいわば御用達の店・レストラン・遊技場・カフェ(オスカルとフェルゼンがかつてデートしたのもこの辺りである)それらを営む比較的裕福な平民の屋敷が集まっている。

そして、段々と宮殿から遠ざかるにつれ、商店・レストラン・遊技場・カフェ・酒場・地方から陳情しに来た者の宿屋・勿論、娼館もあった(因みにアンドレが、訪れたのもこの辺りらしい)・・・これらも、貴族に仕える平民、裕福な平民の屋敷で働く平民の為のものとなってくる。

それらの店は殆どが、住居と兼用になっていて、現金収入が少ないため・・・己らを食べさせていくために、それぞれ建物の裏に猫の額ほどの畑を作り、余裕のある者は鶏を飼い細々と生活をしていた。

ヴェルサイユの・・・と言っていいのだろうか、・・・ヴェルサイユからはかなり外れて・・・ヴェルサイユに住む貴族たちは、その存在さえも知らなかったが・・・『ヴェルサイユの下町』と人々は呼んで、パリの下町とは一線を画していることを誇りとしていた。

例えばパリの下町の路地を歩くと、汚物が降ってくることがあるが、この町では隣り合う住居で協定を作り、お互いに向かい合った路地は汚物用の路地、反対側路地は裏の畑への通り道と決めていた。汚物も表通りには流さず、畑の肥料として使うため、建物の裏へと流れるよう工夫していた。

そんな下町の酒場の裏にある、元々は厩だった小屋の中・・・わらの上に寝そべって・・・小さく開いた屋根の隙間から瞬く星をじっと見つめている男がいた。

当然、壁の羽目板にも隙間があり、酒で火照ったこの男の身体を少しずつ冷ましていった。平民にしてはかなり上等な白いシャツの胸を遠慮なくはだけ、黒ぶどうの髪に、黒曜石の瞳、逞しいながらも美しい輪郭を持つ足にはキュロットを穿き、傍らに旅行用の鞄を大事そうに置いている。

彼・・・アンドレ・グランディエは、愛する女性を想いながら、先程起きた・・・
自分自身が起こしてしまった、事件を思い起こしていた。

おまえを慰めるため、力づけるためにワインを選び、グラスに注いで部屋へと持って行った。いつもの通りノックもせずに居間に入ると、オスカルの姿は無かった。子どもの世話をしていた頃の気安さから、・・・何も考えずに寝室へと入って行ってしまった・・・。

おまえはバルコニーへと続く窓に寄りかかって、ぼんやりと、月を眺めているようだった・・・。
おれが近づき、ワインを持ってきたことを告げると、おまえはこちらを向いた・・・。

・・・しまった!・・・と思った・・・。
月明りが、心細げに立つ女の、夜着の下のシルエットをくっきりと浮かび上がらせた。

すらりと引き締まった、無防備な素足・・・腰からキュッと締まったウエストにかけての柔らかな曲線・・・二人の子どもに乳をやったというのに、そんな事をものともせずにツンと上を向いた乳房・・・その上には幾筋もの涙の後を残しながらも、美しい顔・・・

これでも飲んで元気をつけろ。と、ワインを置いて直ぐに退出するつもりだった・・・。

・・・しかし・・・おまえが一歩一歩近づいてくると、おれは、動く事が出来なくなっていた。

おまえがどうするのか・・・どうしたいのかおれは、知っていた。・・・その夜だけは、避けたいと思っていたが・・・動けなかった。・・・

おまえは、真っ直ぐにおれの胸に飛び込んできた・・・声を押し殺して泣いている・・・。オスカルが背中にそっと手を回してきた。・・・おれもおまえの背中に手を回した・・・。

お互いの身体が密着した。・・・

・・・おれも・・・不覚にもシャツ一枚だった。・・・

おまえの胸のふくらみを感じてしまった・・・。
華奢な肩に、背中に感じてしまった・・・。

こんな感覚は初めてだった。・・・でも、おれは長年の経験から、自分を押し殺し、悲しみに暮れる、オスカルを守る幼馴染の親友を演じた・・・。

どのくらい時間が過ぎたのか、・・・オスカルがふと顔を上げた。・・・相変わらず、悲しみに満ちた顔だった。・・・なぜ、あの、あんな男の為にこんなに泣くのか?・・・どうしてあの男はこんなにも、おまえを涙させるのか?・・・おれの中で沸々と、怒りが込み上げてきた!・・・

・・・あの男に・・・同時にあんな男に惑わされるおまえにも・・・

おれは、おれは幼馴染みの親友、という立場をかなぐり捨ててしまった!・・・

『ここに、おれがいる』
『おまえを愛する男が、ここにいる』
と・・・おれは、おれの思いっ切りの愛を込めて口づけをしていた。・・・

おまえは何処かで、おれの口づけが、いつもと違うことに気づいたのだろう。・・・おれの背中に回した腕をほどき、おれから逃げようともがき始めた。・・・

しかし、おれはやめなかった。
口づけをすることで、あの男の面影をおまえの中から消え去ることが出来る。とでも思っていたのだろうか?・・・口づけでおれの愛でおまえを満たさせる事が、出来るのだろうと思っていたのだろうか?・・・

おれの手はおまえの背中を行き来し、・・・おまえが逃げようとするほど、おれは執拗に追いかけた。・・・そして、ついには二人してベッドに倒れ込んだ。・・・

辛うじておれは、オスカルを押しつぶすことなく、腕と膝で身体を支えたため、
お互いの身体が離れた。・・・

おまえは、驚いた眼をしていたが、おれの激情が収まったのかと思ったらしかった。

そんなおまえを見ると・・・もっとおれを感じてほしくなり、さらに激しい口づけを始めた。・・・立っている時よりも、逃げ場のないおまえ、それでも逃げようと必死だった。・・・おれの欲望はさらに強くなり、口づけは口から離れ、首筋へと降りていき、・・・

おまえの夜着の前ボタンに手をかけたが、もどかしく・・・夜着をたくし上げた。・・・夢に見たおまえの素肌、・・・胸に手をかけようとした瞬間・・・

・・・おれは星を見た。・・・

・・・星がきれいだ。・・・なんて言っていられなかった。・・・

・・・激痛が走り・・・おれは股間を押さえ、ベッドから転がり落ちた。・・・

うずくまったまま動かないおれを心配してか、
オスカルが、そろりそろりと側に寄ってきた。・・・

・・・だ、大丈夫か?・・・
・・・すまない、腰のあたりを下に向かって叩いてくれ・・・。

おまえが手加減して叩いてくれる
・・・もっと強く頼む!・・・
おまえがおれの肩に左手をかけ、ドンドンと叩いてくれた。・・・

ようやく人心地が着いたおれは、ほーっ、と息を吐いて、床に頭を預けた。・・・
オスカルも安心したようにベッドに、腰掛ける。

おれが体を起こすと、オスカルが、謝らないからな!・・・と言った。
ああ、分かっている。・・・おまえが教えてくれたんだ。男に襲われたら、・・・股間を蹴り上げろ!と・・・おまえを見ると、やっぱり口角をキュッと上げ、ニッと笑っている。・・・

おれは、おまえの正面に跪き、静かに手を取った。・・・おまえは少し身体を固くした。・・・

すまなかった。・・・本当は機会を見てキチンと伝えたかった。・・・

おまえを愛している。心から、・・・
誰よりも強く愛している。・・・
誰にも渡したくないほど!・・・

だから、もう、そばには居られない。・・・
側にいたら、また、求めてしまう。・・・
おまえを傷付けてしまう。・・・
だから、お屋敷を出ていくよ。・・・
もう、幼馴染みの親友の関係ではいられない。・・・
さようなら・・・。
レヴェを一人前に育ててくれ。・・・
いつまでも愛しているよ・・・。

おまえは・・・涙を流していた。・・・なにか言いたそうだったが、・・・おれは、そっとオスカルの膝に口づけを一つ落とすと、・・・持てる限りの力を持って、オスカルの寝室から出た。・・・

オスカルの寝室を後にすると、おれに割り当てられている、子ども部屋の隣の部屋に入った。

今夜おれが出かけたので、ジャックが、子守の為、おれのベッドに寝そべっていた。おれが入っていくと、少々事情を知っているジャックは、出ていくのか?と短く聞いた。ああ、と答えると、落ち着いたら居場所を知らせろ、と、言いまた寝そべってしまった。・・・

お仕着せ以外たいして荷物を持っていないおれは、少しばかりの私物を鞄に詰め、それから机の引き出しに大事にしまってある、預金通帳をだした。

8歳でここ、ヴェルサイユに来てから、旦那様から頂いた給料を、おばあちゃんが子どもに大金を持たせるのは教育上よくない、と言って取り上げ、18歳になった時、それまでの10年間分をキッチリと毎月貯めていた、この通帳を渡してくれた。

その後も、大して給料を使う当てのないおれは、毎月貯めていって、平民のこの年齢の男としては、かなりの財産家になっていた。

荷物をまとめると、未練があるのかな・・・子ども部屋に行き、よく眠っているレヴェの顔を見飽きるほど・・・見飽きることはないのだけど、・・・(オスカルはおれに似ていると言うが、おれはオスカルに似ていると思っている)・・・眺めて部屋を後にした。・・・

廊下に出ると・・・最近はどこか頭のピントが合わなくなっているおじいちゃんが廊下を歩いていて・・・近寄ってきて、ポンポンとおれの腕を叩いて行ってしまった。こんな時間にこんな場所を歩いているのを見るのは久しぶりだった。

お屋敷を出ると、当てもなく下町に向かった・・・。
当てもなかったが、行くところはいつもと同じ。・・・流行っているんだか、寂れているんだかよくわからい、初老の男が経営する。・・・酒場に入った。酒場と言ってもカウンターだけ、7~8席の小さな店だ。

ここのオヤジさんは、客に根掘り葉掘り色々聞いてこない。
元々無口なのか・・・ゆっくりと自分のペースで飲みたいときにピッタリの店だ。

オヤジさんはおれがいつもの席に座ると、いつもの通り、いつもの酒を出してきた。おれは黙ってグラスを空けていく、・・・いつもよりペースが早いのだろう。オヤジさんは何か言いたそうだったが何も聞かず、また、酒を注いでくれる。

飲んで忘れたいのか、それともしっかりと記憶にとどめたいのか、・・・数人いた客も帰り、閉店の時刻になっても粘っているおれに、オヤジさんは酒を注ぎ続ける。

毎晩オスカルに付き合ってかなり強いおれも、意識が遠のいてきた頃、始めてオヤジさんが相変わらず不愛想に口を開いた。
おまえさん、今夜は帰りたくないのじゃろ!裏に厩がある。そこに泊まっていきなされ。と。

いつの間にか眠ってしまったようだ。
さっきまで星が見えていた屋根の隙間からは、夏の太陽が眩しい。
おれは起き上がり背中に張り付いた藁を払落し、外へ出た。オヤジさんが畑で働いていた。

おれを見て、中に食事があるから食ってこい。と言った。
昨夜は夕食抜きの上、酒だけを流し込んだ腹は空腹を訴えていた。昼間この店に入るのは初めてだった。

小さな窓しかないせいで薄暗い。カウンターの中にある食料を適当に料理して食べているとオヤジさんが入ってきた。

名前は?と聞かれ「アンドレ・グランディエ」と答えると、驚いたような顔をしたような気がしたが、・・・見間違えだったのか、・・・行く当てがないのなら、しばらくここに居てはどうか?自分も歳で夜の仕事は辛いから、手伝ってくれと言ってくれた。

おれは、行く当てもないので、この申し出を有難く受けることにした。

BGM Kissing a Fool
By George Michael
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