♪Son And Daughter
その年も押し迫ってきたが、ジャルジェ家では相変わらず突貫工事が進行中で、屋敷の中は賑やかな音が響き渡っていた。
夜も遅くなり、さすがに職人たちが引き上げ、静まり返った屋敷の一角を借りの住むまいとしたオスカルは、今日中には帰って来る愛しい夫を待っていた。下町生活では手に入らない貴重なショコラを飲みながら、時折り、扉の外に耳を傾ける。
いったい夫は何をしているのだろう、ちゃんと独りで食べているのか、睡眠は取っているのか・・・これまで、この屋敷で一緒に暮らしていた頃は、彼が使用人たちと何を食しているのか、自分の所を去った後、使用人部屋で何をしているのか、など気にも留めなかった。
それが、彼と暮らし始めて・・・寝食を共にしてから、彼の健康管理に気を遣うようになった。料理をしていても、栄養バランスは大丈夫か?働き過ぎではないか?酒の量はどうか?以前は彼がオスカルにしていた心配をお互いにするようになった。
進歩だとオスカルは思った。
オスカルの好みの、ぬるめのショコラは、既に、冷めたショコラになっていた。あと、数口で飲み終わるぞ!と、思った時、ノックの音もなく「入るぞ!」のひと言で、飛び込んできた男にオスカルは、最上の微笑みと共に、遅かったことへの不満げな顔も付け加える事を忘れなかった。
「ごめん、ごめん・・・遅くなってしまった。でも、今日中に帰ってきただろう?
お!ショコラ飲んでいるのか?良かったなぁ!また飲めるようになって!」
「ふん!おまえが淹れたのじゃないと、美味くない!ばあやの腕も落ちたもんだ!」
と、オスカルは、悪態の一つも付いてやると同時に、
夫への愛情も表す、という上級者コースの返答をした。
が、当の相手は、会話のラストの方に気を取られたらしい。
「え゛!おばあちゃん、帰って来ているのか?」
「ああ、伝言するのを忘れていたか?すまなかった。
わたしの出産が近いので、母上がこちらに戻って来るのに、くっ付いてきた。」
「ひぇ~~~~!また、こき使われるのか~先が思いやられるな!
おじいちゃんは?一緒に戻ってきたのか?」
「いや、アンリ爺やは、シモーヌ母上と一緒に暮らしたいとかで、向こうにいる。
すっかり元気になって、頭もしっかりしてきたようだ。
曾孫と遊んだり、庭の手入れをして楽しく暮らしているらしいぞ!」
「ふ~ん、そうか・・・え゛!『シモーヌ母上』って、おふくろの事か?」
アンドレが、目を丸くして尋ねると、オスカルは口角をキュッと上げて
にやり!と笑いそうになるのを慌ててとどめた。
「当たり前だ!夫の母上だから・・・わたしにとっても母上だろう?」
「順応が早いな!」
「女は、環境順応能力に長けている。・・・とジャポンのあるご婦人が言っていた。
それよりも、向こうはどうなった?売れそうか?」
と、言いながらオスカルは、また、にやりと笑い、慌ててそれを隠した。
アンドレは、一瞬、不審に思ったが、久しぶりに愛しい妻に会えた喜びと、今までの経緯を話すことに気を取られて、スルーしてしまった。
アンドレは、愛しい妻の横に腰を下ろすと、嬉しそうに話しだした。
「おれも、すっかり下町での、のんびりした生活に慣れてしまったのか、うわさが広まる早さ!ってのを、忘れてしまっていたみたいなんだ。
あの晩、店でしんみりと飲んでいたら、扉をドンドンと叩く音がするから、
誰かと思ったら・・・衛兵隊の面々で・・・
おれは、てっきり店が閉まっているのを、心配してかと思ったんだ。
そしたら、フランソワが『隊長、戻って来るの?』
って、言いだしたのを皮切りに、全員が異口同音に、
ギャーギャーわめきだすからたまげたよ~」
「ほ~お!?そんなに早く知れ渡ったか?」
「そうなんだ!それから・・・・・店の中で大宴会!しばらくたってから、・・・
で、アンドレ、この店どうするの?って聞きだす始末さ!」
「ハハハハハ・・・おまえ、気前がいいから、店中の酒を大盤振る舞いしたんだろう?」
「ああ、だけど・・・みんな、隊長はどうしているのか?赤ちゃんは生まれたのか?って、質問が忙しくて、そんなに飲まなかったな。結構、お行儀良くて、翌日早いからって、さっさと帰っていったよ。
そうしたらな、おまえ、クロード=アシルって覚えているか?」
「・・・クロード=アシル・・・確か、2班の・・・物静かな、大人しい奴だったな?」
「ああ、そうだ!彼がひとり残って、どうしたのかと聞いたら、
彼、衛兵隊では非正規雇用で、後、半年で任期が切れるらしいんだ。」
「切れるのなら、再雇用って手もあるし、・・・正規雇用に登用ってのもありだが・・・」
「うん、だが、・・・彼は、自分は軍人に向いていないと言い出したんだ。
今は平時で、人に武器を向ける必要もないけど・・・
いざとなった時、自分には人を殺せない。・・・とな。」
「・・・・・・・・・で、その話をどうして、おまえにするのだ?」
「だから、・・・おれがあの店を手放すのなら、譲ってほしい!と言って来たんだよ!
彼は、パリに両親と祖父が居るのだが、仕事がなくて食うのに彼の給金だけじゃ足りなくて困っているらしい。
しかも、パリではこれ以上の生活は望めないが、あの店でなら、畑を増やして、鶏を増やして先の見通しが明るいと、見込んでいる様だ。」
「だが、あそこも、現金収入は殆ど見込めないが、・・・
まあ、畑の作物が順調に育てば何とかしのげるかな。」
「ああ、そうなんだ。店の収入、畑の状況などを説明して、・・・
そしたら、それでもパリで食料を買うよりはマシだ。と言うんだ。
・・・だから・・・それから・・・・・2階の片づけをしながら、あいつに、経営ノウハウ、畑の手入れの仕方、近所の人たちへの挨拶を兼ねて、クロード=アシルを頼みますって頭を下げて回って・・・
今までかかった。・・・あいつはやる気だぞ!」
「そうか・・・あの店が・・・人手に渡るか、・・・
あ!でも、元衛兵隊なら出入り自由だな!」
「(。´・ω・)ん?おまえ、何を考えてる?」
「決まっているだろう!今度は、客としてあの店で堂々と飲めるぞ!
ところで、アレはどうした?」
「勿論、持ってきたぞ!
今のところ、荷馬車に積んだままだが、
そのうち、誰かに手伝ってもらって、運び入れるが、・・・
おまえ、ホントにアレを使うのか?」
「ふふふ( *´艸`)、もちろん!」
翌日、大晦日、アンドレは、新年のご挨拶に宮廷に伺候する際の、礼服の採寸をしていた。
「なあ!オスカル、もう、おれ達これ以上、
ブラック夫婦にならないように気を付けような!」
「分かっている。おまえ、ついでに、フランス衛兵隊の軍服も作ってもらえ!
わたしも早めに注文したいが、何せこの身体だ。・・・ブラック准将になりそうだ!」
その日の食事は、まだ食堂が完成していないので、夫婦水入らずで、仮の部屋でのんびりと済ませた。
翌朝、いつものように、早起きのアンドレがベッドの中で伸びをする気配で目を覚ました、オスカルは、手慣れた仕草で手元の呼び紐を引いて、侍女達を呼び寄せた。
アンドレは、それを気にも留めずに、着替え始めた。
アニェスとマルゴが静々と入って来る。
その後ろに、従僕が二人、入ってきた。
アンドレは、不思議に思う。
オスカルは、化粧室へ消えていった。
アンドレが、昨夜着ていた、シャツに袖を通そうとすると、従僕が寄って来て、言った。
「若旦那さま、こちらのシャツをどうぞ・・・」・・・と、
アンドレは、我が耳を疑った・・・
「え゛!」
アンドレが、いつまでも木綿のシャツを離さないので、従僕が無理矢理取り上げ、
「こちらをどうぞ・・・」と、ジャルジェ家では使用人用の服もかなり高級なものを支給しているが、それ以上に最高級のシルクのシャツが恭しく、アンドレの前に示された。
アンドレは、仕方なくそれを手に取り、自分で着ようとしたら、
「それは、私どもの仕事でございます。若旦那さまは、ジッとしていらしてください」
何がどうなっているのか・・・アンドレには理解できなかった。
そこに、オスカルの化粧室の方から、
「クククククク・・・」と笑う、妻の声が聞こえた。
そうか!これは、オスカルの悪い冗談なのだろう!
ならば、受けてやろうじゃないか!
からくりが分かれば、こちらもお芝居をすればいいのだ!
と、アンドレは、開き直って、服を着せてもらう演技をして、この場を切り抜けた。
朝食の最中も、終わってから、宮廷へ向かう仕度の際も、お芝居は続いた。
だが、アンドレは、このお芝居に負けたら、オスカルに勝利の喜びを与えてしまう。
アンドレもオトコ!勝負には勝ちたいので、この馬鹿馬鹿しいお芝居を続けた。
宮廷に新年のご挨拶に向かう時刻となった。
将軍と夫人が、使用人たちがずらりと並ぶ、玄関ホールを通った。一同が、
「旦那さま、奥さま、いってらっしゃいませ!」と、一斉に頭を下げ見送った。
その後から、オスカルがアンドレに手を取られて出て来た。
みんな、ほーーーーっと、ため息をついた。
それは、まるで一服の絵画であった。
オスカルは、深紅のベルベッド地のドレスであるが、・・・
金色に輝く肩章をあしらい、そこから続く袖は、ベルベッドと同色のとても軽いシフォンが幾重ものドレープを重ね、オスカルのほっそりとした腕を美しく魅せていた。
前身頃は、胸の上から長めのジレを着たように膨らんだお腹をそっと隠していた。そして、そのジレの端には金モールがふんだんに使われており、スカートにもオーバースカートを配して、その端、裾にふんだんに金モールが使われていた。
もちろん、やや長く引いたトレーンにも金モールがあしらわれていたのは言うまでもない。
女らしいドレスだが、オスカルの凛々しさも感じられるデザインになっていた。
一方のアンドレは、オスカルと同じ深紅のベルベッドを使っているが、これでもか!っという程、黒糸の刺繡が施され、殆ど黒いアビアラフランセーズにしか見えないが、その黒糸の中に、まるでオスカルの金色の髪を散らしたように、金糸が散りばめられていた。
アンドレは、美しい妻の手を取る事の出来る、幸せをかみしめながら、玄関ホールへと向かい、玄関へと続くほんの2-3段の階段を昇った時、
「若奥さま、若旦那さま、
いってらっしゃいませ!」
と、使用人たちが一斉に頭を下げ、口をそろえて言った。
驚いたのは、アンドレだけではなかった、オスカルもびっくらこいて、・・・
2人は見事なコンビネーションで、2-3歩助走をつけると、完璧に4回転サルコウを決め着地したと思ったらそのまま、トリプルルッツを決め、なんとその後、あの羽生結弦選手もまだ成功していない4回転アクセルを決めると、そのまま、将軍と夫人の待つ馬車に飛び乗ってしまった。
もちろん、使用人たち観客からは絶大なる拍手、喝采が寄せられた。
馬車に座って、額の汗を拭った、アンドレが、馬車の扉を閉めようとすると、
見知った顔が、
「これは、私の仕事です、若旦那さま。」と、言われてしまった。
隣では、オスカルが先ほどと同じように、笑っている。
隣の席で「クククククク・・・」と笑いをこらえている、オスカルをアンドレが、心配そうに見つめていると、夫人が、
「アンドレ、心配なさらずに、・・・妊婦と言うのは、格別、情緒が不安定なものなんですよ。」
と、仰ってくれた。
「奥さま・・・しかし、以前はこのような事は・・・」
と、アンドレが、続けようとすると、将軍が、
「奥さまではない!『母上』だ!」
「え゛!だ・・・旦那さま?」アンドレは、目を白黒させた。
隣ではオスカルが、笑い過ぎて涙を流している。
「旦那さまではない!『父上』だ!
おまえは、オスカルの夫となった。
つい先日、国王陛下からもお許しがあったではないか。
その上で、わたしは、おまえの義父、ジョルジョットは義母と、なった。
これからは、父上、母上と呼ぶがいい!」
オスカルが、堪え切れず、声を上げて笑い始めた。
アンドレの頭は真っ白になっていった。
昨日からの、祖母の余所余所しさはこれだったのか、・・・
今朝の、使用人たちの態度は、芝居ではなかったのか、・・・
隣を見ると目に涙をためて、まるで真っ青な湖のような瞳でオスカルが、見つめる。
さらに、将軍は続けた。
「おまえは、今後もオスカルの護衛としての役割を果たすのであろう?
その為にはもっと武術を磨く必要があるな!ここのところずっと、剣を持つこともなかったであろう。
しかも、オスカルに聞くところによれば、おまえは、幼い頃からずっと、剣の稽古も、銃の稽古も理由を見つけてはサボっていたようだな?!どうか?違うかな?」
「あ・・・あの・・・」
「まあ、良い!これからは、ますますオスカルの夫として、また、わしの息子として、職務を全うするためにも、わしが早速、明日からでも鍛えてやろう!覚悟しておけよ!カカカカカカ・・・・・・・・・・・・」
アンドレの頭の中は、真っ青になった。
恐る恐る隣を見ると、繊細なレースのハンカチを握りしめた、最愛の妻が涙を流しながら、足を踏み鳴らして笑っていた。妊婦だというのに、・・・・・
アンドレは、原作の8歳だった頃より、ずっと強く『はかなかった、おれの人生・・・』と思った。
BGM Just Way You Are
By Billy Joel
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