ふ~参った!
プロフェッサー・ジェローデルの授業は、中身が濃いな!
部屋に戻るなり、オスカルとアンドレが、口々にした。
もうとっくに、日付は変わっている。
二人共、ノートを投げ出すと、バタッとベッドに倒れ込んだ。
相変わらず、真ん中にはマスキングテープが、貼られている。
「おい!」アンドレが、声を掛けた。
「領土侵犯は、ダメだからな!」
オスカルが、ピシッと言った。
「そんなんじゃない・・・。」
とアンドレに言われて、オスカルは少々がっかりした。
が、そんな風には、決して見せない。
「忍者ハットリくん、始めるか?」
アンドレが、天井を見上げたまま言った。
「ほう、誰が、何をする為に?」
オスカルは先ほどの、ガッカリ感をにじませて言った。
「ぬかせ!動きたくなって、堪らないくせに・・・。」
「ふふふ・・・ここは、のんびりしていて、子どもを育てるのにはいいかもしれない。
だが、やはり、わたしには・・・。お見通しだな!?
で、明日から、もう、今朝だがな。始めるとするか!?」
こうして、ジェローデルに何を言われたのか、分からないが、
2人は忍者ハットリくんになって、また、野山を駆け巡る事となった。
しかし、農作業は夜明け前に始まる。そして、一日中、やるべきことが待っている。
そして夜は、子どもの相手をして、
その後、ジェローデルの講義、枕に頭を付けたと思ったら、即起きて、
誰にも知られずに、忍者ハットリくんになる。身体がもつのだろうか?
*******************
ある曇った朝、ジェルメーヌが水汲みをしていた。
重い桶を、持とうとすると、ふと、軽くなった。
ジェルメーヌが振り返ると、見慣れない男がいた。
だれ・・・?ジェルメーヌは、数日前から客が来て、滞在している事を知らなかった。その男を、よく見るまでもなく、一目で貴族だと・・・それもかなり上流の、と分かった。
ジェルメーヌが、黙っていると、男は、
「やんごとなく身で、このような事を・・・。
世が世なら、宮廷の舞踏会では、ダンスを申し込みたい男どもが、列を作る事でしょう」
と言う。
この男性、ヴェルサイユ宮殿を知っている。そうよ、着ていらっしゃるものを見れば、分かるわ。最高級の仕立てじゃないの。それに、袖口から出ている、レースとフリル・・・ゴージャスで、目がくらみそう。
こんな素敵な服を着た男性、間近に見たのはいつだったかしら。ううん、初めてだわ。ジェルメーヌは、自分でも気が付かないうちに、そのオトコを、じろじろと見てしまった。
でも、その男は、全く頓着せず、ジェルメーヌから、木桶を取ると、どちらに持って行けばいいのですか?と、取り敢えず、屋敷の方に向かって行った。
ようやく、己を少しだけ取り戻した、ジェルメーヌは、あの・・・どちら様でしょうか?そのようなお姿で・・・汚れてしまいます。と、追いかけて行った。
しかし、男は、強引に木桶を持って行く場所を聞き出し、あっという間に、カメをいっぱいにしてしまった。
やはり、アタフタしながら、ジェルメーヌは、やっと、私の事をご存じなのですか?それだけ、聞く事が出来た。でも、聞きながら、己の今の姿・・・ノミ色のドレス姿を、恥ずかしいと、アラスに来て初めて思った。
それまでは、袖を通すのに、嫌悪感はあったが、着てしまえば、皆同じような格好だったので、その内気にもならなくなっていた。
元近衛隊士だったのです。ですから、貴族の方の・・・宮廷に出入りされる方も、そうでない方も、すべて、身分、お名前、そして、肖像を手に入れ、頭に叩き込むのも、任務の一つでした。
ボーフォール公爵家のご令嬢ですね?私の記憶に間違いがなければ・・・。
そう言って、男は、ジェルメーヌの手を取って恭しく、お辞儀をすると、土にまみれた、手の甲に唇を当てた。
カッ~!ジェルメーヌは、顔が赤くなるのを感じた。貴族の家系に生まれたと言え、日陰の身で、宮廷に出る事も、舞踏会に出席する事さえ稀だったのである。生まれて初めての、騎士からの礼だった。
が、手が・・・。土にまみれていた。ノミ色のドレスを着ていた。髪は、オイルも付けずに、つやをなくし始めていた。このまま、消えてなくなりたいと思った。
しかし、その男はジェルメーヌの手を離さなかった。離さなかったうえ、私の部屋で、少しお話をしませんか?などと言ってきた。
ジェルメーヌは、今日の午前中にやるべき仕事が、あるのです。と言いたかったが、有無を言わせない。物言いに、たじろいだ。
見知らぬ男に警戒心と畏怖と共に、憧れを抱いている間に、ジェルメーヌはその男に、手を取られて長い廊下を歩いていた。
その部屋は、一階の奥まった所にあった。男が、ドアを開く。見事に装飾された前室があった。二人がそこまで行くと、執事と思われる男が、居間の扉を無駄のない動きで開けた。
ジェルメーヌの手を取っていた男は、今度は、ジェルメーヌの腰に手をやり、居間へと誘った。
ボーっと夢を見ているような気分だったジェルメーヌは、
更に深い夢の中へと入って行った。
やっぱり、この様な部屋があったのね。
グランディエ氏もやり手の実業家だから、抜け目はないわよね。
ジェルメーヌは、思った。
すると、男は、
「私は、いつも好みの物に囲まれていないと、落ち着かないのです。
ですから、アンドレに、何も置いていない倉庫を用意するよう頼みました。
これらの、家具、調度品、全て持ち運ばせました。
お気に召して頂けたでしょうか?」
当然のように言う。
『持って来た。』って簡単に言うけど、どう言うこと?
だってこんなに、タペストリーやら、大きなソファーにテーブル、チェストだってあるし、その上には、ズシリとした燭台が、ここにも、あちらにも、・・・ジェルメーヌが、信じられないと、眺めていると・・・。
執事らしい男は、丁寧にしかもそっと、頭を下げると、隣室へと消えた。
片隅にもう一つ扉があった。多分、寝室へと続くのだろう。
うっとりと、部屋を見回すジェルメーヌを男は黙って、焦らすようなこともなく、静かに見守っていた。
ほんの少しだけ冷静になると、ジェルメーヌは、男の名前をまだ、知らない事に気がついた。あの・・・貴方はいったい、どなたなのですか?
アンドレが、部屋を手配した。と言った。でも、アンドレに、この様なゴージャスな男と直接知り合いである筈は、なかった。多分、オスカルの知り合いだろう。
そこまでは、推測できた。
ジェルメーヌが、思いを巡らしていると、男は、
「フローリアン・F・ド・ジェローデル・・・と申します。
近衛時代は、少佐として、オスカル嬢の下で任務していました。
名乗るのが、遅くなりまして、申し訳ありませんでした」
ジェローデルは、騎士の礼で深々と頭を下げた。
そして、ジェルメーヌに腰をかけるよう勧めた。
ソファーは、我々日本人が座ると(すみません、私でした)、お尻が沈み込んで、どう座って、どうやって体勢を取ったらいいか、そして、テーブルに置いてある、カップをどうやって取ればいいのか困惑するくらい、フカフカだった。
ジェルメーヌは、ソファーに座ろうとして、ノミ色のドレスに手を触れた途端、腰を落とすのを躊躇った。
「あの、この様な立派で綺麗な、ソファーに、腰かけたら、ドレスの土埃やらで、汚れてしまいます。失礼ながら、立ったまま、お話しさせてください」ジェルメーヌは、恥を感じながらも、淑女として、当然の事を言った。
ジェローデルは、「そんな事、全く気にしませんよ!失礼はこちらですが、汚れたら、また、張り替えればいいのですから。どうぞ、腰を下ろしてください。
そうでないと、私も立ったままになります」
そうまで言われると、腰掛けざるをえなかった。
ジェルメーヌは、ソファーに身体が沈み込まない様、手前にそっと腰掛けた。
この様なソファーに座るのは、何年ぶりだろうか?
出来れば、思いっきり、後ろに腰を落とし、ソファーに包まれたいと思ったが、初対面の男の前で、それをするのは、憚られた。
ふと、思い立った。ジェローデル・・・何処かで、聞いた名だった。
彼女自身、貴族の知り合いは多くはなかった。
革命前に頭を巡らす。
あ!っと、顔を上げた。
ジェローデルが、「やっと、私の事を思い出してくださいましたか?直接、お目にかかる機会は、ございませんでしたが、マドモアゼル・オスカルと懇意になさっていれば、1度は、聞いた名だと思います」
「確か、オスカルの婚約者でしたよね?それが・・・」
その先を・・・こっぴどくフラれた・・・などとは言えなかった。
ジェルメーヌは、口ごもった。
すると、ジェローデルが、その先を引き受け、
「ふふふ・・・。オスカル嬢との、結婚が破談になった男が、どうして、のこのこと、アラスまでやって来たのか、知りたいのですね?
ご期待に沿えず申し訳ございませんが、
単なる、旧交を温める為です」
と言ったら、信じてもらえますか?
あゝ、信じられない。と、美しい顔がおっしゃっていますね。
でも、本当なのです。
彼女は昼間忙しいので、夜、アンドレも交えて語っていました」
マジで、ジェローデルは、過ぎ去った日々を思い返して知るようだった。
ジェルメーヌの疑問は、まだ解決していなかった。
その、元婚約者がどの様な、酔狂で自分に声を掛けて、この部屋まで連れて来たのか、皆目見当がつかなかった。
首を傾げていると、執事がお茶を持って来た。
ジェローデルが、ローズティーです。
私は、これを好んで、いつも飲んでいます。
ついでに、このティーに、こちらのエッセンスを落としますと、一段と香りが高くなり、気持ちは、あの革命前に戻るのです。
うっとりと、ジェローデルが、言う。
ジェルメーヌは恐る恐るローズティーを口にした。が、それよりも、ローズティーのカップ&ソーサーが、気になった。
ウェッジウッドだろうか。
ウェッジウッドでも、かなりの最高級品のようである。
誰もいなければ、親しい間柄ならば、飲み干した後、飲み干す前でも、ソーサーをひっくり返して、ガン見したい逸品だ。
ジェローデルは、人の心を読むように、「こちらは、ロンドンに立ち寄った折、手に入れた物です。このようなものに、目をおつけになるとは、やはり、お生まれは隠せませんな。
最近は、殆どの貴族が、彼方此方の国に、亡命してしまって、フランスは・・・ヴェルサイユは、寂しくなりました。
アラスのような、辺鄙な所まで来て、貴女のような高貴な方に、お目にかかれるとは、思っていませんでした」
スラスラと話しかけるジェローデルに、ふと、疑問が(次から次へとナノだが・・・)持ち上がった。
「あの・・・いつから、こちらに滞在していらっしゃるのですか?」
昨日や今日、来たような感じではなかった。
あ!そう言えば、あの雨の日、アンドレに客が来た。と、オスカルが呼びに来たわ。
この方かしら・・・。でも、御食事にも、いらっしゃらない・・・。
まあ、この方のお口に合うお料理は出ないけど。
頑張れば、私達が到着した日くらいのは、出せるはずだわ。
おひとりだけ、違うものをお出ししていたのかしら・・・。
ふふふ。と、ジェローデルが笑った。冷めた笑いだった。
「数日まえの、生憎の雨の日に到着しました。信じて頂けますか?」
といい、また、ふふふ。と笑った。そして、
「食事の席に、いないのが、気になりますか?
オスカル嬢にお聞きしたところ、こちらのお食事は、
少々私の口には、合わないようです」
これまた、持って来た、最高級の冷凍食品をレンチンして、あちらのテーブルで・・・と、ソファーセットの向こうにある、ダイニングテーブルを見やった。
ジェルメーヌがそっと見ると、小ぢんまりとした、それでも、やはり高価で年代物のテーブルといすがあった。
ホントは、冷凍食品ではなくバラのエッセンスを、特注の棺桶に入れて来ていた。
とは、まだ言えなかった。
ジェルメーヌは、何もかもが羨ましく、己の求めていたものだと、喉から手が出るほど、欲しいと思った。
また、ジェローデルは、ジェルメーヌの心を読んだかのように・・・。
「この様な暮らしを、もう1度したいと、思いませんか?
昼過ぎ、若しくは日が沈むころ起きて、
夜毎、夜会、サロン、劇場に足を運び。
髪は高く結い上げ、耳が伸びてしまうのではないかと思うくらいの、耳飾りをつけ。肩と首が、凝り凝りになりそうな位の、首飾りを付け。
誰もが羨む、ドレスを身につけ。
指には、この世で1番大きなダイヤを光らせて・・・。
貴女には、そう言う生活が、相応しい。
私になら、貴女をその世界に連れて行って差し上げられます。
如何ですか・・・。」
ジェローデルが、いつのまにか立ち上がり、ジェルメーヌに手を差し伸べていた。
この手を取れば、本当にそんな世界に行けるのだろうか?
でも、もしかしたら、あの革命後、私を囲っていた貴族たちと同じで、用が無くなったら、興味が薄れたら、捨てられるのではないのかしら?
ジェルメーヌは、差し出そうとした手を、膝の上に戻した。
疑うのも、無理はないですね。
ジェローデルは、ジェルメーヌの向かいに腰かけなおした。
何故、私がこのような暮らしが出来るのか、お話ししましょう。
先ず、一番信用なさらない事から・・・。
私は、人間ではありません。
ジェルメーヌは、先ほどより一層、ポカンとした。
何をこの男は、言っているのかしら?
メッタクソに振られたオスカルと、なんとか寄りをもどそうと、アラスまで来てみたが、アンドレと想像以上にラブラブだったので、気が狂ったのかしら・・・。
人間ではない!なんて・・・。
気がつくと、また、ジェローデルが近づいて来ていて、
今度は、ジェルメーヌの前に跪いていた。
「私は、脈を・・・打っていないのです。
確かめてみてください。」
と、ジェルメーヌの手を取り、元貴族の片鱗もなくなった、爪の間に土が付いた、みたくもない指を、ジェローデルの左手首に充てさせられた。
脈動が、脈拍が無かった。かなり、信じられない顔をしたのだろう。
ジェローデルは、こんどは、その指を首に持って行った。
ジェローデルの脈は、同様だった。
ジェルメーヌの心は、動揺した。
ジェローデルは、イギリスに渡り、森を彷徨い、不思議な森に足を踏み入れた。
そして、ポーと言う、一族。『
ポーの一族』に出会い、この様な姿になった話をした。
にわかには、信じられなかったが、ジェローデルの脈は、確かになかった。
食事は、レンチンではなく、こちらでは、バラのエッセンスで繋いでいると言った。
ついでに、触れながら、ジェルメーヌの血も、少し頂いていた。
貴女の血も、我々の一族となるにふさわしい、バラの香りがします。
え゛・・・ジェルメーヌが、手を引っ込めた。
失礼・・・。貴女の血が、ポーに相応しいか、少しだけ試させて頂きました。
完璧です。・・・と、言いながら、心の中では、オスカル嬢には、比べ物には、なりませんが・・・。と思っていた。
また、ジェローデルは、言った。
一緒に旅をしませんか?
時を超え、老いに怯える事なく、死さえ超えて、いつまでも、豪華な暮らしをして・・・。
私には、その様な暮らしを貴女に与える事ができる。
貴女も・・・。
私の手を取れば、直ぐに向こうの世界へお連れします。
むろん、貴女にも考える時間が必要ですね。
私は、こちらに着いてから、ずっと貴女を拝見させていただきました。。
そして、私の永遠の旅の、同行者は、貴女だと思ったのですよ。
私は、今夜、日付が変わってから、こちらを出発します。
もし、貴女が、私の手を取るのなら、この部屋に来てください。
私は、歓迎します。
ボーッとしていますね?
無理もない、今まで、聞いたことのない話を聞いて、人間ではない男に、終わりのない日々を共にしよう・・・と、言われたのですからね。
さあ、お行きなさい。
これからまだ、午後の仕事が待っているのでしょう。
今日が、最後の仕事になるやもしれません。
私の部屋にいらっしゃる時は、とうぞ、何も持たなくて結構です。
全てを、私が、貴女のためだけに、用意させていただきます。
ジェローデルは、人間達の居住区への道順を教えると、再び薄暗いポーの部屋に戻って行ってしまった。
*******************
ジェルメーヌは、急に明るい所に出て、しばし目が眩んだ。
振り向くと、そこには何もなかった。
やはり夢だったのか・・・だが、指先を見ると、不自然なほど、赤く染まっていた。
いつもの癖で、食堂へと向かった。
ガラリと、とびらを開けると、席についている全員がこちらを向き、驚いた顔をしたと思ったら、ホッとして笑みが溢れてきた。
あゝ、良かった。どこにも居なかったから、心配していたのよ。
いつもと変わらない、食事だけど、召し上がってね。
いつもと変わらず、ジャルジェ家の人たちも、グランディエ家の人たちも、優しかった。
座ったがいいが、ずっと黙ったまま、考え込んでいるジェルメーヌを、みんなが心配し出した。
こういう時は、黙っていた方がイイのかしら。
それとも、声をかけた方がイイのかしら・・・。
それぞれ、目を見交わし、困惑していた。
すると、シモーヌが、ジェルメーヌのマグカップににお茶を満たし、ジェルメーヌの前に置いた。
「お疲れのようね。これを飲めば、少しは気分が良くなるわ」と、言った。
これを口火に、それぞれが、慣れない畑仕事をよくやっている。
そろそろ、疲れが出て来たのだろう。
午後は、雨が来そうだから、畑の養生だけだ。
部屋に戻って、ゆっくり休んでいなさい。
口々に言ってくれた。
ジェルメーヌは、まだ、ジェローデルと出会って、
語られた事にポカンとしていた。
それなので、素直に受け入れることにした。
シモーヌが、淹れてくれたお茶を飲むと、
気持ちが落ち着いてきた。
つづく
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