日増しに寒さが厳しくなってきたある夜、食事が終わると子ども達も母も早々に部屋に引き上げてしまった。
夫婦が2人きりになるのは、久しぶりだった。

それだから、甘い話になるのかと思いきや、アンドレが、ひどく真剣な声で言った。

タンプルの塔に移られて、だいぶ経ったな。
何か、秘策でも練っているのか?

そのアンドレは、建築の図面を引き、現場監理をずっとしてきている。それまでも、筋肉質であったが、一層心身共に逞しさを備えた。
しかし、かつてお転婆で、男の子として育てられたお嬢様の『遊び相手兼護衛』も忘れてはいなかった。

今では、すっかり一家の大黒柱としての、風格を備えていた。それに加えて、3人の子供も守り、育てる。・・・と言う、義務と喜びに溢れていた。

アンドレは、何年モノだか分からなくなってしまった『ばあやの梅酒』をチビリチビリ呑んでいた。酒は、古酒になりつつあるが、妻は全く年代を重ねてないな。・・・とみつめた。

だが、妻の中身は相変わらず、生来の勇ましさ、凛々しさ、頭の回転の良さ、人を導く指導力、少年ぽさも、兼ね備えていた。それに、三児の母親としての逞しさも新たに加わり、その上一家の主婦でありながら、夫に対しては、相変わらず溢れるくらいの愛情を全身で示し、また、声に出して告げていた。

その妻、オスカルが、1歳を少し過ぎたフランソワを抱きながら、
アンドレと同じく、古酒になった、梅酒をチビリチビリと飲んでいた。
が、突然、アンドレ、おまえの備忘録を見せてくれないか?と言う。

珍しい事も言うものだ。とアンドレが内容は、おまえのと変わらないと思うが・・・と一冊のノートを渡した。

オスカルも自分の備忘録を出してきた。
そして、わたしのは、これだ。とアンドレに渡した。

アンドレは、軍歴の誉れ高いジャルジェ准将が、どのようなことを書き、何を足しているのか、ワクワクしながら、ページを開こうとした。

すると、オスカルが、
「何をやってるんだ。こう持って、ラストのページから、パラパラめくるんだ❣️」
と、左手でノートを丸めて持ち、パラパラッとめくった。

アンドレの目が、点になった。
「ほら!絵が変わっていくだろう。おまえもやってみろ!
良く分かるだろう?」

アンドレは、未だ知らなかった妻を発見した。
ジェローデル博士の講義を聞きながら、妻は、パラパラ漫画を書いていたのだ。

なんと言う、あっぱれな受講生だ。これを知ったら、博士は、如何なのだろうか。
泣いて喜ぶか、はたまた脱力して笑い出すか・・・。
アンドレは、呼び寄せられるなら、直ぐにでもジェローデルに来て欲しかった。

そして、パラパラ漫画を書いていた妻は、つまり、未来予報士ジェローデルの講義は、全て頭の中に入っているのだ。

アンドレが、あちこちに感心している間に、オスカルは、アンドレのノートをやはり、パラパラッと見ると、しばし考え込んだ。

そして、やおら言った。

アンドレ、今夜は月明かりがあるのか?・・・と・・・。

アンドレは、何を言っているのかわからないが、長年の習慣で、素直に答えた。
あゝ、今夜は満月だ。
星もきれいだぞ。
その代わり、冷えるけどな。

すると、オスカルは、では、少し夜のデートでも楽しまないか?
嬉しそうに、満面の笑みでアンドレを誘った。

こんな笑顔で、誘われては、子どもだけ置いて無用心だ。
なんて、無粋な事も言えず、従うのみだった。

取り敢えず、長男には、留守にするから、アリエノールを頼む。と伝えた。
次男を寝かしつけようとした。

すると、これはまだ、1人にしておくのは、ダメだ。
連れて行く。と言われてしまった。

なんだ、こぶつきか!少々ガッカリしたが、パリに戻ってきて、オスカルからデートに誘われるのは、初めてだったので心が弾んだ。

オスカルが、支度をしてくると言って、奥の部屋に行ってしまった。
アンドレは、玄関近くのクローゼットから、オスカルお気に入りの、黒のマントを取り出して、いつでもオスカルが羽織りやすいように持って、スタンバイしていた。

待たせたな・・・。オスカルが、出てきた。
アンドレは、知らなかった妻をまた、発見してしまった。

オスカルは、おんぶ紐で、次男を背負っていた。その上に、アンドレが冷えると、言ったからだろうか、綿入れのねんねこ半纏を着ていた。ズボンは、多分、暖パン。足元は、UGGだろう。

さらに、髪が邪魔になるだろうと、頭の上にお団子にして、鉛筆を一本刺して留めていた。

アンドレは、ポトリと力なく、マントを下ろした。
そして、クローゼットに片づけた。

そして、自分の姿を見た。最近は、昔に比べると、ずっとカジュアルになっていた。ジーンズをはいて、スニーカー、そして、半袖の真っ白なTシャツ、その上には、袖なしのダウンを着ていた。

アンドレは、複雑な気持ちで・・・。
オスカルは楽しそうに、外に出た。
外気が冷たかったが、部屋の中で、ぬくぬくしていた身には気持ちがよかった。

長年連れ添った、夫婦であり幼馴染である。
あえて言わなくても、何となく通じてしまうが・・・。

アンドレの心中では、奇妙なカップルだった。だが、庶民から見ると、普通の夫婦が、普通に夜の散策を楽しんでいるとしか見えなかっただろう。

寒空だったが・・・。

オスカルが、アンドレを誘導して歩く。
アンドレは、オスカルと久し振りに・・・何時からなのか分からないが・・・手をつなごうとした。まだ、初めて手をつなぐ、若者のように、そっと、隣を歩くオスカルの方に手を差し出した。

手がなかった。そっと見やると、オスカルの両手は、子どもの尻あたりで、子どもを揺すりながらも、しっかりと支えていた。

アンドレは、この時初めて、オスカルの・・・自分の子でもあるのだが・・・子供に、嫉妬した。

それでも、話は弾むのだが・・・関心は、やはり、子どもの事だった。最近何に、興味を持っているのか、とか。長男が、近所の子どもと、取っ組み合いの喧嘩をした。すると、アリエノールが、援護に駆けつけて、そのうち、近所の子どもが、全て集まって、何がんなんやら、分からなくなり、そのうち、手つなぎ鬼になってしまったんだ。

そんな話を、オスカルは楽しそうに語っていた。
オスカルが、幸せで、笑っていれば嬉しかったアンドレだったが、今夜は、そんな事より、もっと、ロマンチックな話がしたかった。

月も輝いていた。
星も降るように、瞬いていた。

アンドレの方から、恋人時代の話をしようと考えたが、己の関心事も、同じような事しか、浮かんでこないのに、がっかりした。でも、これが、長く夫婦として暮らしてきた悦びなのかとも、感じた。

あっちに行って。こちらの角を曲がって。それから、左に折れて・・・。足の向くまま、気の向くまま、オスカルは歩いている様だった。しかし、アンドレには、オスカルが何か思案があって、歩いていると感じた。

そんな訳で、道順をしっかり覚えようとしたが、やたらくねくねと曲がるし、オスカルは、様々な話し・・・色気のない・・・をするものだから、相づちをうって、考えているうちに、どこを歩いているのか、分からなくなってしまった。

分からなくなったので、覚えるのをやめた。
するとまた、ポケットの中で寂しがっている手が気になった。

そう言えば、おれたちは、幼い頃からずっと一緒で、恋人同士の甘い時代ってあったのかなあ?アンドレは、空を見上げて考えた。

月は、雲に隠れて見えなかった。
そういえば、あの日の午後も寒かったな。
あゝ、オスカルが訪ねて来た、あの日から、軍に戻ることを決めた、1年間が甘い日々だったのだな。

あの頃は、オスカルと店に立って、客が来ないと、ふざけ合っていた。料理も一緒に作って、ふふふ・・・普通の恋人同士みたいに、食べさせあったりしたな。それから、井戸の周りをいつも追いかけっこしていたっけ。宝石のようにキラキラした、日々だった。

あの頃は、これから先の事など考えもしなかった。ただ幸せな毎日が明日も続くのだと思っていた。子どもが生まれると言うのに、生活の事など考えていなかった。

もともと、おれ独りが暮らして行く事しか考えていなかったものな。おれも、ケツの青いガキだったのかもしれない・・・。

あの1年が有ったから、その後の困難にも立ち向かえたのかな。
アンドレが、そんな事やあんな事を考えていた。
すると、オスカルが、ボーッとするな!何処に行くつもりだ!?

オスカルに怒鳴られてしまった。アンドレが、昔の郷愁に浸っているうちに、オスカルが歩きを止めたのに気づかず、先に行ってしまったようだ。戻って来ると、この角を曲がるぞ!と、言われた。あちこちと、付いて行くだけだったその夜、初めて指図された。

あゝ、オスカルは、『今』を生きているのだな。
おれ・・・少しだけ感傷的になってしまった。
これからする事に、全力投球しなければな!

オスカルが、ニヤリとして、脚を止めた。
前方は真っ暗で、何もみえない。
すると、雲間に隠れていた月が、前方を照らした。

巨大な、威嚇するような建物が現れた。
アンドレが、これが、タンプルの塔・・・か・・・。
ぼそりと、つぶやいた。

「ああ、ここだ。ここに国王陛下ご一家がいらっしゃる。
あの、左の窓・・・。
あそこが、陛下たちのいらっしゃる場所だ」
オスカルが、指差して言った。

「あそこか・・・。チラチラと、人影があるな!
それよりも、こんな所でウロウロしていて、大丈夫なのか?」
アンドレは、自分たちが丸腰なのに気づいて慌てた。

オスカルは、フランソワを揺すりながら、
「まずいな!
少し歩きながら、話そう・・・。」

歩いていると、アンドレのポケットにオスカルの冷たい手が入って来た。指を絡めて、温めると、直ぐにポッと温かくなった。
アンドレが、オスカルを見降ろすと、

「ふふふ・・・わたしたちの、守護天使が来ているみたいだ」
オスカルが、アンドレを見上げて言った。

「レヴェとヴィーか・・・。連絡を取っていたのか?」
アンドレは、これが、作戦会議ではなく、既にすべてが決まっている、ジャルジェ准将からの命令だと、認識した。

だから、わざわざ散歩に出かけるのに、のんびりとした、夫婦に見せかけるように、
このような格好で出てきたのだろう。
オスカルが、好き好んでこのような服を着て、この寒空に子どもを連れて歩く事など無かった。

おれは、どうやら、平和ボケしていたようだな。
アンドレは、シャキッと従卒だった頃の顔に戻った。
それを察したのだろう。

「ああ、どうしても二人の助けが必要なので、綿密な作戦を練った。
かなり、力も貸してくれた。お陰で、作戦はうまくいきそうだ」
至極当然と、言った。

「いつ決行するのだ?年が明けると、陛下の裁判が始まる。
そうすると、国王陛下1人、離されてしまうぞ」
アンドレが、愛しい妻に囁くように、指示を仰いだ。

すると、オスカルもアンドレの口調に合わせるように、しかし、ニヤリと笑って、
「アンドレ、おまえ、サンジュストの歴史に残る名演説が聞きたくないか?
ん?
観覧席のしかも特等席のチケットを2枚ゲットしてある。
ハッキリと、聞く事が出来る。
しかも、グッズ付きだ!

だから、陛下の処刑が決まった日に決行だ」

「確か、その後陛下と、アントワネットさま達が、面会できる時間は、僅かだぞ!
それに、ジェローデルの情報では、いつ頃だか分かっていないぞ」
アンドレが、相変わらず世間話をするように言った。

「それに、陛下たちにどうやって脱出するのか知らせるのだ?」
アンドレの言葉に、またオスカルはニヤリとして、
「国王ご一家にも、お伝えはしない。
事前に申し入れて、お断りされても困る。

それに、陛下たちも知らなければ、ご一家のお別れの場面が哀れ過ぎて、警護の者達も気を緩める」

アンドレは、そこまで考えているのか、と思った。
だが、それでは、陛下ご一家が可哀想すぎるとも思った。
「一家に恨まれるぞ!」オスカルに、今度は強く言った。

「恨まれても構わない。お助けするのが、我々の目的だ」
「他に、仲間は誰だ?」アンドレは、事前にこれは知らなければならない。
陛下一家のように、その時に告げられても、困るぞ!そう言った。

オスカルは、笑いながら、
「わたしたち、2人だけだ。しいて言うなら、あとは2人の守護天使だ」

「命のやり取りをさせられるのだ。陛下たちは、一度失敗している。慎重なのじゃないか?」アンドレは、いつものように、細やかな所を聞いていく。

オスカルは、きっぱりと、
「だから、今度は失敗しない。確実に成功させる。
その為には、陛下たちにも、ご不自由をお掛けするが、それもこれも、自由の為だ」

オスカルのその言葉に、オスカル自身も命を懸けている覚悟をみたアンドレは、もう何も聞かず、作戦の指示を仰いだ。

2人は、塔の壁に沿って、右に移動している。
「どうやって、進入するつもりだ?
まさか、おまえの事だ、正面玄関から、呼び鈴を鳴らして、
はい!こんにちは。国王一家をかっさらいに来ました。

なんて言うのじゃないだろうな?」
アンドレは、手をつなぎながらも真剣だった。

「それも、考えたのだが・・・。
素直に引き渡してくれるとも、思えない。

正攻法で行く!」
オスカルも、真剣だった。
アンドレは、まさか、月を愛でるデートで、作戦会議が始まるとは思っていなかった。しかし、考えてみれば、オスカルの行動パターンとしては、順当なものだった。

「正攻法か・・・。
だが、あの窓は、クレヴァン蝋人形館で見たが小さかったぞ。
たとえ細身のおまえでも、入る事は難しい。
まさか、ドリルで穴を開けて大きくするとか・・・。

などとは、考えてはいないよな」
と、アンドレは、オスカルの顔をのぞいた。

オスカルは、フフンと鼻を鳴らして、
「我々には、忍者ハットリくんと言う、強い味方があるじゃないか!
アレを使わない手はない!

ただし、中の方々に驚かれてはいけない。
入る瞬間に、元に戻るのだ。おまえ、出来るか?」

「その位、朝飯前だ。
それよりも、おまえの事だ。
かっちょ良く、オスカル・フランソワ参上!ってやりたいのではないか?」
アンドレが、オスカルの習性を思い出して進言した。

それはうっかりしていた。とオスカルは思った。
「そうだなぁ!もう少し考えてみるか!」
真剣に検討する事にした。

「顔は、どうするのだ?
見られたら、おまえの美貌だ。
覚えられて、すぐにでも、家を探索されるぞ」

「ふふふ・・・その為に、これを用意した」
そう言って、オスカルはアンドレとつないでいた、手を離すと、ポケットから、目出し帽を2個出した。

アンドレは、オスカルお嬢さまには、幼い頃からずっと、驚かされ続けてきたが、これほどまでに、驚かされたのは、初めてだと思った。

オスカルが、真顔に戻って、
「とにかく、窓から侵入する。そして、逃げる!
警護のモノを、殺すなよ、峰打ちだ」

「何処へ?また、窓から逃げるのか?」
アンドレは、タンプルの塔の内部がどうなっているのか分からないので、来たところから戻るのかと、聞いた。

「国王一家は、三等身にはなれないから、階段を下りる。
部屋の外が、直ぐ階段になっている。
人一人が、すれ違えるかどうかぐらいの幅らしい」

「らしい?レヴェとヴィーの調査か・・・。
じゃあ、おれがマリー・テレーズさまを抱いて、
おまえが、シャルルさまだな」

言わなくても通じる、相棒アンドレを頼もしく思いながら、オスカルが続けた。
「ああ、おまえが、先に行って、見張りのモノを倒してくれ。わたしは、後ろを護る」

「ちょっと待て!階段は、狭いのだったな。斬鉄剣が振るえない。
居合だな。
殺せないとなると、短刀の鞘が甘くなっている。
動きまわっているうちに、鞘から外れたら大変だ。
・・・木刀を削って、いい具合に作るか・・・。

では、マリー・テレーズさまでは、少々身動きが取れない。
歩いていただこう。
国王陛下はどうするのだ?」

「永きの幽閉で、ダイエットされていればいいが・・・。」
オスカルが、祈るように言った。

「おまえ、パリを歩いていた時行かなかったらしいな。
クレヴァン蝋人形館の陛下は太っていらしたぞ」

オスカルが、え゛・・・っと、真剣に言った。
「では、階段の上から蹴とばしてしまおう。
転がった方が早いだろう」

アンドレの頭も、どんどん軍務についていた頃の状態になってきていた。
「で、一階まで行って、その後は何処から脱出する?」

「イヤ、そのまま、地下に行ってくれ!
ドアがあるから・・・。」

面白そうに、アンドレが言った。
「蹴破るのだな!」

「蹴破ったら、おまえの足が壊れてしまう。
鉄の扉で錆びついていて、開かずの扉になっている。
それに、逃亡の痕跡を残してしまう。
レヴェとヴィーが何とかしてくれる事になっている」

「地下に降りてどうするのだ。
逃げ場がないぞ」

「ふふふ・・・おまえ、レ・ミゼラブル見ただろう?
ジャンバルジャンが、マリウスを助けただろう?
あの手で行く!」

「じゃあ、セーヌ川まで、行くのか?」
アンドレは、セーヌ川まで行ってどうするのか、分からなかった。

2人で全ての作戦を行う。
そう言っていた。では、船など用意できない。
アンドレは、オリオン座を見上げながら、オスカルがどう作戦を練ったか考えた。

歩きながら、オスカルと話しているうちに、アパルトマンの塀に沿って、家の裏に来ていた。
裏木戸を入ると、オスカルが言った。
ココだ!オスカルが、自宅の庭の、芝生に隠れた石畳を踏んだ。
マンホールだった。

「ここに、誘導するのか?
だから、おまえ!あんなにぼろかった、この家に、執着していたのか?

それに、子ども達が秘密基地を作るから、足音がうるさくなるだろうから、3階の床を、音が漏れないよう、頑丈にしてくれ!

バイオリンを奏でるから、外に漏れないよう、外壁を補強してくれってのは、国王一家が、いらっしゃるのを子ども達に知らせない為と、外に話し声が漏れない為、だったのか?

それに、ウッドデッキを作れ、芝生を植えてくれ、焼却炉を置いてくれ・・・も、そうなのか?

おまえ、初めから、タンプルの塔を狙っていたな?」
アンドレは、妻の・・・ではなく、ジャルジェ准将の綿密な作戦に、感服した。

「当たり前だ。あの家は、レヴェとヴィーが、此処がいいと、示してくれた。
フェルゼンは頑固者だ。その上、方向音痴。それに、アントワネットさまに逆らえない。これだけはどんなに説得しても、直す事は出来ない。

ただし、あの時おまえが言った、ジャン・ドルーエの事を、失念していたのは、不覚だった。しかし、あの時逃亡に成功していたら、戦争が起こり、民衆は今よりもっと辛い生活を強いられただろう。

だから、勝負は、タンプルの塔と初めから決めていた。
そして、それが一番正しい道だと確信した」
オスカルは、相変わらず、仲の良い夫婦が子どもをおんぶして、寒空を散歩中に、おしゃべりをしている風に言った。

「ふふふ・・・わたしのこの姿に驚いただろう?この姿なら、誰が見ても夫婦が寒空を散歩していると思うから、ダサイ姿をして来た」

アンドレは、もうもう、ポカンと口を開けるだけだった。アンドレの中では、オスカルは、妻になって、3人の子どもになって、殆ど女として生きてきたはずだった。

だがそれは、仮の姿で、その実態はジャルジェ准将だったのを再認識した。アンドレは、嬉しかった。

それと同時に、思った。そんなに前から、作戦を立てていたのか・・・敵にすると、怖いな。夫婦喧嘩なんかしたら、大変だ。今までは、無かったのが、幸いだ。

そんな事を考えていると、ジャルジェ准将が、
「後は、中に入って話すぞ」
キリっとした声で告げた。

裏庭から入ると、リビングルームだ。
暖炉に火が残っていて、パチパチと音を立てていた。
アンドレは、日頃火の始末に、気を付けているオスカルが珍しいと感じた。

オスカルは、そんな事にも構わず、
「暗い、灯りを付けてくれ」
命令調だった。オスカルは、まだ、ジャルジェ准将だった。

灯りが付くと、オスカルは、
「ああ、右手が冷えてしまった」
そう言うと、子どもの尻の下にずっと固定していた、右手を出す。
そこには銃が握られていた。

アンドレは、それを見て、また、ジャルジェ准将の軍事能力に驚いた。
だから右手をずっと子供の尻の下に置いていたのか・・・。
ジャルジェ准将には、一生逆らえないと再び覚悟を決めた。

アンドレは、普段女性として生きている、妻も愛していたが、このように、懐かしい准将である、妻にも懐かしさを感じるとともに、愛を感じていた。

銃を置くと、オスカルは、暑い暑いと、綿入れのねんねこ半纏を脱いで、バサッとソファーに投げた。
その後、乱暴におぶい紐を、ほどいて子どもと一緒にやはりソファーに投げた。

それを見ていたアンドレが、慌ててすっ飛んできた。
「何をするんだ!自分の子どもだろう?!」

すると、オスカルは、
「バカか?おまえは?
この寒空に、フランソワを連れていく母親がいると思ったのか?
それも、銃を持っていくほど、危険な場所だ!
わたしは、そんなバカではない!

よく見てみろ!キューピー人形だ!
フランソワなら、こっちのベビーベッドで良く寝ている!」
アンドレは、その場にへなへなと座り込んだ。

今夜は、どれだけこのお嬢さま兼准将に驚かされるのか・・・。
まだまだ、これからなのだろう・・・腹をくくった。
まあ、いい、何処までが、Xデイの為なのか、幼なじみとして、ずっと軍務をサポートしてきた身としての、興味も抱いた。

アンドレは、グラスにばあやの梅酒を持って来た。
オスカルは、メルシーと言うと、
「先ずは、おまえに、決めてもらいたい事があるのだが、
どちらのルートがいいと思うか?」

「どういう事だ?何故、おれが決めるのだ?」
「往路と復路だ。両方とも、我が家のマンホールに通じている。
どちらがいいと思うか?」

アンドレには、言っている意味が分からなかった。
え゛・・・。もしかして、今夜歩いた、往路と復路の事を言っているのか?
長年の経験で、理解した。

往路は、あちらこちらを曲がって、かなりの距離を歩いた。しかし、復路は、タンプルの塔からかなり近く、ほぼ直線のルートだった。普通だったら、近い方を選ぶのに、なぜオスカルは、そんな事をおれに聞くのだろうか?

「言っている意味が、分からないのだが・・・」
アンドレは、素直に言った。

オスカルは、
「往路は、距離は長いが、殆ど平坦で、歩くのに差しさわりが無い。
下水道での明かりも、進行方向もレヴェとヴィーが先導してくれる。
これは、どちらを選んでもだが・・・。
ただ、歩く事に慣れていらっしゃらない、陛下ご一家が歩かれるには、長すぎる。」

アンドレは、だったら、復路の道でいいのだろう、と思った。
やはり何を聞いているのか分からなかった。

オスカルは、続けた。
「復路の方は、距離は短いが、難所がある。
一か所、下水道が、深くなっているのだ。
それも、おまえが入っても、頭さえ出ない程な」

アンドレは、乗り出した。そう言う事だったのか・・・。
つまり、そこを通り抜けるには、おれとオスカルで、5人の方たちを、どうにかしなければならないのだ。

「流れはあるのか?」
アンドレが、聞いた。

「イヤ、下水が滞っていて、かなり臭いだけだ。
汚水の底は、どうなっているのか、
レヴェとヴィーでも、探索不可能だった」

「お子様方と、アントワネットさまにエリザベートさまは、おれが何とか出来る。
万が一の時の為に、シュノーケルと水中メガネそれにフィンを用意しておいてくれ!

問題は、国王陛下だな?」
「そうなのだ。だから、どちらにするのか、迷っていた」

アンドレは、かつて、ヴェルサイユ宮殿で、お会いした国王陛下を思い出した。

身体に力を入れずに、水(汚水)にゆったりと浮いていてくだされば、ライフセーバーのように、首を持って、軽々と渡り切れるが・・・。
あの、小心者の陛下だ、そんな事は出来ないだろう。

アンドレは、オスカルにその件は、考えさせてくれ。
近い方のルートを行けるようにする。と、請け負った。
オスカルは、さすが、わたしのアンドレだ!称賛した。

そうすると、アンドレが、聞いてきた。
「タンプルの塔の見取り図を見たい。
もしもの場合、他の逃げ道を考えなければならない。
その為にも、先導するおれが知らなければ、困るだろう?」

オスカルは、全く相手にせずに答えた。
「その必要は、ない。何通りも案を出して、検討して決めた。
それに、レヴェとヴィーが実験済みだ。
それと、此処をもしも探索された場合に備えて、燃やしてしまった」

こいつは、どこまでも軍人なのだな!
アンドレは、軍人オスカルを、懐かしくも思った。

「いつから、あの2人は、おまえのそばにいたのか?」
アンドレは、聞いてみたかった。

「さあ?気がついたのは、アラスからの帰路だ!
でも、その前から、ずっと傍にいてくれたような気がする・・・。」
しんみりと言う。

すると、急に打って変わって、ニコニコ笑いながら、
「見てみろ」
と言って、ソファーに投げた、キューピー人形をアンドレに見せた。
上の2人には、キューピー人形買ってやれなかったからな。

この子には、持たせてやろうと思って、買ったのだ。
だが、この様な所で役に立つとは思ってもみなかった。

アンドレは、コロコロと、准将になったり、愛しい妻になる、
オスカルをやはり、優しく愛しい眼差しで見つめた。


つづく


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