深夜になった。子ども達は、もう眠りの中。
3階の高貴な方々も、もう用事はないだろう。
オスカルは、ソファーの上に、相変わらず、体育会座りをして、顔を上げない。
そのオスカルの前に、アンドレは、そっとなまぬるいショコラを置いたが、オスカルは、全く動かなかった。アンドレの心も、ボロボロだったが、今それをオスカルは共有する事も出来ない様子だ。
そこへ、玄関ドアをノックする音がした。
このような時に・・・と、アンドレが、開けると、ジェルメーヌを抱いた、ジェローデルが飛び込んできた。
2人とも、ボロボロだった。
アンドレは、余りにも驚いて、ドアを開けたまま、固まっていた。
奥から、オスカルが、何事かと走り出てきた。
ジェルメーヌを見ると、駆け寄り、
「アンドレ、2階の空いている部屋に連れて行ってくれ!
わたしは、必要な物を持っていく!」
オスカルは、瞬く間に、ジャルジェ准将に戻った。ジェルメーヌを一見して、火傷であると確信した。そして、それ以外にも何かあるかもしれないと、救急箱を抱えて階段を上った。ジェローデルの状態など、全く、out of 眼中だった。
しかし、詳しい経緯を知りたく、ジェローデルに付いて来い・・・声を掛けた。
ジェローデルは、よろよろしながら、ついて行った。
オスカルが、2階に行くと、ジェルメーヌが、ベッドに横たわっていた。意識が無いのかと思ったが、時折痛みであろう、うめき声を発する。
でも、呼吸が、荒く。
脈も早い。アンドレが、告げた。
するとオスカルは、アンドレに、わたしの新しい夜着を持って来てくれ、その間に、張り付いている囚人服を脱がしている。
正に准将の口調だった。
アンドレは、やはり自分は、准将にはなれないな。と感じた。
焼け焦げた囚人服を、取れるだけ取りながら、火傷の具合を見ていった。一息つくと、オスカルは、ドアにもたれ掛かって、覗いているジェローデルに気が付いた。
おまえは、出ていろ!手当が終わったら、呼んでやる!
あの時、ギロチンの刃に稲妻が走った。しかし、右側の顔の火傷だけが酷かった。首から肩にかけても、焼けただれている。オスカルが、思い出した。でも、見ていいのか、悪いのか、恐怖に駆られて、見ていたので、かなり、あやふやだった。
オスカルは、此処まで酷い、火傷の治療法が分からなかった。既に、戻って来ているアンドレも、お手上げだった。オスカルが、自室にある、『家庭の医学』を持って来たが、書いていない。
「普通の火傷なら、冷やせばいい。だが、この様に酷いと、何か特別な、軟膏が必要なのかもしれない。多分、痕が残るだろうな」
オスカルが、言った。冷静な判断だったが、そこには、色々な思いが込められていた。
「オロナイン軟膏じゃ、ダメかな。それとも、タイガーバームの方がいいかもしれない」アンドレが、薬箱をガチャガチャと探して、ふたつの軟膏を取り出した。
「その前に、消毒をした方がいいのかもしれない・・・。
だが、まだ、痛みがあるようだし、オキシドールを使ったら、激痛が来るかもしれない。どうする?」オスカルが、アンドレを見た。
「お湯と、ガーゼを持ってくる」
アンドレが、すっ飛んで、部屋を出ると、廊下にジェローデルがうずくまっていた。
「なんだ、おまえ、立っていられない程なのか?」
ジェローデルは、こくんと頷いた。
「じゃあ、そうやって、座っていろ!」アンドレが、冷たく言って消えた。
お湯に浸したガーゼで拭いていくと、焼けただれた皮膚に張り付いていた囚人服が、ポロポロと落ちていった。が、それが本当に囚人服なのか、それとも、ジェルメーヌの皮膚なのか、分からなかった。
それに、オスカルもアンドレも、そうするのがいいのかも分からなかった。
とにかく、出来る事をしようとした。
本当は、医者を呼べば良かったのだが、医者いらずの、家庭だったので、そのような事は、全く頭に浮かばなかった。それに、浮かんだとしても、何処に、外科医がいるのかも、分からなかっただろう。
火傷をしたところを全て拭き終わった。
軟膏をつけようとして、どちらがいいのか分からなかった。それなので、部分的に両方つけて、明日になって、よくなった方を採用しようと、判断するしかなかった。
夜着を着せた所で、ジェローデルを部屋に入れた。
本当は、入れたくなかったのだが、ジェルメーヌを独りにしてはいられないので、仕方なく・・・。
*******************
どうして、おまえが、ジェルメーヌを助けたのだ?
それよりも、助けるなら、彼女がコンシェルジュリにいた時にでも、出来ただろう?
わたし達は、サンソンが首を掲げたのを、ハッキリと見たぞ!
オスカルが、ジェローデルの傷など、見もしないで、いきなり聞いた。
それに、革命広場から、ポーなら、ひとっ飛びだろう。
何でこんなに時間がかかったのだ?
立て続けに、オスカルが問い詰めた。
「初めから、お話しさせてください」
ジェローデルは、正直に言うか考えた。
あの、アラスでの夜の出来事を・・・。
しかし、そうすると、目の前の男は不幸になってしまう。
すると、自分も不幸になるので、やめた。
ジェローデルは、コンシェルジュリに居たジェルメーヌに告げた事と、同じことを語った。
但し、オスカルからエネジーを貰ったのは、アラスに訪れ、手の甲に口づけた時と話した。
アンドレが、不幸になり、その為、オスカルも不幸になり、そして、己も不幸になるから・・・。
ジェローデルは、ボロボロの黒のマントを纏っていた。
オスカルが、その夜、初めて顔を見た。
ほお!おい!アンドレ!見てみろ!ホントに白くなっているぞ!
それで、コンシェルジュリから、無理やりにでも連れだせなかったのか?
オスカルが、何やってやがるんだ!この野郎!と、普段はアランにしか、使わない言葉をジェローデルに、投げかけた。
ジェローデルは、
「あの時は、私と一緒に行きませんか。と、お誘いしたのです。
それを拒まれましたので、引き下がるしかありませんでした」
引き下がる馬鹿がいるか!彼女が、何処にいたのか、分かっていたのか!?
またも、オスカルの怒声が響いた。
但し、ジェルメーヌが、いたので少しだけ、声を落として・・・。
オスカルの言葉を無視して、ジェローデルは続けた。
「ただ、今日は、彼女の生死が掛かっていましたので、彼女が望もうと、拒もうとも、助けるしかないと、行動いたしました。
ただ、2人の悪ガキが、私の邪魔をして、なかなか手を出せませんでした」
「その2人は、わたし達の、守護天使だ。彼等が、ジェルメーヌを助けると言ってくれていた。おまえが邪魔をしたから、あそこまで、時間がかかったのではないか?それに、多分おまえなのだろう、空に黒い物体が現れた途端、暗くなってきた」
オスカルが、更に、怒りをあらわにした。
「知らなかったのです。小さな堕天使が、空を回っているので、ジェルメーヌ嬢の魂を天上に導くためにいるのだと思ったのです。
そして、彼等がこちらに攻めてきたのです。
何を目的にしているのか分からない相手が、攻めてきたので、応戦するしかなかったのです。私とて、元は軍人です。
ただ、1人が『ジェルおねえちゃんは、ぼく達が助ける』と、言ったので、仲間だとやっと、わかりました。
しかし、遅かったのです。彼等と私が、手を組もうとした時、既に、お互いの戦いで、雷雲が発生していました。
そして、下を見ると、ジェルメーヌ嬢が、うつ伏せになっていました。
私たちは、空高くにいましたから、助けるのに時間がありませんでした。
小さな二人組も、焦っていました。
私は、雷には弱いのです。でも、そのような事を言っている場合ではありませんでした。この際、雷を味方につけようと、考えました。
お2人もご覧になったでしょう?あの、稲妻に乗って私も急降下しました。そして、稲妻は、ギロチンの刃に落ちました。ものすごい光が発せられました。
群衆も、サンソンも光で目が眩んでいました。
その間に、ジェルメーヌ嬢を助け出しました。
それで、私は雷の所為で、ヨロヨロになりました。
すると、遅れてきた、2人組が私と、ジェルメーヌ嬢を群衆に紛れ込ませたのです。
群衆も、死刑執行人も、止まったままでした。
2人組が、稲妻が落ちた時、時間を止めたようです。
それからは、再び時間が動き出した時、群衆に紛れていたので、前方で何が起こっているのか、分かりませんでした。
ただ、歓声が、聞こえ、群衆が小躍りするのを見ていました。
とにかく、私は飛び立って、こちらに来ようとしたのですが、出来なかったのです。
それで、広場の端に行って、ジェルメーヌ嬢の様子をみました。息をしているものの、痛みで微かな声を上げていました。
それから、自分にはないので、うっかりしていたのですが、脈をみてみました。
ジェルメーヌ嬢の脈は、多分少し早かったと思われます。
が、その時、気づいてしまったのです。私にも、脈があったのです。
どうやら、人間に戻ってしまったようです・・・。」
ここまで、ジェローデルは、一気に話した。
多少、盛ってるようだが、だいたいは、合っているのだろう。
そう思って、聞いていたオスカルが、再び小さな声で、怒鳴った。
「え゛!戻れるのか?
でも、お前がポーになるのは、まだ、これから先だろう?理解不可能だな」
オスカルが、これは、ガセだな!そう思いながら、聞いた。
アンドレも、同様に、やはりこいつは、信じてはいけないと、心に刻んだ。
「私にもよくわからないのですが、多分、営倉にいる人間である私と、この異端のポーの私が、雷によって化学反応を起こしたようです。
それしか、考えられません」
そう言いながら、ジェローデルは、今まで被っていたフードを下ろした。
オスカルとアンドレが、ジェローデルの頭を指差しながら、笑い転げた。
ジェルメーヌが、寝ているので、静かに・・・。
「おいおい!その頭『トンスラ』じゃないか!
ポーから、キリスト教徒に変身か?!」
「いつの間にか、こうなっていたのです。
あの時、何が起こったのか、全く分からないので、参っています。
フードを被らないと、寒かったので・・・。今は、暖まりました」
「ふん!おまえは、そんなに、怪我は無さそうだな!
どこか、行く所はあるのか?」
ジェローデルは、思いっ切り首を振った。
オスカルは、追い出したいのを、強靭な力を持って、渋々言いながら、
そっと鎖骨の下の赤い薔薇を見た。もう無かった。
「我が家には、もう空き部屋は、無い。
廊下にでも、寝てもらいたいが、
子ども達が、夜中に踏んづけたら、転んでしまう」
オスカルは、全くジェローデルの状態を無視して続けた。
「バスルームが、空いている。
バスタブなら、棺桶に似ている。
今まで、そうしてきたのだろう?
そこに寝るがいい」
ジェローデルは、コクンと頷いた。
ついでに、アンドレに、これまた、渋々、
「ジェローデルの服が、ボロボロだ。
おまえの服と、夜着を貸してやれ!」
オスカルに言われた事は、なんでも、従うのが、アンドレである。
だが、これだけは、イヤだ!イヤだ!そう言い続け、オスカルを困らせた。
では、きつくて、短いだろうが、わたしの夜着を貸そう・・・。
そうだ!臨月になった時着ていたのが有る。それなら、少しは楽だろう。
そうオスカルが、言い出したので、アンドレは仕方がなく、ぼろくなって、そろそろ捨てるか、雑巾にしようか迷っていた夜着をジェローデルに、貸した。
貸されたジェローデルも、イヤそうな顔をしていた。
自分が着ていた服が、ボロボロだったので、着替えようかと思った。
しかしながら、アンドレの夜着もかなりボロボロで、穴こそ開いていないが、所々生地が薄くなっていた。
それに、オスカルが好きな、アンドレの体臭が、プンプンついていた。
*******************
オスカルが、一晩中ジェルメーヌに付き添った。
アンドレも、付き合うと言ったが、オスカルは、しばらくアンドレを見つめて、おまえはいい!と追い出されてしまった。
アンドレは、そう言われたからと言って、部屋でぬくぬくと寝ている訳にもいかず、廊下で、ボケっと座っていた。が、耳は凄く良かったので、中の様子を聞き逃すまい。何かあったら、駆け込めるよう、待機していた。
夜中になって、暗い部屋が、何度目かぼう~っと明るくなった。
これまた、ボロボロになったレヴェとヴィーが、現れた。
オスカルが、
「よくやってくれたな!」労いの言葉を掛けた。
すると、レヴェが、
「ごめんね。ママン。ぼく達、ジェルメーヌおねえちゃんを助けようとしたのに、ポーのおじさんが、真っ黒なマントを着ていたから、悪魔かと思って攻撃しちゃったんだ。
でも、途中で、味方だと分かったけど、遅かったの。だから、おねえちゃんがケガしてしまった」
「あれは、元々は、ドラキュラだ。
自分では、ヴァンパイアと言っているが・・・。
あれも、彼女を救おうとして、やって来た。
気にするな!」
オスカルが、静かに言った。
「それよりも、彼女とあの男は、かなりの時間をかけて、此処までたどり着いた。
大丈夫なのか?身元を調べられないか?」
オスカルが、心配そうに聞いた。
「それは、大丈夫、ジェルメーヌおねえちゃんとおじさんに、結界張っていたから。でも、その間、こっちのアパルトマンの方が、弱くなってしまったんだ。
だから、それのチェックをしていて、この時間になったの。
こっちも、大丈夫だったよ。みんな、革命広場の方に、関心がいっていて、こっちには、寄り付かなかった」
ヴィーが、申し訳なさそうに、でも、安心して言った。
「ありがとう。おまえ達の働きのお陰で、こうして、無事に暮らしている。
だが、ジェルメーヌに・・・ギロチンに向かって稲妻を走らせたのは、誰なのだ?
それに、何が起こって、こうなったのだ?」
オスカルの最大の疑問を聞いた。
ジェローデルは、雷を恐怖と感じている。
そして、レヴェとヴィーは、稲妻をジェルメーヌに向かって走らせるような事はしないはずだ。
オスカルは、そう考えていた。
レヴェが、言った。
「ぼく達も良く分からないんだけど・・・。
あのおじさんと、ぼく達がぶつかると、雷雲が発生するんだ。
そして、あのおじさんは、雷を怖がっていたから、天のお父さんが、助けてくれていると思ったの。だけど、お父さんは歴史を変えてはいけない人なんだ。それでも、ぼく達を助けて、小さな雷雲くらいは、作ってくれたのかもしれないの。
だから、あのギロチンの刃に向かって行った、稲妻は、ぼく達とおじさんが戦っているうちに、大きくなってしまった雷雲から出てきたのだと思う。
あのおじさんが、そこに乗っかってジェルメーヌおねえちゃんを助けたんだ。それで、ぼく達は、2人を何処かへ逃がさなければならない。そう思って、群衆の中に紛れ込ませて、ヴィーが、結界を張って守っていたの」
ここで、レヴェは、一息ついた。
すると、オスカルが、聞いた。
「サンソンが、血の滴る首を、これ見よがしに掲げていたが・・・あれは、何なのだ?」
ヴィーが、答えた。
「あれも、ジェルメーヌおねえちゃん」
オスカルが、怒りをあらわに立ち上がった。
ふざけんな!怒鳴ろうとしたが、止められた・・・。
「ママン、ママン!落ち着いて!ジェルメーヌおねえちゃん寝ているのだから・・・。」
レヴェに言われて、オスカルは仕方なく、座った。
だが、握りしめた手が怒りで震えていた。
ワイングラスがあったら、握りしめて、割っていただろう!
「ママンは、ママンでしょ?!」
レヴェに何を言われているのか分からないが、オスカルは、一応頷いた。
頷いたが、怒りは収まっていなかった。
「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将の時も、ショットバーのママンの時も、今のママンの時も、みんな、ママンであって、でも、一本通った軸が、ぶれないで、ずっと『オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ』だったでしょ?」
オスカルには、レヴェが何を言いたいのかさっぱり分からなかった。オスカルには、自分は、自分であり、そのままの自分でずっとそうしてきたから、そうなのだ!それしか分からなかった。
「でもね、ジェルメーヌおねえちゃんは、軸がぶれぶれだったんだよ。
ボーフォール公爵家では、ほっとかれて、父親である、ジャルジェ伯爵将軍家でもない。ずっと、宙ぶらりんで生きてきたの。それに、ジェルメーヌおねえちゃんは、『ジェルメーヌ』の後に、何て、ファミリーネームを付けてイイかも、分からなかったんだよ!」
オスカルは、今気が付いた。そう言えば、ジェルメーヌのファミリーネームを聞いた事がなかった。
それ故、何処にも属する事が出来なかったジェルメーヌの思いは、何となく、分かるような気がした。
だが、それと、断頭台の首とどう関係があるだ!
テーブルがあったら、叩きたいところだった。
イヤ、やはり、ワイングラスを片手で握りつぶす方が、似合っている!
「そんな、ジェルメーヌおねえちゃんを見かねて、天のお父さんが、手を出したの」
「待て!歴史を変えては、いけないのだろう?」
オスカルは、話をすり替えられてはいけないと、口を挟んだ。
「うん、歴史は変えられていないよ。だから、軸が、ぶれぶれのジェルメーヌおねえちゃんを、ギロチンにかけたの。それで、ジェルメーヌおねえちゃんが、なりたかったジェルメーヌおねえちゃんが、ここにいるんだ」
レヴェが、やっとここまで言えたと、ホッとした。
オスカルは、腕を組んで考えていた。
「人は、自分の理想と、現実の狭間にある。
それでも、悩んで、もがいて生きて行くものではないのか?
確かに、ジェルメーヌも、悩んでいた。だけど、それは彼女自身が、解決しなければならない。ましてや、人の力を借りて、手に入れても、満足できないのではないか?」
オスカルが、静かに言った。
もう、子供たちにではなく、対等の相手として、話していた。
レヴェが、語りだした。
「ママンは、もし、父さんがいなかったら、どうなっていたと思う?」
「どうって・・・。わたしが、生まれた時、既にアンドレは側にいた。アンドレのいないわたしは、考えられないし、わたしがいないアンドレも考えられないはずだ」
オスカルは、思った通りの事を答えた。
「だから・・・。もしも!だよ!」
「だから・・・。もしもも、現実も!わたし達は、2人でずっと生きてきたから、離れ離れの事など考えられないのだ!」オスカルが、断定した。また、怒りが蘇りそうになった。
すると、レヴェとヴィーが、2人でコソコソと言い合って、今度は、ヴィーが、主導権を取ったみたいだ。
「ママンは、生まれた時から、男として育てられて、軍人になる事を決められていたよね?」
オスカルは、何をいまさら・・・。と、頷いた。
「それで、近衛隊に配属されて、それから、衛兵隊に行って・・・。で、バスティーユで、はた目から見た軍人人生は終わったんだよね?」
オスカルは、何で昔話をしているのか?ヴィーを不思議な目で見た。
それに構わず、ヴィーが、続けた。
「そして今も、表向きは、主婦をしているけど、頭の中は、ジャルジェ准将だけど、その実態は、『オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ』だよね?」
「それが、何なんだ?」
イライラとオスカルが聞いた。当たり前の話だった。
それに、昔の事を振り返るには、早すぎる。
もっと、婆さまになってから、爺さまになった、アンドレとしたかった。
「だから・・・。ママンは、人間としてのぶれない軸が、あるんだよ。
ただ、そんな事を考えないで、生きている人もいる。
そして、ママンは、ちゃんとした軸があったから、そんな事を考えなかったんだよ」
オスカルは、驚いた。人は皆、人間としてのぶれない軸があるものだと・・・。
それより、今まで、そのような事を考えた事が無かった。
「でもね、ジェルメーヌおねえちゃんは、それが、ぶれぶれなんだよ。もし、おねえちゃんのお母さんが、ちゃんと結婚をして、生まれていたら・・・。ってのと。
もし、ギュスターヴ・ブノワ侯爵と、無事結婚して、ウエディングドレスを着て、みんなの祝福を受けて、幸せな家庭を築けたら・・・。って、のもあるし。
結婚したら、社交界にデビューして、ヴェルサイユ宮殿にも行って、国王夫妻の前で、ご挨拶をして・・・。
そうしたらもう、公爵家とも、伯爵将軍家とも全く関係なく、ブノワ侯爵夫人になって、幸せになっていたかもしれないの」
「かも・・・なのか?」
オスカルが、口を挟んだ。
「うん、おねえちゃんには、『・・・かも』っていうのが、多すぎたの。そして、ブノワ侯爵が処刑された時、たった独りになってしまったんだよ。だれも、寄り添ってくれる人もいないから。独りで、悲しみのどん底に落ちていたの。
それに、公爵家のご令嬢も、伯爵将軍家のご令嬢も、侯爵夫人も、みんななくなってしまったんだよ。
だから、おねえちゃんは、どうしていいのか分からなくなってしまったの。
おねえちゃんは、少し立ち直った時、やっぱり、ジャルジェ伯爵将軍家の令嬢に憧れたんだよ。
伯爵将軍家の令嬢になる事を夢見て、ママンに憧れていたんだよ。
だから、男装をしてみたの。
そして、ママンが国王の軍隊に属しているにも関わらず、平民寄りだと知った時、ロベスピエール達と行動し始めたんだ。
それに、ママンにとっては、嫌な思い出かもしれないけど・・・。
おねえちゃんは、ママンがいない、ショットバーの父さんに近づいて、ママンになれるかもしれないと、思ったの。でも、父さんの心の中には、ママンしかいなかったから、やっぱり、ママンにはなれなかったの。
でもね、おねえちゃんは、ママンが、異母姉だと、気づいた時ね。本当は、ジャルパパに知らせてくれたらいいな・・・。とも思ったの。でも、質実剛健で通っているジャルジェ家では、受け入れてもらえないかもしれない。そうも、思ったの。
そうして、革命から1年後、ママンと父さんが帰ってきた時、表向きのママンが、普通の妻であり、母である、普通の女になってしまっているのを見て、おねえちゃんは、グラグラしてしまったんだ」
そこまで聞いて、オスカルが口を挟んだ。
「ああ、アラスに行った時、ジェルメーヌは、まだ、貴族の暮らしをしたいと、望んでいたようだ。
それに、アラスでジェローデルに会わなければ、この様な行動はしていなかっただろう。その点については、わたしにも分からないが・・・
だが、アラスから戻った時はどうなんだ?あの時は、活き活きしていたじゃないか。不思議に思ったんだ。ジェルメーヌが、古着を扱うとは、思ってもみなかったからな」
「うん。アラスでおねえちゃんは、いろいろ削ぎ落としてきたつもりだったの。だけど、軸はぶれていたんだけど、『自分で稼ぐ』事ができたんで、満足したんだよ。
それに、ママンは、ジェローデルおじさんに会わなくても、何か行動を起こしていたと、僕たちは思っていたんだ」
「ふ~ん、そうなのかな。わたしには、別の道は、考えられないし・・・やはり、わたしには、『もしも・・・』というのは、考えられないのだな。
では、ジェルメーヌに話を戻そう。それが、どうして、辞めてしまったのだ?」
レヴェとヴィーが、コソコソと話し合いを始めた。どうする?アランにプロポーズされたけど、アランまでも、おねえちゃんの中にママンを見ているのに、気づいたなんて言えないよね〜
永遠の片思いだものね〜
ママン、いつか知るのかな〜?
自分では、わからないよ、永遠に・・・。
父さんが、教えるのかな?
2人が、ごちゃごちゃと話しているのに、
しびれを切らしたオスカルの堪忍袋の緒が切れた。
「おい!何をゴチャゴチャ話しているのだ!
だから、どうしてなのか、聞いているんだ!」
「ん〜その辺は、よくわからないんだ、ぼく達にも」
って事にしておこうね。
レヴェとヴィーは、
オスカルに聞こえないようにそっと口にした。
「それでね、おねえちゃんは何処までも、やっぱり貴族でいたかったんだ。ボーフォール公爵家は、当てにならない。せめて、ジャルジェ伯爵将軍家の令嬢になりたかったけど、伯爵夫妻は、アラスに引っ込んでしまった。
それにね、おねえちゃんに寄って来る、男性は、なぜかおねえちゃんの中に、ママンを見てしまうの。おねえちゃんには、それが分かって、また苦しんだの。
それに、革命が起こって、貴族はいなくなってしまった。
そして、ママンが、サントノーレ通りを歩いていた時、おねえちゃんに会ったでしょ?
あの時、おねえちゃんは、ママンの中に『ジャルジェ准将』を見たんだよ。
それから、おねえちゃんは、何度も、このアパルトマンの前まで来ていたんだ。そして、国王一家の事件が起きるたびに、ママンが関わっていると、感じていたの」
「どうして、ロベスピエール達と仕事をしていた彼女が、それをチクらなかったんだ?」また、オスカルが、聞いた。
「それは、・・・ぼく達にも良く分からないけど・・・ママンに、憧れていたからじゃないかな?!だけど、おねえちゃんの思いに、気づいた時、ぼくが、おねえちゃんの口に、結界を張ったの。おねえちゃんを信じていたけど、もしもの場合があるから・・・
でもこれは、ママンの所為じゃないから、あまり考えこみ過ぎないでね。
ママンだって、ちゃんとぶれない軸があっても、悩んで、苦しんで、迷った時があるでしょ?
衛兵隊に転属させられた時も、衛兵隊の隊員に反抗されて、苦しんだ時もあったよね。でも、ママンは、自分は軍人であり、軍を統率して、衛兵隊を強い軍にしよう、隊員たちと、打ち解けよう。ってぶれない軸があったでしょ!
だから、やっていけたんだよ。それに、あの頃は、父さんがいなかったけど、ぶれない軸があったから大丈夫だったんだよ。
そして、アントワネットさまの裁判、処刑が始まる時、ロベスピエール達は、アントワネットさまに、似ていて、それなりに答弁が出来る人を探していたの。
でも、そんな人、いないよね。
そんな時、ジェルメーヌおねえちゃんが、名乗り出たんだ」
オスカルが、身を乗り出した。
彼女が、自分からアントワネットさまの代わりになると、言い出したのか・・・。
オスカルは、俯いて、しばらく考えだした。
レヴェとヴィーも、少し黙って、待っていた。
オスカルが、重く口を開いた。
「ジェルメーヌは、王妃さまとして、その人生を終わらそうとしたのか・・・。」
レヴェが、受け持った。
「そう、ジェルメーヌおねえちゃんは、もう、おねえちゃんの軸は、貴族の夫人として生きる事、ジャルジェ伯爵将軍家の令嬢になる事。
それと、ママンのように生きたい、けど、自分の中にママンを見られる事に戸惑っていたの。
おねえちゃんは、どれを本気で臨んでいたのか、分からなくなったの。
おねえちゃんは、ずっと、それらに振り回されてきたんだよ。
そんな時に、王妃さまの、処刑の話を聞いて、その舞台で、華々しく王妃として、散って逝こう。って、考えてしまったんだよ」
オスカルは、隣のベッドで苦しそうに、眠っているジェルメーヌ・・・異母姉を見た。涙があふれてきた。強い女性だと思っていた。
だが、それは、見せかけで、いつも、いつも、何かを追いかけていたのだ。
そう思った所で、まだ、本題に入っていない事に気づいた。
また、怒りが、沸々と湧き出てきた。
「それで、どうして、ここにジェルメーヌがいて、
断頭台にも、ジェルメーヌが、いたんだ。
全然説明になっていないじゃないか!」
レヴェとヴィーが、ビックリして、飛び上がった!
「だから・・・天のお父さんが、ぶれぶれになっていたおねえちゃんの軸を一本にして、此処に連れて来るようにしたの。
処刑台では、ジェルメーヌおねえちゃんの、ぶれている所だけが、天に昇って行ったんだよ!
わかった!ママン!」
オスカルは、強く言われてしまった。
分かったような、分からないような・・・。
やはり、此処に、アンドレがいてくれないと、ダメだ!
そうオスカルは、思った。
「すると、ここにいるジェルメーヌは、精神的にスッキリとした。
思い悩むことの無い、自分の人生を送る事が出来る、人間になったのか?」
オスカルは、恐々聞いてみた。
レヴェとヴィーが、力強く頷いた。
オスカルが、ほ~~~っと息を吐いた。
・・・と、オスカルは、アンドレの軸は何なんだろう・・・。そう考えた。
「アンドレの、軸は何だ?」
オスカルから見たら、幼いレヴェとヴィーに聞いた。
2人は、それは、ママンが自分で考える事だし、もう知っているよ・・・。
そう、レヴェとヴィーは、答えた。
それから・・・レヴェが、どうにか抱えられる程の、特大サイズのニベアの缶を差し出した。そして、これを塗ると、早く治るし、火傷の跡もかなり薄くなるって、天のお父さんが、持たせてくれたんだ。
オスカルは、レヴェの持っているニベアを凝視した。
「なんで、ニベアで火傷が治るのだ?!
ふざけるな!」
レヴェとヴィーが、一歩下がって、
「だから・・・。ママンは、あんまり、キレないで。
入れる缶が、無かったからこれに入れたけど、ちゃんとした軟膏だから、信じて。
はい!渡したからね」
「一日、数回塗りなおして、ガーゼを当てておいてね。」
そう言って、2人は消えていった。
オスカルは、特大のニベアの缶を持って、立ち尽くしていた。
廊下では、アンドレがドアに耳を当てて、全てを聞いていた。
*******************
「う〜ん、イタッ!」
ジェルメーヌが、目を覚ましたのか、左手で痛い所を押さえようとしたが、左の額から腕まで、焼けただれていたので、何処を押さえようか、手がさまよった。
少しウトウトしていたオスカルが、気づいた。
「目が覚めたか?
スゴク痛むのか?」
「あゝ、オスカル、大丈夫よ。耐えられる位の痛み。
それよりも、私、どうして、怪我しているの?
それに、此処は、何処なの?」
「何も覚えていないのか?」
オスカルは、レヴェとヴィーが、言っていた事を半信半疑で思い出しながら聞いた。
「ええ、凄く眩しい光が、見えたのは、覚えているけど…後は、全く…」
「傷ではなくて、火傷だ。それも、右側だけ。
それにここは、わたしの家だ」
ジェルメーヌは、自分の顔を触ってみた。
以前だったら、顔の火傷に、恐怖を感じるはずなのに、平然としていた。
「もう少し、眠っていいかしら?
とても、疲れたわ・・・。」
「何かあったら、下にいるから・・・呼んでくれ」
そのまま、ジェルメーヌは、今度は、穏やかな眠りの中へ入ってしまった。
*******************
オスカルとアンドレの昼食がおわり、コーヒーを楽しんでいると、ジェローデルが、来た。
「おはようございます」
「遅い!もう昼過ぎだぞ!ジェルメーヌも、もう昼食を済ませて、また寝ている」
オスカルが、言った。
しかし、ジェローデルは、悪びれる様子もなく、
「貴族にとっても、ポーにとっても、起床は午後遅くです。
これでも、かなり早く起きてきたつもりです。
何年か振りに、腹が減ったのですが、朝食を用意して頂きたい」
命令調なのか、へりくだっているのか、分からない物言いだった。
「朝食はもうない!昼食なら、提供できるが・・・。」
オスカルが、憮然として答えた。
オスカルが、軽い食事と、コーヒーをジェローデルの前に置いた。
ジェローデルは目を丸くした。
「これだけですか?」
「ああ、我が家では、大人の昼食は軽いものにしている」
オスカルが、当然のことと答える。
仕方なく、ジェローデルはレタスに、フォークを刺しながら、
「これから、どうしたらいいのか、迷っているのですが・・・。
ポーでしたら、それなりの生活が出来たのです。
でも、今となっては・・・。」
「また、ポーに戻ればいいじゃないか?」
「しかし、この頭(トンスラ)のポーは、認めてくれないと、思います。
ポーの一族は、全て美しいのです」
「髪くらい、また、生えてくるだろう?」
「いえ、毛根から、無くなってしまいました」
オスカルとアンドレが、大爆笑した。
オスカルが、では、坊さんになるしかないな。そう言った。
ジェローデルは、しばし考えた。
その間、トマトを食べた。今まで、ドレッシングのかかった物しか食べた事が無かったので、新鮮な喜びを感じた。
美味しくて、目を見張ったが、彼の自尊心が口にするのを拒んだ。
アンドレが、
「もし、坊さんになるのなら、何処に行きたいのか?」面白半分で、聞いてみた。
ジェローデルは、かなりマジで、
「モン・サン・ミッシェルなんて、イイですね。訪れた事がないのです。世界遺産ですし、素晴らしいところでしょう」
夢見るように、言った。
だか、モン・サン・ミッシェルの中は、質素で、ジェローデルが思っている様な所ではないのを、この時代、パンフレットも無いので知らなかった。
すると、オスカルが、
「あそこは、陸続きでは無い。引き潮の時、海を渡るのだが、途中で、満潮になると、死ぬものも出ているそうだ。それでも、行くのか?」
トンスラになってしまった、ジェローデルにほんのちょっとだけ、同情して言った。
ジェローデルは、渋い顔をして、
「では、シテ島のノートルダムに行きます」
「随分と、近場にしたのだな!
だが、あそこだと、おまえが知っている、元貴族の方たちが、大勢いらっしゃるぞ」
オスカルは、今度は、面白そうに言った。
完全にジェローデルをからかい始めた。
アンドレも楽しそうだった。
アンドレが楽しそうなので、オスカルも楽しそうだった。
だから、ジェローデルも楽しかった。
ジェローデルは、今度はスライスされたきゅうりをつまみながら、考えた。・・・が、また、胡瓜の美味しさに、目覚めてしまった。
「モン・サン・ミッシェルに、行きます。
ついては、路銀が無いので、お貸し願えれば、ありがたい・・・」
途中で、オスカルが、
「何を贅沢な事を言っているんだ!
坊さんになるのだろう?托鉢して行け!」
「わかりました。では、ラーメンどんぶりを貸してください」
「何処まで、ずうずうしいんだ!
おまえなんか、小鉢で、十分だ。
アンドレ、欠けているのが、有っただろう。
アレを、持たせてやれ!」
こうして、ジェローデルは、托鉢をしながら、グランディエ家を後にした。
その後、ジェローデルのその後の行方は、杳として知られていなかった。
でも、オスカルとアンドレ夫婦が幸せなので、
ジェローデルも何処かで、幸せでいることに違いない。
つづく
3階の高貴な方々も、もう用事はないだろう。
オスカルは、ソファーの上に、相変わらず、体育会座りをして、顔を上げない。
そのオスカルの前に、アンドレは、そっとなまぬるいショコラを置いたが、オスカルは、全く動かなかった。アンドレの心も、ボロボロだったが、今それをオスカルは共有する事も出来ない様子だ。
そこへ、玄関ドアをノックする音がした。
このような時に・・・と、アンドレが、開けると、ジェルメーヌを抱いた、ジェローデルが飛び込んできた。
2人とも、ボロボロだった。
アンドレは、余りにも驚いて、ドアを開けたまま、固まっていた。
奥から、オスカルが、何事かと走り出てきた。
ジェルメーヌを見ると、駆け寄り、
「アンドレ、2階の空いている部屋に連れて行ってくれ!
わたしは、必要な物を持っていく!」
オスカルは、瞬く間に、ジャルジェ准将に戻った。ジェルメーヌを一見して、火傷であると確信した。そして、それ以外にも何かあるかもしれないと、救急箱を抱えて階段を上った。ジェローデルの状態など、全く、out of 眼中だった。
しかし、詳しい経緯を知りたく、ジェローデルに付いて来い・・・声を掛けた。
ジェローデルは、よろよろしながら、ついて行った。
オスカルが、2階に行くと、ジェルメーヌが、ベッドに横たわっていた。意識が無いのかと思ったが、時折痛みであろう、うめき声を発する。
でも、呼吸が、荒く。
脈も早い。アンドレが、告げた。
するとオスカルは、アンドレに、わたしの新しい夜着を持って来てくれ、その間に、張り付いている囚人服を脱がしている。
正に准将の口調だった。
アンドレは、やはり自分は、准将にはなれないな。と感じた。
焼け焦げた囚人服を、取れるだけ取りながら、火傷の具合を見ていった。一息つくと、オスカルは、ドアにもたれ掛かって、覗いているジェローデルに気が付いた。
おまえは、出ていろ!手当が終わったら、呼んでやる!
あの時、ギロチンの刃に稲妻が走った。しかし、右側の顔の火傷だけが酷かった。首から肩にかけても、焼けただれている。オスカルが、思い出した。でも、見ていいのか、悪いのか、恐怖に駆られて、見ていたので、かなり、あやふやだった。
オスカルは、此処まで酷い、火傷の治療法が分からなかった。既に、戻って来ているアンドレも、お手上げだった。オスカルが、自室にある、『家庭の医学』を持って来たが、書いていない。
「普通の火傷なら、冷やせばいい。だが、この様に酷いと、何か特別な、軟膏が必要なのかもしれない。多分、痕が残るだろうな」
オスカルが、言った。冷静な判断だったが、そこには、色々な思いが込められていた。
「オロナイン軟膏じゃ、ダメかな。それとも、タイガーバームの方がいいかもしれない」アンドレが、薬箱をガチャガチャと探して、ふたつの軟膏を取り出した。
「その前に、消毒をした方がいいのかもしれない・・・。
だが、まだ、痛みがあるようだし、オキシドールを使ったら、激痛が来るかもしれない。どうする?」オスカルが、アンドレを見た。
「お湯と、ガーゼを持ってくる」
アンドレが、すっ飛んで、部屋を出ると、廊下にジェローデルがうずくまっていた。
「なんだ、おまえ、立っていられない程なのか?」
ジェローデルは、こくんと頷いた。
「じゃあ、そうやって、座っていろ!」アンドレが、冷たく言って消えた。
お湯に浸したガーゼで拭いていくと、焼けただれた皮膚に張り付いていた囚人服が、ポロポロと落ちていった。が、それが本当に囚人服なのか、それとも、ジェルメーヌの皮膚なのか、分からなかった。
それに、オスカルもアンドレも、そうするのがいいのかも分からなかった。
とにかく、出来る事をしようとした。
本当は、医者を呼べば良かったのだが、医者いらずの、家庭だったので、そのような事は、全く頭に浮かばなかった。それに、浮かんだとしても、何処に、外科医がいるのかも、分からなかっただろう。
火傷をしたところを全て拭き終わった。
軟膏をつけようとして、どちらがいいのか分からなかった。それなので、部分的に両方つけて、明日になって、よくなった方を採用しようと、判断するしかなかった。
夜着を着せた所で、ジェローデルを部屋に入れた。
本当は、入れたくなかったのだが、ジェルメーヌを独りにしてはいられないので、仕方なく・・・。
*******************
どうして、おまえが、ジェルメーヌを助けたのだ?
それよりも、助けるなら、彼女がコンシェルジュリにいた時にでも、出来ただろう?
わたし達は、サンソンが首を掲げたのを、ハッキリと見たぞ!
オスカルが、ジェローデルの傷など、見もしないで、いきなり聞いた。
それに、革命広場から、ポーなら、ひとっ飛びだろう。
何でこんなに時間がかかったのだ?
立て続けに、オスカルが問い詰めた。
「初めから、お話しさせてください」
ジェローデルは、正直に言うか考えた。
あの、アラスでの夜の出来事を・・・。
しかし、そうすると、目の前の男は不幸になってしまう。
すると、自分も不幸になるので、やめた。
ジェローデルは、コンシェルジュリに居たジェルメーヌに告げた事と、同じことを語った。
但し、オスカルからエネジーを貰ったのは、アラスに訪れ、手の甲に口づけた時と話した。
アンドレが、不幸になり、その為、オスカルも不幸になり、そして、己も不幸になるから・・・。
ジェローデルは、ボロボロの黒のマントを纏っていた。
オスカルが、その夜、初めて顔を見た。
ほお!おい!アンドレ!見てみろ!ホントに白くなっているぞ!
それで、コンシェルジュリから、無理やりにでも連れだせなかったのか?
オスカルが、何やってやがるんだ!この野郎!と、普段はアランにしか、使わない言葉をジェローデルに、投げかけた。
ジェローデルは、
「あの時は、私と一緒に行きませんか。と、お誘いしたのです。
それを拒まれましたので、引き下がるしかありませんでした」
引き下がる馬鹿がいるか!彼女が、何処にいたのか、分かっていたのか!?
またも、オスカルの怒声が響いた。
但し、ジェルメーヌが、いたので少しだけ、声を落として・・・。
オスカルの言葉を無視して、ジェローデルは続けた。
「ただ、今日は、彼女の生死が掛かっていましたので、彼女が望もうと、拒もうとも、助けるしかないと、行動いたしました。
ただ、2人の悪ガキが、私の邪魔をして、なかなか手を出せませんでした」
「その2人は、わたし達の、守護天使だ。彼等が、ジェルメーヌを助けると言ってくれていた。おまえが邪魔をしたから、あそこまで、時間がかかったのではないか?それに、多分おまえなのだろう、空に黒い物体が現れた途端、暗くなってきた」
オスカルが、更に、怒りをあらわにした。
「知らなかったのです。小さな堕天使が、空を回っているので、ジェルメーヌ嬢の魂を天上に導くためにいるのだと思ったのです。
そして、彼等がこちらに攻めてきたのです。
何を目的にしているのか分からない相手が、攻めてきたので、応戦するしかなかったのです。私とて、元は軍人です。
ただ、1人が『ジェルおねえちゃんは、ぼく達が助ける』と、言ったので、仲間だとやっと、わかりました。
しかし、遅かったのです。彼等と私が、手を組もうとした時、既に、お互いの戦いで、雷雲が発生していました。
そして、下を見ると、ジェルメーヌ嬢が、うつ伏せになっていました。
私たちは、空高くにいましたから、助けるのに時間がありませんでした。
小さな二人組も、焦っていました。
私は、雷には弱いのです。でも、そのような事を言っている場合ではありませんでした。この際、雷を味方につけようと、考えました。
お2人もご覧になったでしょう?あの、稲妻に乗って私も急降下しました。そして、稲妻は、ギロチンの刃に落ちました。ものすごい光が発せられました。
群衆も、サンソンも光で目が眩んでいました。
その間に、ジェルメーヌ嬢を助け出しました。
それで、私は雷の所為で、ヨロヨロになりました。
すると、遅れてきた、2人組が私と、ジェルメーヌ嬢を群衆に紛れ込ませたのです。
群衆も、死刑執行人も、止まったままでした。
2人組が、稲妻が落ちた時、時間を止めたようです。
それからは、再び時間が動き出した時、群衆に紛れていたので、前方で何が起こっているのか、分かりませんでした。
ただ、歓声が、聞こえ、群衆が小躍りするのを見ていました。
とにかく、私は飛び立って、こちらに来ようとしたのですが、出来なかったのです。
それで、広場の端に行って、ジェルメーヌ嬢の様子をみました。息をしているものの、痛みで微かな声を上げていました。
それから、自分にはないので、うっかりしていたのですが、脈をみてみました。
ジェルメーヌ嬢の脈は、多分少し早かったと思われます。
が、その時、気づいてしまったのです。私にも、脈があったのです。
どうやら、人間に戻ってしまったようです・・・。」
ここまで、ジェローデルは、一気に話した。
多少、盛ってるようだが、だいたいは、合っているのだろう。
そう思って、聞いていたオスカルが、再び小さな声で、怒鳴った。
「え゛!戻れるのか?
でも、お前がポーになるのは、まだ、これから先だろう?理解不可能だな」
オスカルが、これは、ガセだな!そう思いながら、聞いた。
アンドレも、同様に、やはりこいつは、信じてはいけないと、心に刻んだ。
「私にもよくわからないのですが、多分、営倉にいる人間である私と、この異端のポーの私が、雷によって化学反応を起こしたようです。
それしか、考えられません」
そう言いながら、ジェローデルは、今まで被っていたフードを下ろした。
オスカルとアンドレが、ジェローデルの頭を指差しながら、笑い転げた。
ジェルメーヌが、寝ているので、静かに・・・。
「おいおい!その頭『トンスラ』じゃないか!
ポーから、キリスト教徒に変身か?!」
「いつの間にか、こうなっていたのです。
あの時、何が起こったのか、全く分からないので、参っています。
フードを被らないと、寒かったので・・・。今は、暖まりました」
「ふん!おまえは、そんなに、怪我は無さそうだな!
どこか、行く所はあるのか?」
ジェローデルは、思いっ切り首を振った。
オスカルは、追い出したいのを、強靭な力を持って、渋々言いながら、
そっと鎖骨の下の赤い薔薇を見た。もう無かった。
「我が家には、もう空き部屋は、無い。
廊下にでも、寝てもらいたいが、
子ども達が、夜中に踏んづけたら、転んでしまう」
オスカルは、全くジェローデルの状態を無視して続けた。
「バスルームが、空いている。
バスタブなら、棺桶に似ている。
今まで、そうしてきたのだろう?
そこに寝るがいい」
ジェローデルは、コクンと頷いた。
ついでに、アンドレに、これまた、渋々、
「ジェローデルの服が、ボロボロだ。
おまえの服と、夜着を貸してやれ!」
オスカルに言われた事は、なんでも、従うのが、アンドレである。
だが、これだけは、イヤだ!イヤだ!そう言い続け、オスカルを困らせた。
では、きつくて、短いだろうが、わたしの夜着を貸そう・・・。
そうだ!臨月になった時着ていたのが有る。それなら、少しは楽だろう。
そうオスカルが、言い出したので、アンドレは仕方がなく、ぼろくなって、そろそろ捨てるか、雑巾にしようか迷っていた夜着をジェローデルに、貸した。
貸されたジェローデルも、イヤそうな顔をしていた。
自分が着ていた服が、ボロボロだったので、着替えようかと思った。
しかしながら、アンドレの夜着もかなりボロボロで、穴こそ開いていないが、所々生地が薄くなっていた。
それに、オスカルが好きな、アンドレの体臭が、プンプンついていた。
*******************
オスカルが、一晩中ジェルメーヌに付き添った。
アンドレも、付き合うと言ったが、オスカルは、しばらくアンドレを見つめて、おまえはいい!と追い出されてしまった。
アンドレは、そう言われたからと言って、部屋でぬくぬくと寝ている訳にもいかず、廊下で、ボケっと座っていた。が、耳は凄く良かったので、中の様子を聞き逃すまい。何かあったら、駆け込めるよう、待機していた。
夜中になって、暗い部屋が、何度目かぼう~っと明るくなった。
これまた、ボロボロになったレヴェとヴィーが、現れた。
オスカルが、
「よくやってくれたな!」労いの言葉を掛けた。
すると、レヴェが、
「ごめんね。ママン。ぼく達、ジェルメーヌおねえちゃんを助けようとしたのに、ポーのおじさんが、真っ黒なマントを着ていたから、悪魔かと思って攻撃しちゃったんだ。
でも、途中で、味方だと分かったけど、遅かったの。だから、おねえちゃんがケガしてしまった」
「あれは、元々は、ドラキュラだ。
自分では、ヴァンパイアと言っているが・・・。
あれも、彼女を救おうとして、やって来た。
気にするな!」
オスカルが、静かに言った。
「それよりも、彼女とあの男は、かなりの時間をかけて、此処までたどり着いた。
大丈夫なのか?身元を調べられないか?」
オスカルが、心配そうに聞いた。
「それは、大丈夫、ジェルメーヌおねえちゃんとおじさんに、結界張っていたから。でも、その間、こっちのアパルトマンの方が、弱くなってしまったんだ。
だから、それのチェックをしていて、この時間になったの。
こっちも、大丈夫だったよ。みんな、革命広場の方に、関心がいっていて、こっちには、寄り付かなかった」
ヴィーが、申し訳なさそうに、でも、安心して言った。
「ありがとう。おまえ達の働きのお陰で、こうして、無事に暮らしている。
だが、ジェルメーヌに・・・ギロチンに向かって稲妻を走らせたのは、誰なのだ?
それに、何が起こって、こうなったのだ?」
オスカルの最大の疑問を聞いた。
ジェローデルは、雷を恐怖と感じている。
そして、レヴェとヴィーは、稲妻をジェルメーヌに向かって走らせるような事はしないはずだ。
オスカルは、そう考えていた。
レヴェが、言った。
「ぼく達も良く分からないんだけど・・・。
あのおじさんと、ぼく達がぶつかると、雷雲が発生するんだ。
そして、あのおじさんは、雷を怖がっていたから、天のお父さんが、助けてくれていると思ったの。だけど、お父さんは歴史を変えてはいけない人なんだ。それでも、ぼく達を助けて、小さな雷雲くらいは、作ってくれたのかもしれないの。
だから、あのギロチンの刃に向かって行った、稲妻は、ぼく達とおじさんが戦っているうちに、大きくなってしまった雷雲から出てきたのだと思う。
あのおじさんが、そこに乗っかってジェルメーヌおねえちゃんを助けたんだ。それで、ぼく達は、2人を何処かへ逃がさなければならない。そう思って、群衆の中に紛れ込ませて、ヴィーが、結界を張って守っていたの」
ここで、レヴェは、一息ついた。
すると、オスカルが、聞いた。
「サンソンが、血の滴る首を、これ見よがしに掲げていたが・・・あれは、何なのだ?」
ヴィーが、答えた。
「あれも、ジェルメーヌおねえちゃん」
オスカルが、怒りをあらわに立ち上がった。
ふざけんな!怒鳴ろうとしたが、止められた・・・。
「ママン、ママン!落ち着いて!ジェルメーヌおねえちゃん寝ているのだから・・・。」
レヴェに言われて、オスカルは仕方なく、座った。
だが、握りしめた手が怒りで震えていた。
ワイングラスがあったら、握りしめて、割っていただろう!
「ママンは、ママンでしょ?!」
レヴェに何を言われているのか分からないが、オスカルは、一応頷いた。
頷いたが、怒りは収まっていなかった。
「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将の時も、ショットバーのママンの時も、今のママンの時も、みんな、ママンであって、でも、一本通った軸が、ぶれないで、ずっと『オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ』だったでしょ?」
オスカルには、レヴェが何を言いたいのかさっぱり分からなかった。オスカルには、自分は、自分であり、そのままの自分でずっとそうしてきたから、そうなのだ!それしか分からなかった。
「でもね、ジェルメーヌおねえちゃんは、軸がぶれぶれだったんだよ。
ボーフォール公爵家では、ほっとかれて、父親である、ジャルジェ伯爵将軍家でもない。ずっと、宙ぶらりんで生きてきたの。それに、ジェルメーヌおねえちゃんは、『ジェルメーヌ』の後に、何て、ファミリーネームを付けてイイかも、分からなかったんだよ!」
オスカルは、今気が付いた。そう言えば、ジェルメーヌのファミリーネームを聞いた事がなかった。
それ故、何処にも属する事が出来なかったジェルメーヌの思いは、何となく、分かるような気がした。
だが、それと、断頭台の首とどう関係があるだ!
テーブルがあったら、叩きたいところだった。
イヤ、やはり、ワイングラスを片手で握りつぶす方が、似合っている!
「そんな、ジェルメーヌおねえちゃんを見かねて、天のお父さんが、手を出したの」
「待て!歴史を変えては、いけないのだろう?」
オスカルは、話をすり替えられてはいけないと、口を挟んだ。
「うん、歴史は変えられていないよ。だから、軸が、ぶれぶれのジェルメーヌおねえちゃんを、ギロチンにかけたの。それで、ジェルメーヌおねえちゃんが、なりたかったジェルメーヌおねえちゃんが、ここにいるんだ」
レヴェが、やっとここまで言えたと、ホッとした。
オスカルは、腕を組んで考えていた。
「人は、自分の理想と、現実の狭間にある。
それでも、悩んで、もがいて生きて行くものではないのか?
確かに、ジェルメーヌも、悩んでいた。だけど、それは彼女自身が、解決しなければならない。ましてや、人の力を借りて、手に入れても、満足できないのではないか?」
オスカルが、静かに言った。
もう、子供たちにではなく、対等の相手として、話していた。
レヴェが、語りだした。
「ママンは、もし、父さんがいなかったら、どうなっていたと思う?」
「どうって・・・。わたしが、生まれた時、既にアンドレは側にいた。アンドレのいないわたしは、考えられないし、わたしがいないアンドレも考えられないはずだ」
オスカルは、思った通りの事を答えた。
「だから・・・。もしも!だよ!」
「だから・・・。もしもも、現実も!わたし達は、2人でずっと生きてきたから、離れ離れの事など考えられないのだ!」オスカルが、断定した。また、怒りが蘇りそうになった。
すると、レヴェとヴィーが、2人でコソコソと言い合って、今度は、ヴィーが、主導権を取ったみたいだ。
「ママンは、生まれた時から、男として育てられて、軍人になる事を決められていたよね?」
オスカルは、何をいまさら・・・。と、頷いた。
「それで、近衛隊に配属されて、それから、衛兵隊に行って・・・。で、バスティーユで、はた目から見た軍人人生は終わったんだよね?」
オスカルは、何で昔話をしているのか?ヴィーを不思議な目で見た。
それに構わず、ヴィーが、続けた。
「そして今も、表向きは、主婦をしているけど、頭の中は、ジャルジェ准将だけど、その実態は、『オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ』だよね?」
「それが、何なんだ?」
イライラとオスカルが聞いた。当たり前の話だった。
それに、昔の事を振り返るには、早すぎる。
もっと、婆さまになってから、爺さまになった、アンドレとしたかった。
「だから・・・。ママンは、人間としてのぶれない軸が、あるんだよ。
ただ、そんな事を考えないで、生きている人もいる。
そして、ママンは、ちゃんとした軸があったから、そんな事を考えなかったんだよ」
オスカルは、驚いた。人は皆、人間としてのぶれない軸があるものだと・・・。
それより、今まで、そのような事を考えた事が無かった。
「でもね、ジェルメーヌおねえちゃんは、それが、ぶれぶれなんだよ。もし、おねえちゃんのお母さんが、ちゃんと結婚をして、生まれていたら・・・。ってのと。
もし、ギュスターヴ・ブノワ侯爵と、無事結婚して、ウエディングドレスを着て、みんなの祝福を受けて、幸せな家庭を築けたら・・・。って、のもあるし。
結婚したら、社交界にデビューして、ヴェルサイユ宮殿にも行って、国王夫妻の前で、ご挨拶をして・・・。
そうしたらもう、公爵家とも、伯爵将軍家とも全く関係なく、ブノワ侯爵夫人になって、幸せになっていたかもしれないの」
「かも・・・なのか?」
オスカルが、口を挟んだ。
「うん、おねえちゃんには、『・・・かも』っていうのが、多すぎたの。そして、ブノワ侯爵が処刑された時、たった独りになってしまったんだよ。だれも、寄り添ってくれる人もいないから。独りで、悲しみのどん底に落ちていたの。
それに、公爵家のご令嬢も、伯爵将軍家のご令嬢も、侯爵夫人も、みんななくなってしまったんだよ。
だから、おねえちゃんは、どうしていいのか分からなくなってしまったの。
おねえちゃんは、少し立ち直った時、やっぱり、ジャルジェ伯爵将軍家の令嬢に憧れたんだよ。
伯爵将軍家の令嬢になる事を夢見て、ママンに憧れていたんだよ。
だから、男装をしてみたの。
そして、ママンが国王の軍隊に属しているにも関わらず、平民寄りだと知った時、ロベスピエール達と行動し始めたんだ。
それに、ママンにとっては、嫌な思い出かもしれないけど・・・。
おねえちゃんは、ママンがいない、ショットバーの父さんに近づいて、ママンになれるかもしれないと、思ったの。でも、父さんの心の中には、ママンしかいなかったから、やっぱり、ママンにはなれなかったの。
でもね、おねえちゃんは、ママンが、異母姉だと、気づいた時ね。本当は、ジャルパパに知らせてくれたらいいな・・・。とも思ったの。でも、質実剛健で通っているジャルジェ家では、受け入れてもらえないかもしれない。そうも、思ったの。
そうして、革命から1年後、ママンと父さんが帰ってきた時、表向きのママンが、普通の妻であり、母である、普通の女になってしまっているのを見て、おねえちゃんは、グラグラしてしまったんだ」
そこまで聞いて、オスカルが口を挟んだ。
「ああ、アラスに行った時、ジェルメーヌは、まだ、貴族の暮らしをしたいと、望んでいたようだ。
それに、アラスでジェローデルに会わなければ、この様な行動はしていなかっただろう。その点については、わたしにも分からないが・・・
だが、アラスから戻った時はどうなんだ?あの時は、活き活きしていたじゃないか。不思議に思ったんだ。ジェルメーヌが、古着を扱うとは、思ってもみなかったからな」
「うん。アラスでおねえちゃんは、いろいろ削ぎ落としてきたつもりだったの。だけど、軸はぶれていたんだけど、『自分で稼ぐ』事ができたんで、満足したんだよ。
それに、ママンは、ジェローデルおじさんに会わなくても、何か行動を起こしていたと、僕たちは思っていたんだ」
「ふ~ん、そうなのかな。わたしには、別の道は、考えられないし・・・やはり、わたしには、『もしも・・・』というのは、考えられないのだな。
では、ジェルメーヌに話を戻そう。それが、どうして、辞めてしまったのだ?」
レヴェとヴィーが、コソコソと話し合いを始めた。どうする?アランにプロポーズされたけど、アランまでも、おねえちゃんの中にママンを見ているのに、気づいたなんて言えないよね〜
永遠の片思いだものね〜
ママン、いつか知るのかな〜?
自分では、わからないよ、永遠に・・・。
父さんが、教えるのかな?
2人が、ごちゃごちゃと話しているのに、
しびれを切らしたオスカルの堪忍袋の緒が切れた。
「おい!何をゴチャゴチャ話しているのだ!
だから、どうしてなのか、聞いているんだ!」
「ん〜その辺は、よくわからないんだ、ぼく達にも」
って事にしておこうね。
レヴェとヴィーは、
オスカルに聞こえないようにそっと口にした。
「それでね、おねえちゃんは何処までも、やっぱり貴族でいたかったんだ。ボーフォール公爵家は、当てにならない。せめて、ジャルジェ伯爵将軍家の令嬢になりたかったけど、伯爵夫妻は、アラスに引っ込んでしまった。
それにね、おねえちゃんに寄って来る、男性は、なぜかおねえちゃんの中に、ママンを見てしまうの。おねえちゃんには、それが分かって、また苦しんだの。
それに、革命が起こって、貴族はいなくなってしまった。
そして、ママンが、サントノーレ通りを歩いていた時、おねえちゃんに会ったでしょ?
あの時、おねえちゃんは、ママンの中に『ジャルジェ准将』を見たんだよ。
それから、おねえちゃんは、何度も、このアパルトマンの前まで来ていたんだ。そして、国王一家の事件が起きるたびに、ママンが関わっていると、感じていたの」
「どうして、ロベスピエール達と仕事をしていた彼女が、それをチクらなかったんだ?」また、オスカルが、聞いた。
「それは、・・・ぼく達にも良く分からないけど・・・ママンに、憧れていたからじゃないかな?!だけど、おねえちゃんの思いに、気づいた時、ぼくが、おねえちゃんの口に、結界を張ったの。おねえちゃんを信じていたけど、もしもの場合があるから・・・
でもこれは、ママンの所為じゃないから、あまり考えこみ過ぎないでね。
ママンだって、ちゃんとぶれない軸があっても、悩んで、苦しんで、迷った時があるでしょ?
衛兵隊に転属させられた時も、衛兵隊の隊員に反抗されて、苦しんだ時もあったよね。でも、ママンは、自分は軍人であり、軍を統率して、衛兵隊を強い軍にしよう、隊員たちと、打ち解けよう。ってぶれない軸があったでしょ!
だから、やっていけたんだよ。それに、あの頃は、父さんがいなかったけど、ぶれない軸があったから大丈夫だったんだよ。
そして、アントワネットさまの裁判、処刑が始まる時、ロベスピエール達は、アントワネットさまに、似ていて、それなりに答弁が出来る人を探していたの。
でも、そんな人、いないよね。
そんな時、ジェルメーヌおねえちゃんが、名乗り出たんだ」
オスカルが、身を乗り出した。
彼女が、自分からアントワネットさまの代わりになると、言い出したのか・・・。
オスカルは、俯いて、しばらく考えだした。
レヴェとヴィーも、少し黙って、待っていた。
オスカルが、重く口を開いた。
「ジェルメーヌは、王妃さまとして、その人生を終わらそうとしたのか・・・。」
レヴェが、受け持った。
「そう、ジェルメーヌおねえちゃんは、もう、おねえちゃんの軸は、貴族の夫人として生きる事、ジャルジェ伯爵将軍家の令嬢になる事。
それと、ママンのように生きたい、けど、自分の中にママンを見られる事に戸惑っていたの。
おねえちゃんは、どれを本気で臨んでいたのか、分からなくなったの。
おねえちゃんは、ずっと、それらに振り回されてきたんだよ。
そんな時に、王妃さまの、処刑の話を聞いて、その舞台で、華々しく王妃として、散って逝こう。って、考えてしまったんだよ」
オスカルは、隣のベッドで苦しそうに、眠っているジェルメーヌ・・・異母姉を見た。涙があふれてきた。強い女性だと思っていた。
だが、それは、見せかけで、いつも、いつも、何かを追いかけていたのだ。
そう思った所で、まだ、本題に入っていない事に気づいた。
また、怒りが、沸々と湧き出てきた。
「それで、どうして、ここにジェルメーヌがいて、
断頭台にも、ジェルメーヌが、いたんだ。
全然説明になっていないじゃないか!」
レヴェとヴィーが、ビックリして、飛び上がった!
「だから・・・天のお父さんが、ぶれぶれになっていたおねえちゃんの軸を一本にして、此処に連れて来るようにしたの。
処刑台では、ジェルメーヌおねえちゃんの、ぶれている所だけが、天に昇って行ったんだよ!
わかった!ママン!」
オスカルは、強く言われてしまった。
分かったような、分からないような・・・。
やはり、此処に、アンドレがいてくれないと、ダメだ!
そうオスカルは、思った。
「すると、ここにいるジェルメーヌは、精神的にスッキリとした。
思い悩むことの無い、自分の人生を送る事が出来る、人間になったのか?」
オスカルは、恐々聞いてみた。
レヴェとヴィーが、力強く頷いた。
オスカルが、ほ~~~っと息を吐いた。
・・・と、オスカルは、アンドレの軸は何なんだろう・・・。そう考えた。
「アンドレの、軸は何だ?」
オスカルから見たら、幼いレヴェとヴィーに聞いた。
2人は、それは、ママンが自分で考える事だし、もう知っているよ・・・。
そう、レヴェとヴィーは、答えた。
それから・・・レヴェが、どうにか抱えられる程の、特大サイズのニベアの缶を差し出した。そして、これを塗ると、早く治るし、火傷の跡もかなり薄くなるって、天のお父さんが、持たせてくれたんだ。
オスカルは、レヴェの持っているニベアを凝視した。
「なんで、ニベアで火傷が治るのだ?!
ふざけるな!」
レヴェとヴィーが、一歩下がって、
「だから・・・。ママンは、あんまり、キレないで。
入れる缶が、無かったからこれに入れたけど、ちゃんとした軟膏だから、信じて。
はい!渡したからね」
「一日、数回塗りなおして、ガーゼを当てておいてね。」
そう言って、2人は消えていった。
オスカルは、特大のニベアの缶を持って、立ち尽くしていた。
廊下では、アンドレがドアに耳を当てて、全てを聞いていた。
*******************
「う〜ん、イタッ!」
ジェルメーヌが、目を覚ましたのか、左手で痛い所を押さえようとしたが、左の額から腕まで、焼けただれていたので、何処を押さえようか、手がさまよった。
少しウトウトしていたオスカルが、気づいた。
「目が覚めたか?
スゴク痛むのか?」
「あゝ、オスカル、大丈夫よ。耐えられる位の痛み。
それよりも、私、どうして、怪我しているの?
それに、此処は、何処なの?」
「何も覚えていないのか?」
オスカルは、レヴェとヴィーが、言っていた事を半信半疑で思い出しながら聞いた。
「ええ、凄く眩しい光が、見えたのは、覚えているけど…後は、全く…」
「傷ではなくて、火傷だ。それも、右側だけ。
それにここは、わたしの家だ」
ジェルメーヌは、自分の顔を触ってみた。
以前だったら、顔の火傷に、恐怖を感じるはずなのに、平然としていた。
「もう少し、眠っていいかしら?
とても、疲れたわ・・・。」
「何かあったら、下にいるから・・・呼んでくれ」
そのまま、ジェルメーヌは、今度は、穏やかな眠りの中へ入ってしまった。
*******************
オスカルとアンドレの昼食がおわり、コーヒーを楽しんでいると、ジェローデルが、来た。
「おはようございます」
「遅い!もう昼過ぎだぞ!ジェルメーヌも、もう昼食を済ませて、また寝ている」
オスカルが、言った。
しかし、ジェローデルは、悪びれる様子もなく、
「貴族にとっても、ポーにとっても、起床は午後遅くです。
これでも、かなり早く起きてきたつもりです。
何年か振りに、腹が減ったのですが、朝食を用意して頂きたい」
命令調なのか、へりくだっているのか、分からない物言いだった。
「朝食はもうない!昼食なら、提供できるが・・・。」
オスカルが、憮然として答えた。
オスカルが、軽い食事と、コーヒーをジェローデルの前に置いた。
ジェローデルは目を丸くした。
「これだけですか?」
「ああ、我が家では、大人の昼食は軽いものにしている」
オスカルが、当然のことと答える。
仕方なく、ジェローデルはレタスに、フォークを刺しながら、
「これから、どうしたらいいのか、迷っているのですが・・・。
ポーでしたら、それなりの生活が出来たのです。
でも、今となっては・・・。」
「また、ポーに戻ればいいじゃないか?」
「しかし、この頭(トンスラ)のポーは、認めてくれないと、思います。
ポーの一族は、全て美しいのです」
「髪くらい、また、生えてくるだろう?」
「いえ、毛根から、無くなってしまいました」
オスカルとアンドレが、大爆笑した。
オスカルが、では、坊さんになるしかないな。そう言った。
ジェローデルは、しばし考えた。
その間、トマトを食べた。今まで、ドレッシングのかかった物しか食べた事が無かったので、新鮮な喜びを感じた。
美味しくて、目を見張ったが、彼の自尊心が口にするのを拒んだ。
アンドレが、
「もし、坊さんになるのなら、何処に行きたいのか?」面白半分で、聞いてみた。
ジェローデルは、かなりマジで、
「モン・サン・ミッシェルなんて、イイですね。訪れた事がないのです。世界遺産ですし、素晴らしいところでしょう」
夢見るように、言った。
だか、モン・サン・ミッシェルの中は、質素で、ジェローデルが思っている様な所ではないのを、この時代、パンフレットも無いので知らなかった。
すると、オスカルが、
「あそこは、陸続きでは無い。引き潮の時、海を渡るのだが、途中で、満潮になると、死ぬものも出ているそうだ。それでも、行くのか?」
トンスラになってしまった、ジェローデルにほんのちょっとだけ、同情して言った。
ジェローデルは、渋い顔をして、
「では、シテ島のノートルダムに行きます」
「随分と、近場にしたのだな!
だが、あそこだと、おまえが知っている、元貴族の方たちが、大勢いらっしゃるぞ」
オスカルは、今度は、面白そうに言った。
完全にジェローデルをからかい始めた。
アンドレも楽しそうだった。
アンドレが楽しそうなので、オスカルも楽しそうだった。
だから、ジェローデルも楽しかった。
ジェローデルは、今度はスライスされたきゅうりをつまみながら、考えた。・・・が、また、胡瓜の美味しさに、目覚めてしまった。
「モン・サン・ミッシェルに、行きます。
ついては、路銀が無いので、お貸し願えれば、ありがたい・・・」
途中で、オスカルが、
「何を贅沢な事を言っているんだ!
坊さんになるのだろう?托鉢して行け!」
「わかりました。では、ラーメンどんぶりを貸してください」
「何処まで、ずうずうしいんだ!
おまえなんか、小鉢で、十分だ。
アンドレ、欠けているのが、有っただろう。
アレを、持たせてやれ!」
こうして、ジェローデルは、托鉢をしながら、グランディエ家を後にした。
その後、ジェローデルのその後の行方は、杳として知られていなかった。
でも、オスカルとアンドレ夫婦が幸せなので、
ジェローデルも何処かで、幸せでいることに違いない。
つづく
スポンサードリンク
COMMENT FORM