「ちょいと、アンドレ!」
ジャルジェ家の、経理、庶務一般、事務処理をこなしている執務室に、
老婆の、しかし、鋭い声が響き渡った。

先月の一件以来、顔も合わそうともせず、口も聞いてくれなかったアンドレの祖母が、執務室のドアから、顔を出して、呼んでいる。

慣習から即座にアンドレは、振り向いた。
しかし、しばらく、右目を瞬いた。

ピント調整に時間がかかった。
アンドレは、これが、祖母で良かったと思った。
オスカルだったら、直ぐに見破られてしまうだろう。

それにしても、最近は、目の調子の悪さに、ビクビクする日が多くなってきた。書類仕事が多くなったせいもある。
オスカルなら、アンドレの目をかばってくれた。
なるべく目を疲れさせる仕事は避けさせる様にしてくれていた。

アンドレが、椅子に腰掛けたまま、祖母を見ていると、こっちに来い!
手を、チョイチョイした…。

執事も、マロンの呼び出しでは、『NON』とは言えず、アンドレに行ってくるよう、促した。

久しぶりに祖母の部屋に入ったアンドレは、すっかり忘れてたピンクの応酬にめまいがした。お陰で、目もハッキリした。

しかし、マロンは、自室に入るなり、年に似合わず、大声でアンドレを叱咤した。
「アンドレ!お嬢さまの事、知っているのかい?
ここの所のお酒ばかり、召し上がっていらっしゃる。

毎晩毎晩、代わる代わる、違う男どもと呑んで、午前様だ。
何で止めないんだい!?
おまえの言う事しか、お嬢さまが耳を貸さないのを、知っているだろう?

お酒浸りになったのは、おまえたちの、この前の月誕生日以来だよ!
おまえ何か、お嬢さまに失礼な事をしたのじゃないだろうね!?

何とか、お言いよ!
この!薄らトンカチ!
お嬢さまの、お身体を一番に心配しなくちゃならないのは、おまえなんだからね!」

自分たちの、仲を決して認めようとしない祖母が、今回ばかりは、例外のようだ!
「悪いが、おばあちゃん。
次の月誕生日まで、オスカルと口はきけないんだ。
それまで、おばあちゃん、頼むよ!」

「ふん!先だっては、お嬢さまが、おまえの部屋に忍び込んだじゃないか?
今度は、おまえが、行けばいい!」

「え~~~!本気で言っているのか?
おばあちゃん。
もう、1か月伸ばしは、御免だよ!」

「1か月の為に、お嬢さまがアルコール依存症に、なってしまったらどうするのかい!」そう言うと、ばあやは、眼鏡越しに、孫息子を睨みつけた。

アンドレも、気になっていた事だが、次の月誕生日までだ!と、自分に言い聞かせた。

そして、ギュッと拳を握り締めた。
それから、ニマニマした。

それから暫くした晩、やはり、オスカルは、任務終了したが、帰宅しなかった。ロジェとジョルジュだけが、ジャルジェ家の馬車に、遠慮しつつ乗って帰ってきた。

アンドレが聞くと、今日はヴェルサイユ4剣士隊で、出かけた。との事だった。アンドレは、天を仰いだ。よりによって、底なし、ざる、の面々である。

ロジェは、オスカルさまの傍に、へばりついていたが、3人の屈強な男に、はがされてしまった。殆ど泣きそうな目で、アンドレに訴えてきた。

アンドレは、やはり、執事が言っていたように、オスカルにGPSを付けようか…と、考えた。だが、付けても、どこに居るかが分かるだけで、オスカルが、何時に帰るのかは分からない。

1か月延びるのを覚悟して、オスカルを諫めるか?
アンドレには、オスカルの健康を心配する気持ちも十分にあった。

だが、自分以外の男と毎晩、飲み歩いている。
その事への、嫉妬心が生まれ始めているのには、まだ、気づいていなかった。

書類仕事も終えたアンドレは、玄関ホールの階段に座って、オスカルの帰りを待った。

今夜は、珍しくアンドレにも、プライベートな用事があった。
ある男から、どうしても会いたい。そう連絡が来た。

本来なら、オスカルがこの様な状態なので…かといって、何をする術もないのだが…屋敷に居たかった。

だが、この男は、訳もなくアンドレを呼び出す事は無かった。
それが、珍しく、どんな仕事があっても、すっ飛んできてくれ!
そう伝えてきた。

  ***********************

夜遅くなって、アンドレは、ヴェルサイユの裏道を全速力で走っていた。
そして、衛兵隊馴染みの店に、飛び込んだ。

暗い裏町から、薄暗い店に飛び込んだアンドレは、また、右目の光を失った。
この位の、明暗差でも、影響するのか…。
アンドレは、この先、目がどうなるのか、考えると文字通り、目の前が真っ暗になった。
が、奥の方から、自分を呼ぶ声、手を振っているだろう、影が見えた。

「おう!こっちだ!こっちだ!」
アンドレと仲がいいのか、悪いのか分からない男が、手を振って呼んでいる。

この男は、知っているのだ。
だから、目が店の光に慣れるまで、ゆっくりと戸口に立っていても、大丈夫だ。アンドレは、深呼吸をした。

アンドレが、ようやくたどり着き、
「悪い、悪い、オスカルがなかなか帰ってこないで、遅くなった」
心から、詫びた。

待ちくたびれた男は、
「ふん!もう出来上がっちまったぞ!」
そう、殆ど、呑みもしないで待っていたのに、不満をぶつけた。

「帰りは、隊まで、送るし、ここの払いはおれが持つ」
アンドレは、この男…アランが、単に酒を飲もうなどと、誘ってくるはずはない。
何かあるのだろう。それも、オスカルに関する事。だから、今夜は、オスカルがどんなに遅くても、会わねばならない。

そう思い、オスカルが帰ってくるのを、珍しくイライラと、待った。そして、少々手荒に、軍靴を脱がせると、オスカルの部屋を飛び出してきてしまった。

そんな事を、アンドレが、考えていると、アランが、待ちきれず話し出した。
「あったりまえだろう、ジャンジャン飲んでやる!

それより、隊長どうしたんだ?
全く、情緒不安定だぞ!
隊の指揮系統が、ハチャメチャになりそうだ!」

「いろいろありそうでなかった。
それで、オスカルは少々、落ち込んでいるが、大丈夫だ」

アランは、アンドレまでが、情緒不安定になったのか…。
まったく、やっていられないカップルだ。
やはり、俺が面倒をみないと、ダメなのか…。
アランは、肩で息をした。

それでも、アランにとっては、隊長の幸せこそが、一番大事だ。
何があったのか、聞かなければならない。
アランは、使命感に燃え始めた。

「おまえ、誕生日プレゼント貰ったんだろう?
何貰ったんだ?
隊長の、愛情が思いっ切り入った物だろう?

まあ、お前の事だ、どんなにトンチンカンな物でも、有り難く受け取ったのだろう。だけれども、恋人になった気安さから、ケチョンケチョンにけなしたんじゃあないだろうな?」
アランが、心配そうに、まくし立てた。

隊長が幸せでいられる事を願うと同時に、もう一生、己の思いは、通じる事は無いのだと、寂しくもあった。

その隊長の様子がおかしい。それも、月誕生日に、出仕してからだ。
アンドレを呼び出して、聞かずにはいられなかった。

すると、アンドレは、ニマニマして、
「それが、貰っていないんだ」
と言った。

アランには、アンドレのニマニマと、言っている事がちぐはぐですぎた。面食らってしまった。以前から、この2人の関係は、謎だ。

もしかしたら、毎月の『月誕生日』とかで、本当の誕生日を隊長が忘れてしまった。うん、これは考えられる事だ。

だが、アンドレは、覚えているはずだ。そして、喉から手が出るほど、受け取るのを楽しみにしていたはずだ。

それなのに、目の前の男は、ゆっくりと酒を吞んで、食っていやがる。
しかも、目が、笑っていやがる。

こりゃあ、聞かずにはいられない、アランは恐る恐る聞いた。
「それにしちゃあ、嬉しそうだな?
なんで、受け取っていないのに、上機嫌なんだ?

おまえら二人、長すぎた春…なんて言うには、付き合いが、長すぎる。
だが、こうなってからは、まだ、短いぞ。

それとも、恋人同士になって、関係が変わったら、こんな奴じゃあなかった。とか言って、冷めてしまったのか?」

アランとしては、その方が、大歓迎だ。
しかし、アンドレのこれまでの想い。
そして、隊長の気質を考えると、そのような事は、起こりえないと、ガッカリした。

アンドレが、ポツリと話し出した。
「おまえは、隊でも一番口が堅いから、話してもいい。

だが、おまえは、口は堅いが、態度と表情で分かってしまう。
ケツが青いからな!」
アンドレが、やはり、上機嫌でアランをからかった。

「お…俺は、本気で隊長の事を心配しているんだ!
それに、隊の士気にもかかわり始めていると、言っただろう!

他の奴らは、気づいていないが、ダグー大佐と、
あの、色男…ロジャーは、気づいているようだ!
俺に、なんだかんだと、聞いてきやがる」

ロジャーの名を聞いて、アンドレが、アランの目を見た。
「ロジャー・メドウス・テイラーか…。
どうなんだ?あいつは?
オスカルは、無謀にもあいつをからかってやろうと、
言っているが…」

「なんだってー!隊長が、あのオトコを?
隊長には、100年早いって、止めなかったのか?

アイツ、マジで、たらしのこましだぜ!
黙って座っているだけで、オンナが寄って来る。

選り取り見取りで、手を出している。
週替わりの時もあれば、毎晩変わっている時もある」

「やはりな!オスカルが、そいつは司令官室で、あいつが、百面相をする。だが、あのオスカルだろう?意味が、全く分からずに眺めていたそうだ。
そう言っていた。だから、それは、男が女を誘う仕草だ。そう教えた」

アランは、ロジャーの無分別に怒りを覚えるとともに、そのロジャーからの、サインが全く気づかない、天然隊長に益々惚れ込んだ。

その後、同じ女性を愛しているが、何故か馬が合う2人は、夜が白々と明けるまで、飲み交わした。

翌日、勿論の事、アランは非番だった。
一方のアンドレは、365日休みなど無かった。
その朝も、朝食ルームの前で、目を真っ赤にしながら、立っていた。

そこへ、愛しい女性が通りかかった。
そして、言った。

「アンドレ!目が赤いぞ!
呑み歩くのもいいが、度が過ぎると、体に障るぞ!」

アンドレが言い返したくなる言葉を残して、朝食ルームへと、入っていった。

   ***********************

それからも、オスカルの午前様は続いた。
しかし、夜勤の時は、生き生きと、宮殿の周りの警護をした。
任務があるから、するべき事があって、退屈しないから、酒は要らなかった。

だが、夜が明けて、夜勤が終わると、手持ち無沙汰になった。
それなので、ヴェルサイユ四剣士隊を呼んで、騒ごうかとLINEした。

しかし、早朝から、LINEチェックする者など、いなかった。
ド・ギランドも、キチンと、夜、酒を呑んで、朝は、寝ていた。

オスカルも睡魔には勝てず、ベッドに倒れこんだ。

オスカルは、その時刻なら、『灯台守』既に、が居ない事を知らなかった。

 つづく



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