ヴェルサイユの外れにある歓楽街を、男が全速力で走り抜けた。その男はよく見れば、ハンサムだった。だが、あまりにも、早く駆け抜けていくので、誰もよく見ることが出来ず、気づかなかった。

その歓楽街を抜けると、四差路に出る。そして、その先にも、また、趣の変わった歓楽街が軒を並べている。

だが、男は、通りに出る直前に、路地へと入った。全く灯りの無い、不気味な通りだ。だが、男にとっては、明るかろうと、暗かろうとあまり問題にしていなかった。

男…隻眼であるアンドレの残された目は、かなり悪くなっており、殆ど勘を頼りに動いていた。それなので、その路地を抜け、明るいカフェが軒を並べる通りに出た時の方が、光を眩しく、立ち止まったほどだった。

   *****************

その頃、よく見なくても、一目でハンサムだとわかる男が、彼にしては珍しく、足取り重く約束の場所に、向かっていた。

もの凄くハンサムなロジャーは、アンドレと一度、話してみたかった。
そこで、同じく、女好きのロドリゲに頼んだ。

ロドリゲも、2人の対決を面白がった。
すぐにでも、LINEすると、言ってくれた。
すんなりと事は、運んだ。
ロジャーは、そう、思っていた。

だが、いつまで経っても、アンドレからの返信が無いと、ロドリゲが言う。
しかも、既読にも、なっていない。
ロジャーは、イライラしてきた。

そうしたら、今晩会いたいと、連絡があった。

しかし、ロドリゲに、アンドレとのセッティングを、依頼した時と、状況が違ってきた。近頃では、足繫く、隊長はロジャーの倉庫に来る。午前様する時もある。朝帰りする時も、多々ある。

多分、イヤ、きっとアンドレは、ロジェから何か聞いている。
懐にナイフか、銃を持って来るだろう。

ロジャーは、ロドリゲが、女に関しては熱心だが、その他には適当な事を、まだよく知らなかった。ロドリゲは、アンドレから、LINEが来なかった間、アンドレが、ジャルジェ家のご領地に行っていて、不在だった事を伝えていなかった。

ロジャーにとって、この様な事は、初めてだった。今まで付き合う女性は、全てフリーか、そうでなかったら、それまでの男と別れてから、ロジャーの元にやって来た。

それなので、【ライバル】である、男と会うのは、初体験だ。

ロジャーの眉間に、縦皺が2本よった。
通りすがる、女の子が振り返っていく。
いつもなら、お茶でもどう!と誘うが、今夜はそんな気分ではない。

  ******************

アンドレは、その日の午後、主であるジャルジェ将軍に、随行してのご領地の視察を終え、ヴェルサイユのお屋敷に戻る途中だった。

昼食時、ジャルパパが、スマホチェックをした。
そこで、アンドレは、スマホというモノの存在を、思い出した。

アンドレは、オスカルと連絡を取る事を禁じられてからは、LINEが、入って来る事も無いので、頭の隅から、ポロリと何処かに落としていた。

それなので、アンドレのスマホは、旅の間、旅行鞄から、何かを取り出す毎に、下へ下へと追いやられていた。それよりも、旅行鞄に入っていたのが、奇跡だった。

何週間、もしかしたら、何か月か振りに、アンドレは、スマホチェックした。
どうせ、何も入っていないだろう…そう思った。

すると、オスカルの友人…ロドリゲから、LINEが、入っていた。ロジャーが、アンドレと会ってみたいとの事で、仲介を取って欲しい。そう言われたので、連絡した。とあった。

日付を見ると、自分が旅立った翌日だった。
アンドレにとっても旧知の仲とは言え、大貴族の跡取りだ。

アンドレは、急ぎ、非礼を詫びた。
ロドリゲに…。

そして、ロジャーには。
出来れば、今夜にして欲しい。
そして、時間と場所を伝えた。
ロジャーからも、ラジャーと返信が来た。

   *****************

アンドレが、約束の店に入り見渡した。
以前、チラッと見ただけだが、目立つ男だった。
だが、その様な男はいなかった。

アンドレは、いつもの席にゆったりと腰かけた。馴染みである店の主が、直ぐに表れた。アンドレは、ツレが来るまで、待ってくれ。そう言って、本当の主…ジャルジェ将軍との、ご領地の視察を、一日目から思い返した。

その姿は、当初ジャルパパに、この強大な伯爵将軍家の、娘婿になる事を、逡巡していた頃と違って、逞しくなっていた。

一見すると、己の考えに没頭し、一つずつ、咀嚼して、飲み込んでいっていた…つまり、一心に何かを考え込んでいる客だった。しかし、アンドレが、いつもの習性で、己の思いに没頭しながらも、辺りに気を配り、おかしな奴らが来ていないか、気を配っていた。

アンドレは、その様な自分を笑った。
今夜は、オスカルと一緒ではない。
その様な心配などする必要は無かった。

8才から、身に付けた、慣習は意識しなくても出てくる。
でも、その慣習は、アンドレにとっては、ストレスなどではなかった。
それよりも、自分にしか出来ない特権であり、心地いいものだった。

だから、この地位を誰にも渡したく無かったし、渡すつもりも無かった。すべての思いは、そこにストンと落ちた。それが一番、気持ちよかったし、そうあるべきだと思った。

アンドレは、ポケットから、懐中時計を取り出した。
数年前の誕生日にオスカルがプレゼントしてくれたものだ。

あまりにも、高価すぎるものだった。
それなので、時間を確かめる時は、ポケットから出さずチラッと見るだけだった。

本当は、持ちたくなかったが、持たなければ、持たないでオスカルが拗ねだす。困った時計だった。

だが、今夜は、それを持つのに、気負いもなく、また、側から見てもなんの遜色もなかった。

ロジャーと、待ち合わせの時間には、少し早かった。
馬車が、ヴェルサイユの街に入った所で、ジャルパパに些細を話し、降ろしてもらった。

本来なら、愛しい女性に、長い間の留守を、声なき声で伝え、そっと、顔を見てから、こちらに来たかった。だが、アクシデントがあり途中下車をしなければ、間に合わないと思った。

しかし、相手はまだ来ない。お屋敷に寄ればよかった。
アンドレは、思った。

そして、アンドレは、ジャルパパを通して、オスカルの様子を知らせてくるかと、スマホをテーブルの上に置いていた。これも、初めての事だった。

スマホを持てるのは、特権階級だけである。
だが、アンドレには、職務上必要であると、ジャルパパとオスカルが、国王陛下の許可を得て、持つこととなった。

アンドレは、恐縮した。当初は、使用人仲間にも知らせず、ポケットの奥深く、コソコソと持ち歩いていた。

だが、オスカルと行動していると、頻繁に使う。
けれど、馴染まなかった。

それなので、今夜、アンドレのスマホも、(夜だが…)日の目を初めて見たのである。その事にも、アンドレは、動じる事は、無かった。

馴染みの、女給、ギャルソンが、驚いてテーブルを見、厨房でコソコソ話しているのを、知っても、アンドレは、堂々としている。

  **************

「遅れてすみません。アンドレさん。
ロジャー・メドウス・テイラーです」
心も感覚も、己の一番深い所まで、落ちていたアンドレは、予想してもいなかったハスキーボイスに、驚いた。

顔を見上げると、何時かの夜、馬車の中にいた男だった。
案外、顔と声は、一致しないのだな。
アンドレは、思った。

しかし、派手な【女殺しのロジャー】と、呼ばれている割には、落ち着いていた。しかも、さっぱりとした、細身のズボンに、真っ白なシャツ、どこにでも売っているような靴。それでも、やはり、目立っていた。

「アンドレでいい。おれも、つい先ほど来たばかりだ、ロドリゲ大佐から聞いているだろうが、ジャルパパに随行して、御領地に行ってきた帰りだ。

馬に、アクシデントがあって、遅くなったので、お屋敷に寄らずにここに来た」
そう言って、アンドレは、ロジャーに椅子をすすめた。

ロジャーは、腰かけながら、もしかして、アンドレは、これまでの出来事を知らないのではないか?そう思い始め、ほんの少し、眉間の皺が消えてきた。

テーブルにビールが運ばれ、アンドレは、一気に飲み干し、次を頼んだ。
二杯目を、ゆっくりと飲みながら、ロジャーに話しかけた。
「それで、何の様だ?」
単刀直入に聞いた。

ロジャーは、いきなり聞かれて、ビビったが、チビチビと飲みながら、話すよりも気持ちがいいと思った。

それで、ロジャーも、率直に言った。
「隊長を下さい。残念ながら、愛してしまいました」

「そうか、だが、残念なことではない。オスカルは、それだけ魅力がある」

ロジャーの話を、受け止めたものの、きっぱりと言った。
「でも、おまえでは、役不足だ。
彼女は、金と手間のかかる女だ。
おまえとでは、やっていけない!」

ロジャーは、一点を見つめ考えた。
アンドレは、Nonと、即答をするのかと、思っていたので、少々見直した。

ロジャーは、オスカルが、倉庫へ来た時の様子を思い出していた。
ジャルジェ家で、暮らしている時と、身の回りの事が、同じように出来ない事に不満を漏らした。

ならば、お屋敷から全て持ってくればいい!そうロジャーが言うと、何処に何があるか分からない。それに、持ってきても、どういう順番で、何を使っていいのかも、分からない。

それよりも、馬車が何台もいるだろう。ここに来ている事が、分かってしまう!そう言って、不貞腐れてしまった。それからは、泊まる事は、無かった。

だが、ロジャーは、近い将来、それを手に入れて、オスカルの望む生活をさせられると信じていた。

なので、アンドレに答えた。
「つまり、【金と名声と地位】が、あればいいのですよね?
それでしたら、必ず、手に入れます。
手に入れるのが、私の夢です。」
ロジャーも、堂々と答えた。

テーブルの上には、店長が気を利かせたのだろう。
数々のつまみが並んでいたが、2人とも、手を付けていなかった。

アンドレは、笑いながら、
「夢か…。
たとえ、それを手に入れたとしても、
その頃には、アイツは、将軍になっているだろう。
おまえなんかと、接点がなくなる」

ロジャーも、負けずに、
「そうでしょうか?その頃は、オレは、イギリスのダイアナ妃とも、話せるようになります」

アンドレは、バカバカしくなりながらも、この、のぼせ上った若い男に説いた。
「それまでは、どうするのだ?単に、歳の離れた恋人同士で、いるのか?
それとも、オスカルのツバメにでも、なるか?」

ロジャーが、とどめを刺そうとした。
「貴方は、どうなのですか?隊長の従僕と聞きましたが?」

それでも、アンドレは、冷静だった。
「ああ、正確には【遊び相手兼護衛】だ。
だが、時が来て、国王陛下から許可が出たら、貴族として認められる。

そうしたら、堂々とオスカルと結婚式を挙げ、夫婦になる。

おまえ、この国では、女性が財産を持つ権利が無い事を知っているか?だから、残念な事に、オスカルが持てると信じている、財産、領地も含めて、おれ名義になる。

おれとしては、そのような事は、どうでもいい。単なる、紙の上だけの事だ。
おれは、オスカルが将軍になる為に、妨げになるような事は全部引き受けるつもりだ。ご領地の、管理。お屋敷の管理。使用人の管理。その他、全ての事をこなし、オスカルを助ける。

おれは、オスカルを幸せにしたいだけだ。
オスカルの幸せは、将軍の座と、おれへの【愛】と、おれの【愛】だ。
だから、オスカルを幸せにできるのは、この世には、おれしかいない!

だから…おれの女に手を出すな!」

そこまで言うと、アンドレは、立ち上がった。
ロジャーは、目の前でキラッと光るものを見た。

「アチッ!」ロジャーが、悲鳴を上げた。
ロジャーのお気に入りのビンテージに、タバコが、刺さっていた。
ロジャーの、指には、フィルターだけが残っていた。
だが、ロジャーは、フィルターを、見ながら、二ッと笑った。

アンドレは、お屋敷に帰り、オスカルが眠っている事を確認した。
そして、自室の前で青ざめた顔をしたロジェから、3冊の【ロジェ・ノート】を渡された。

アンドレは、それを持って、部屋に入った。
怒声が、使用人階に鳴り響いた。

  つづく


スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。

COMMENT FORM

以下のフォームからコメントを投稿してください