アンドレが、深い、深〜い、眠りのどん底に落ちていると、音が聞こえてきた。
それは、始め、小さな音だったが、段々と、ドスンドスンと、大音響となった。
アンドレにとっては、此処の所、好印象に変わりつつあるロジャーが、この様な時間…もしかしたら、ドラムを叩く夢でも見て、叩いたのかもしれない。
アンドレは、もう一度、どん底に落ちようとした。
すると、小さいがハッキリとしたアルトの声がした。
「起こして、悪いな!
大事な話があるのだ。
わたし1人では、決めかねる。
おまえの、問題でもあるのだ。
大丈夫か?
目は、覚めたか?」
オスカルが、静かに言った。
このような時は、かなり真剣な問題だとアンドレは、認識していた。
それなので、壁を、1つノックして、オッケーのサインを出した。
そして聞いた。
「ロジャーいないのか?
あいつ、何しているんだ?」
オスカルは、
「今は、わたしの書斎にいる。
いつもは、あいつら、船賃が、足りなくて、焦って稼いでいるらしい。
主に、クラブでの演奏だ。
それと、昼間は、たいして金にならない、古着屋をやっている」
アンドレは、オスカルが、ロジャーのプライベートを、生活時間が全く違うのに、いつの間にか、そんなに知っているのか、不快に思った。
それにも増して、船賃が、『無い』と言うのが、理解できなかった。
オスカルは、アンドレと話題を共有できることに喜び、得意になって話し出した。
フレディは、手荷物と例のマイクスタンドを持って、乗ることが出来るのだ。けれども、ロジャーは、手荷物と彼自身は、乗ることが出来るのだが…
そこで、アンドレが、珍しくオスカルの話を遮った。
それでいいんじゃないか?
オスカルは、益々、自分だけが知っている情報を、披露した。
ロジャーには、あの西翼の、ドラムセットがあるだろう。アレが、船の規約をオーバーしていて、その分を払わなければ、ならないそうだ。
アンドレには、まだ、理解できなかった。(溺愛編のオスカルの様に…)
なんだそれ?ドラムセットなんか、客室にでも放り込んでおけばいいだろう?
オスカルは、アンドレからは見えないのに、人差し指を、チッチッチッチとして、言った。
彼らは、船底なのだ。そして、寝るスペースしか、与えられていない。そして、イギリスに着く迄、食事は出ないそうだ。しかも、水は提供されるが、殆どの者は、腹を壊すらしい。
それで、彼らは、ここでの食事で余ったパンを部屋に持ち帰り、乾パンを作っている。それに、ロジャーは、ド・ギランドの船で慣れているが、フレディは、繊細なので、飲めない。だから、やはり食堂から、ワインを失敬しているようだ。それに、周りの使用人達も、彼らの窮状を理解し、ワインを提供し始めているらしい。
ただ、ロジャーが言うには、フレディの味覚は、途轍もなくゴージャスで、使用人用のワインは口に合わないらしい。でも、フレディは、奥ゆかしいから、何も言わないそうだ。
彼らの労働に関しては、以上だが、何か質問はあるか?
オスカルは、言い残した事は無いか?
思い巡らしていた。
一方で、アンドレは、気に入らなかった。
オスカルが、そこまで知っているのも、気に入らなかった。
使用人仲間から、そのような情報を聞いていなかった事も、気に入らなかった。
使用人仲間は、なんとなく、女主人であるオスカルを巡って、アンドレとロジャーが、火花を散らしているのを知っていた。それなので、この事は、アンドレの耳に入れないよう、気を配っていた。
それを、当の本人が、得意満面の笑顔で話してしまった。
壁を挟んでだが…。
こっちに来ないか?
アンドレが、言った。
すると、オスカルが、もにょもにょと、
「今は、危険日なのだ。
おまえの部屋に行ったら…ダメだ。
わたしもおまえも、制御不可能になる。
それに、わたしたちは、二重の禁を、犯したことになってしまう。
冷静に話すには、壁一枚隔てた方がいいだろう。
それと、このロジャーの部屋の匂いも気に入っている。
タバコは、吸っている時は、ダメだが、残り香は、気持ちいい」
アンドレは、眠っている所を起こされた。…ここまでは、良かった。
愛する女性に、起こされたのだから。
しかし、それから、ロジャーといつどこで、その様な話をしたのかもわからない。かなり、詳しいプライベート情報を知っているのに、不快感を覚えた。
さらに、オスカルは、アンドレの部屋に行くより、ロジャーの香りに包まれていたい…。などと言い出した。…オスカルとしては、そこまで言っていなかったが、アンドレ的には、そう聞こえた。それに、危険日なら、おれだって、耐えてみせる!そう思った。
しばし、静寂が続いた。
それを破ったのは、天然のオスカルだ。
珍しく…。
「それで、少々、寄り道をしてしまったが、
本題に入りたいのだが…」
オスカルの、その言葉でアンドレは、オスカルが、かなり深刻な相談をしに来た事を思い出した。
話してくれ。アンドレも、冷静になり、壁の穴の前に正座した。
するとオスカルが、
「ああ、もう一度、この穴を開いて、目を見ながら話した方が、いい。
アンドレ、おまえは、そっちの補強を、壊せ!
わたしは、こっちをやる!」
「待て!オスカル!
こんな時間に、大きな音を、たてたらヤバい!
このままで、話そう」
「わかった」
そう言うと、オスカルは、先月、国王陛下から、出された問題について、アンドレに説明した。
そして、オスカルは、
「おまえ、どう思うか?
おまえの、一生にも、影響するのだぞ!」
アンドレは、考えた。
ドレスを着た、自分をエアーミラーに、映し出してみた。
虫唾が走った。
だが、オスカルの夢のためには、都合が良いと、思った。それに、どうせ、お屋敷にいるのだ。誰も口外しなければ、今までの、男装していても良いのではないか?
オスカルに、聞いてみた。
オスカルは、
新年のご挨拶、舞踏会に、出席しなければ、ならないそうだ。
アンドレが、また楽天的に、年に何回かだろう?耐えるよ!
するとまたオスカルが、我が家の中に、隠密が、いるのを忘れたのか?
アンドレの頭の中で、ノートルダムの鐘が、鳴り響いた。
あまりのショックで、衰えていく視力のことなど、すっ飛んでしまった。暗いので、何も見えないのだが…オスカルも…。
その時、オスカル側のドアが、勢いよく開いた。
「なんだ、いたのか?」
ロジャーの、ご帰還だ。
オスカルが、
「入るなら、ノックしろ!そう言ったのは、おまえじゃないのか?
今、わたし達の、輝かしい未来についての話し合いの、真っ最中だ。
もう少し、本とお友達でいろ!」
「何言ってるんだ!ここは、オレの部屋だ!」
「ふん!家賃、敷金、礼金、更新料なしのうえに、3食付きだ!文句言うな!」
「オレは、これから、洗濯物を干すんだ。
手伝ってくれるのなら、いてもいいぞ!」
「はん!オスカルさまには、洗濯物干しが、出来ないと思っているのだろう?
やってやるから、とっとと、こっちに寄こせ!」
「洗濯物干した事あるのか?」
ロジャーが驚いて言った。
伯爵将軍家の一応跡取りが、洗濯物を干す姿を、想像してみた。
すると、オスカルが、
「干した事は無い。
だが、オスカルさまに、出来ない事は無いのだ」
そう言って、一番上の何やらわからない物を、手にしようとした。
壁の向こうに居るアンドレには、恋人同士の痴話げんかに聞こえた。
なんとなく、不機嫌になった。
兎に角、ロジャーの部屋から、オスカルに出て行ってもらった方がいい。アンドレは、切実に思った。
壁の向こうから、アンドレの声がした。
「この件は、まだ聞いたばかりだ。
おれにも考える時間をくれないか?
また、もう暫くしたら、話し合おう」
アンドレの、力無い言葉に、オスカルは、oui と言うしかなかった。
数日後にまた来る。そう言って、ロジャーのタバコ臭い部屋から、出て行った。
洗濯物を、灰皿の上に放り投げて…。
ロジャーが、怒鳴る声が、去って行くオスカルの背中と、アンドレに聞こえた。
オスカルは、自室に戻った。
アンドレは、まだ、ロジャーとの、境界壁に向かって正座していた。
ロジャーは、面白くなかった。
アンドレも、面白くなかった。
つづく
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