月誕生日まで、数日という夜。
その月最後のサロンが開かれた。
アンドレは、オスカルは、どうせ今夜も、出てこないだろう。そう思う彼の指は、白いテープが、分厚く巻かれている。その下は、血だらけだった。
サロンも後半へと変わり、パートナーを探す殿方、誘われたいマダムたちで、賑わっていた。すると、オスカルが、現れた。
しかも、いつ新調したのか、真新しい礼装だ。
相変わらずのデザインだし、真っ白だが、金モールが、ふんだんに使われていた。オスカルが、この日ダンスをする為の礼装だ。
オスカルは、ホールを見渡した。今夜の招待客を、確認しているように見える。だが、アンドレには分かった。オスカルは、誰かを探している。
その夜は、フェルゼンもジェローデルも、来ていなかった。
では、誰を…。
アンドレには、分からなかった。
何組かのカップルが、踊り出した。
度胸のいい貴人も貴婦人も、オスカルのそばに行く。
すると、スッと逃げられてしまう。
オスカルは、広間で踊る人々を、見てはいなかった。
壁際を見ながら、広間を回っていた。
その時、曲が終わった。
オスカルが、足を止めた。
一同が、見守った。
勿論、アンドレも…。
見知らぬ男が現れた。ジレだけを、来ていた。しかも、ボタンがひとつも、止まっていない。逞しい胸が、さらけ出されている。さらに、そのジレは、オスカルと同じデザインの金モールで飾られていた。
オトコが、オスカルの前まで来た。
そして、跪いた。手を差し出しながら…。
オスカルが、手を重ねた。
オトコは、オスカルの手の甲に、礼儀正しく口付けた。
ロジャー・メドウス・テイラーだ。
オスカルが、
「服の着方も知らないのか?
折角、おまえの為に、誂えたのに…」
「ああ、嬉しかった。
だけど、袖が細くて通せなかった。
それに、細すぎて、胸がはだけてしまう。
オスカルの、プレゼントだ。
どうにかしようとして、ジレを着てきた。
けれども、ボタンが止まらなかった。
でも、この方が、オレには、似合っている。
いつか、ゴールドディスクか、プラチナディスク、そして、大英帝国の勲章を、受ける時は、自分の金で誂えた最高級の、ビロードを着る。
今夜は、ジレだけを、オスカルの好意として、受け取っておくよ」
「そうか、アンドレのサイズより、一回り小さくしたが…。
腕は、凄い盛り上がりようだ…。
胸の筋肉もすごい。
それが、ドラマーの…音楽で鍛えられた、身体なのだな」
オスカルは、そっと、ロジャーの身体に触れた。
そんなオスカルを見て、アンドレの手は、震えていた。
直ぐにでも、例の部屋に飛んで行きたかった。
だが、不吉な予感が、アンドレを、足止めした。
アンドレは、平静を装い、客の間を、トレーを持って、歩いた。
それも、段々と、オスカルとロジャーに、近づきながら…。
曲は、ワルツに変わっていた。
ロジャーは、オスカルの手を取って、軽やかに踊った。
「この様なものも、踊れるのだな?」
ロジャーの、完璧なリードに、感心していた。
「ハイスクールで、教え込まれたんだ。
こんな所で役に立つとは、思わなかったよ」
爽やかな笑顔で、ロジャーは、答えた。
そして、
「ドアの下から、招待状を頂いて、驚いたよ。
さしずめ、別れのワルツになるのかな?」
ロジャーは、相変わらずの、爽やか笑顔で言った。
オスカルも、
「そうだな、わたしは、まだ、誰とも人前で、ダンスを一曲、完璧に披露したことがないのだ。付き合ってくれるか?」
ロジャーは、軽快にステップを踏みながらも、
「喜んで…
と、言いたい所なんだけど、このリズムは、難しい。
集中しなければ、オスカルの足を踏みそうだ」
「やはり、エイトビートでないと、気分が乗らないのか?」
「まあね!3拍子の最後を2拍とって、エイトビートにして、踊らないか?
連中、驚くぞ!」
「タン、タン、タタ…か、面白そうだな」
オスカルとロジャーが、不思議なリズムで踊りだした。元々、不思議なこのカップルを見ていた者たちは、つられて、足を動かしてしまった。その為、パートナーの足を踏んづけ合い、あちらこちらで、衝突していく。
その様な、周りを一切気にせず、ロジャーが、言った。
「ヴェルサイユ土産が、欲しいんだ…」
「ほう、ロジャーらしくない事を言うな。
何が欲しいのだ?わたしで、手に入れられる物か?」
ロジャーは、極上の微笑みを浮かべ、オスカルに一歩近づいた。
「金で買えるものじゃない。
盗まなければならない。
オスカルの唇を、盗みたい」
オスカルは、フッと、笑った。
「この唇は、アンドレのモノだ!盗まれては、困る」
そう言うのも楽しかった。
「じゃあ、レンタルならどう?」
ロジャーも、負けていない。
オスカルは、トレーを捧げながら、付かず離れずに、付きまとうアンドレを見ながら、言った。
「レンタルなら、アンドレも文句を言うまい」
と…。
オスカルの方から、そっと、ロジャーの肩に腕を置いた。ロジャーは、オスカルの背中に、腕を回した。
ロジャーが、そっと唇を重ねた。
そして、ロジャーにしては、珍しくそのまま、離れた。
無料レンタルなのか?
返却期限は決めてあるのか?
2人とも、まだ、契約をしていなかった。
オスカルが、真剣な表情で、言った。
「ロジャー!おまえ、口付けの仕方も知らないのか?
その様な口付けで、【女殺しのロジャー】って、言われていたなぁ!
わたしが、口付けの仕方を、教えてやろう」
そう言うと、オスカルは、ロジャーの首に手を回し、唇を重ねる。そして、恋人同士の、口付けをした。
周りの者は、驚いた。
だが、一番驚いたのは、ロジャーだった。
オスカルの方から、この様な、口付けをされるとは、思ってもみなかった。オスカルは、オスカルで、この様な口付けしか知らなかった。それなので、オスカル的には、キチンとレンタルされた。と、満足した。
ロジャーは、レンタルを申し出た事に、自分で、自分を褒めた。
レンタルされながら、オスカルは、
「腕を伸ばしたままで、男の肩に乗るなんて、初めてだな」
オスカルもロジャーも、お互いの頭と肩に手を回し、唇を重ねていた。見ているだけで分かった。2人の口の中では、お互いの舌が、絡み合い、熱く燃えていた。
貴人たちの、3拍子か4拍子か、分からない動きが止まった。だが、そこにいるのは、上品な者たちばかり、素知らぬ顔をして、ダンスを続けた。
チラ見しながら。
アンドレは、顔を真っ赤にして、トレーをジョルジュに渡した。
が、そのトレーは、別の使用人の手に渡った。
だが、彼は、既に片手にトレーを、持っていたので、身動きが取れなくなってしまった。
が、ジョルジュが、アンドレに、冷静に言った。
「彼は、風来坊のようだが、今夜のオスカルさまの、正式な招待客だ。たとえ、どの様な場合でも、我々は、使用人としての立場を、忘れてはならない。
伯爵将軍家の、面目をつぶす事になるのだぞ。
使用人は、どんな時でも、感情で行動するものではない!」
アンドレは、ぐうの音も出なかった。
たとえ、オスカルに愛されていて(最近は、それさえも分からないが…)国王陛下より、次期当主として、認められても…今は、一介の一使用人でしかなかった。
主(オスカル)が、目の前で何をしようと、使用人として、手を出す事は勿論、口出しする事も、許されていなかった。
アンドレは、手を握り締め、ホールを後にした。
ジョルジュは、ホッと溜息を吐いた。
そんな様子を、そっと見ていたロジャーは、
「未だ、ダンスを完全に、一曲踊った事がないって、言っていたな?
どうする?この曲は、長いぞ。踊るのか?
それとも、庭園を歩かないか?」
オスカルも、そろそろ、飽きてきていたので、ロジャーに誘われるまま、テラスへと出ていった。
ジョルジュが、青ざめた。
やがて、気が済んだアンドレが、戻って来た。しかし、オスカルとロジャーが、庭園へ出て行ったと知ると、また、アンドレの秘密の部屋に戻って行った。
ジョルジュは、天を仰いだ。
ロジャーは、オスカルの手を取り、庭園の奥へと、いざなう。
「我が家の庭園は、こんなに奥まで、続いていたのか?」
「ここは、かなり奥まったところで、もう少し手前には、隣との境を示す塀が、あるんだ。だけど、この辺りから、その境も無くなって、誰の土地かもわからないみたいだ。
だから、誰の手も入っていないようで、荒れ地になっている。
暇が出来ると、体力作りに、走っていたんだ。
もう少し行くと、池があるんだ。
そこ迄、行こう」
ロジャーは、己が【女殺し】ならば、オスカルは、【男殺し】ではないかと、そっと、オスカルの顔を見ながら、思っていた。
2人の視界に、池が見えてきた。
すると、月にかかっていた雲が、オペラ座の緞帳のように、開いていった。
オスカルの心も、緞帳の様に開いた。
そして、水面にも丸い月が、揺蕩いながら映っていた。
今夜は、満月か…。
普段は、空など見上げないからな…。
レンタル期限は、まだなのだが…。
オスカルが、誘った。
ロジャーが、無言で応じた。
ロジャーの唇が、オスカルの首を、滑り落ちる。
しかし、オスカルの立ち上がった襟が、ロジャーの行き先を塞ぐ。
オスカルの口から、甘い声が聞こえた。
潤んだ目でロジャーに囁いた。
おまえの様な口付けをする男は、初めてだ。
これが、英国流か?
ロジャーも、悪びれずにオスカルだって、素敵だ!
その唇をいったい何人の男にレンタルしたのですか?
そう言いながら、ロジャーは、思った。
本気で、盗みたくなってきた。…と…。
オスカルが、指を折って数え始めていた。
ロジャーは、笑いながら、そんな事、アンドレの前でしては、ダメだよ!
でも、そんな貴女が、好きです。
アンドレが、いなかったら、ロンドンに攫って行きたい。
オスカルも、あゝ、そうだな!
おまえのことは、アンドレの次に愛しているかもな!
そう言ったが、全く感情が、こもっていなかった。
ロジャーは、不満そうに、オレは、1番でないと嫌なんだ。
でも、今夜だけは、1番でいさせてくれないか?
オスカルが、ロジャーの口付けに酔ったまま、ロジャーの目を見た。
ロジャーの目は、いつも無邪気だったし、思慮深かった。
が、今夜は、その中に、オトコが潜んでいた。
ロジャーが、オスカルの耳元で囁いた。
オスカルの、全てをレンタルしたい…と…。
オスカルは、
唇のレンタルなら、アンドレも怒らないだろう。
(あの~もう、怒髪天なのですが~オスカルさま~)
けれども、全てだと…アンドレは、どう思うのか?
…今の、わたしには、分からない。
オスカルは、最近のアンドレとの関係を、思っていた。
涙も出そうだが、怒りも爆発しそうだ。
感情で、動くのは簡単だ。
だけれども、
だが、全てのレンタルは、別物だ。
人間は、どんな時でも、感情で行動するものじゃない。
それなので、オスカルは、静かに池の上に揺蕩う月を、見ていた。
********************
月が、傾いてきた。
ロジャーが、言った。
タバコを吸っていいか?
オスカルが、
よく吸うのだな。
司令官室では禁じたから、吸えないくせに、咥えているか、指に挟んでいる。
中毒なのです、オスカルが酒を呑むように、
ふ~~~ん、そんなものか…。
でも、わたしは、場所と時間をわきまえているぞ!
オスカルが、ロジャーの隣に、寝転がって、足を組んでいた。
でも、オスカルだって、おれがタバコを吸うのを、黙認したんだろ?
オスカルが、驚いて、飛び起きた。
え゛…いつ?
ロジャーも、驚いた。
え゛…だって、オスカルの所から、紙飛行機が飛んできた時。
外に行って吸って来い!って、伝えたんだろう?
え゛…なんだそれ?…オスカルには、分からなかった。
ロジャーが、
だって、初めのは、何本か線が書いてあって、矢印があったから、煙を出しに、外に行け!って、意味だよな?
オスカルは、唖然として、
おまえ、絵心がないな!
アレは、虹が出ているから、後ろを向いて見ろ!だ!
はあ?
じゃあ、【丸】は?
今夜は、満月だ!
じゃあ、真っ黒に塗りつぶしたのは?
もやもやしたのを、書こうとしたら、真っ黒になったが、
そろそろ、雨が降るぞだ!
ロジャーは、呆れながら、
なんで、そんな事をするのですか!子供じゃ、あるまいし!
オスカルは、笑いながら、言った。
「おまえ。ロジェが、いつもわたしの後ろに居たのは知っているよな?そして、逐一メモを取っていた。そしてそれは、アンドレの元へと行く。それも知っているな?」
ロジャーが、頷いた。
オスカルが、楽しそうに…。
「だから、ちょっとからかったんだ。
一つ芝居を打ってやった。
おまえのポケットから、落ちたように見せかけて、
【明日は、わたしもおまえも休みだ。二泊するぞ】ってな!
そうしたら、本当にあいつ、倉庫の前で見張っていた。面白かったぞ」
ロジャーが、あ~あ!とひっくり返った。
「で、アンドレには、何か聞かれたのか?」
「泊ったのか?って、聞いたから、ああって…。
寝たのか。って、聞いたから。勿論って答えた」
「本当にそんな事を言ったのか?」
信じられない…と、ロジャーは、思った。
すると、オスカルは、淡々と、
「だって、本当の事じゃないか?
ロジャーの倉庫に行って、おまえのベッドを借りて寝た。
アンドレは、いつも夜勤の時、司令官室のベッドに、寝ていたわたしを心配して、眠れたか?って、聞くんだ。心配そうに…。
だから、ロジャーの倉庫でも、よく眠れたのか心配だったのだ」
「アンドレは、オスカルの事が、心配でしょうがないんだな!
オスカルも、そんなアンドレを、愛しているのだろう?」
「ああ、自分でもどうしようもない位、愛している。
だから、逢えない間、彼が何をしているのか、何を考えているのか、気になる。特に、最近は…。」
ロジャーが、そんなオスカルを見て、微笑んだ。
(彼なら、貴女の事だけを見ていますよ。
愛しすぎているから、彼の心が見えなくなっているのに、気が付かないのですね)
ロジャーが、そろそろ行かなくちゃ。と、立ち上がった。
すると、オスカルが、ちょっと、おまえの唇を、レンタルしたいのだが…。
そう言うと、ロジャーの肩に、腕を置いた。
そして言った。
「だめだ、最近、アンドレと口付けをしていないから、思い出そうとしたが、おまえじゃ、身長が足りない。残念だが、レンタルは、取り消しだ」
そう言って、オスカルは、背を向けて行ってしまった。
残されたロジャーは、初めて女性の方から、口付けを止められたのがショックで、暫く、立ち直れなかった。
オスカルは、アンドレを探して、屋敷の方へ戻った。あと数日で、月誕生日だ。今度こそ、仲直りしてまったり過ごそう。そう思いながら、テラスから中へと入った。
使用人達が、後片付けをしていた。
が、アンドレの姿は、そこに無かった。
オスカルの握りこぶしは、血の気が無くなった。
美しい顔は、怒りで燃えていた。
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