一枚の扉を隔てて、男と女が立っていた。

男が立っている、室外側には、大きな男の身長ほどもある、振り子時計があった。
今日の日の為に、これから過ごさなければならない、一年間の為に、女が用意したものだった。毎月、25日の0時と、26日の24時に鳴るように、あらかじめセットされている。
(そんな事が、出来るのだろうか・・・・・でも、出来る事にしておいてね

女の名は、オスカル・フランソワ。
この屋敷の次期当主にして、現在、フランス衛兵隊の部隊長、准将の地位にある。

男の名は、アンドレ・グランディエ。
8歳で母親を亡くし、たった一人の身内である祖母、マロン・グラッセ・モンブランを頼り、
六女である、オスカルの護衛兼遊び相手として、このジャルジェ家で、育った。


2人とも、息をつめて、その時を待っていた。
国王陛下から、愛し合うなら、これから1年間月誕生日にしか会う事を許されていない、2人だった。

その月誕生日まで、あと5分。
長く感じられた。
今まで、目を合わせないで暮らしてきた、この日々よりも、心の通い合った会話を出来ないで過ごしてきた、これらの日々よりも、ずっと長く感じられた。

大時計が、鐘を鳴らすために、大きく動いた時、アンドレは、ドアノブに手をかけた。
ドアの向こう側でも、愛する女性が、手をかける気配を感じた。

秒針が、真上に移動するとともに、アンドレは、ドアを押し開けた。
と、同時に、温かく柔らかい、愛しいオンナが胸に飛び込んできた。

お互いを呼び合う言葉はなかった。
只々、お互いのぬくもりを感じていた。

オスカルの肩と、頭に手を当て、そっと愛しいオンナのするに任せていた、アンドレが、先に口を開いた。

「オスカル、抱きしめてくれるのはとても嬉しいのだが、・・・・・
そろそろ、顔を見せてくれるか、部屋に入れてくれないかな?」
あ!そういえば、ドアが開いて真っ直ぐに、愛しいアンドレの胸が目に入り、飛び込んでしまった。顔を見ていない・・・。オスカルは、やっと少しだけ、冷静になった。

顔を見たい・・・けど、部屋にも入って欲しい・・・。
どちらを優先したらいいのだろう?

いつも冷静に、指揮を執る、准将であるオスカルが、逡巡している。
アンドレは、愛しくてたまらなくなり、今度は、唇をふさいでしまった。

これでは、顔も見られないじゃないか!
相変わらず、部屋の外と中だ!

唇を合わせたまま、オスカルが、訴える。

だって、おまえが、あまりにも愛おしくて、唇を奪わずにいられなかった。
アンドレは、心の中で己の行動に、驚いた。

お互いの唇を堪能すると、漸く、アンドレが、先におまえの顔を見たい。
目と目を合わせたい。
と、珍しく先に、自分の要求を口にした。

オスカルは、そのような事に頓着せず、美しい顔を上げて、アンドレの目と視線を合わせた。

久し振りだ・・・。
ああ、久し振りだ・・・。

会話はしたけど・・・。
ああ、必要最低限の会話はしたが・・・。

あ!一番大切な言葉を、伝えていない・・・。
ああ、一番大切な言葉を聞いていないし、言っていない・・・。

愛している・・・。
愛していた、ずっと、これからも・・・。

10日ぶりに、恋人同士に戻った二人は、こうして長い時間をかけて、お互いの存在を確かめた。

それぞれ、相変わらず、ドアの外と中に立ったまま・・・。

言葉はいらなかった。オスカルが、アンドレの手を取ると、部屋の中へといざなった。
アンドレも、それにつられて一歩入った所で、忘れ物がある。と、ドアの横に置いてあった、ワゴンを引き入れた。

ワゴンの上には、ワインクーラーに入った、シャンパン。そして、オスカルのお気に入りの、シャンパングラス。そして、もう深夜だというのに、誰が準備したのか、数々の軽食が載っていた。

目を見開いた、恋人にアンドレが、
「プルジャック・・・・・おれが親しくしている、厨房担当の奴が、今夜は特別な日だからと、作ってくれた。但し、夜中だから、腹にもたれない、軽いものばかりだけどね!」

オスカルは、微笑みながら恋人を、彼女の居間のソファへと連れて行く。
アンドレもオスカルの目を見ながら、片手で慎重にワゴンを引きながら・・・。

「ちょっと、シャンパンとワインを。見てみてくれないか?!」

「ほう!おまえにしては、珍しい組み合わせだな?
オスカルは、赤ワインと、シャンパンを見比べながら楽しそうに言った。

アンドレも、楽しそうに、
「そうだろ!ジョルジュに選ばせてみた。
彼の初仕事だ。
お嬢さまのお口に合うといいのだが・・・」

「それなら、直ぐに飲んでみたい。
アンドレ!先ずはシャンパンからたのむ」
オスカルは、嬉しそうにソファーに腰掛けた。

「当たり前だろう?
ワインから飲むヤツいるか?
それとも、この数日間で味覚が変わったか(笑)」

アンドレが、シャンパンを勢いよく開けた。
それぞれの、グラスに注ぎ、乾杯した。

何に乾杯する?などと野暮な事は言わない。
乾杯したい事は、いっぱいあった。
いっぱいあり過ぎたから、ただ、乾杯だけした。

オスカルが、
「おまえに会ったら、伝えたいことが、沢山あったような気がしていたが、
会ってしまったら、どうでもよくなってしまった。
これからの、48時間を大事にしたい」と言って、また、グラスをアンドレのそれに近づけた。

アンドレも、笑って頷いて、グラスを合わせた。そして、
「だけど・・・少しは、聞きたいな。
彼等と、久し振りに会っていたんだろう?」

「ふふふ・・・相変わらずだよ。あいつらは・・・」
こうして、やはり、他愛のない会話が出来なかった10日間の時間を埋めるように、しばらく、他愛のない会話が続いた。

それは、ほんの少し、お互いが、久し振りに会って、少々照れくさいような、どんな態度をとっていいのか、と気分的に空いてしまった隙間を埋めるのに役立った。

すると、今度は、沈黙が訪れた。
それぞれ、シャンパンを飲みながら、軽食に手を伸ばした。

でも、肩が触れ合っていた。
隣に座っている。
温もりが、息遣いも、グラスを傾ける姿も見える。
全てが、新鮮で、喜びだった。


ふと、アンドレは、気になっていた事。
でも、少しだけ、口に出すのを憚れること、を漸く、聞ける雰囲気になったのを感じた。
そして、オスカルの肩に手を回した。


「それで、その〜オスカル、身体の方はどうなんだ?」
アンドレが、遠慮がちに聞いてきた。
オスカルは、何のことやら分からずに、
「え゛?どういう事だ?わたしは、この通りピンピンしているが・・・」

アンドレは、オスカルの見当違いの返答に、今度はどう聞けば良いか悩んだが、この天然のお嬢さまには、直球で勝負するしかないなと諦めた。

「うん。だから、基礎体温は、どんな調子か教えて欲しいのだが・・・」
アンドレは、こういう事では、なかなかストライクが投げられないと困惑した。

果たして、オスカルは、アンドレの直球に対して、
「あゝ、その事か?ちゃんと毎朝、眼が覚めると同時に、侍女が体温計を咥えさせてくれる。安心しろ!勿論、基礎体温のグラフは、自分で記入している!」

アンドレは、目眩がしてきた。2球もボールを投げてしまったようだ。
次こそは、ストライクを投げなければならない。
考えあぐねていると、オスカルが、思ってもみない行動に出た。

「待っていろ!今、グラフを見せてやる!」と、言って、寝室に走って行ったと思ったら、ペラペラした紙を持ってニコニコ戻って来た。

オスカルが、折りたたまれた、薄い線がびっしりと引いてある紙を渡した。そして、アンドレの隣に座ると、グラフの説明をしだした。アンドレも初めて見る、基礎体温計に不思議な感じを覚えた。

すると、オスカルが、
「・・・だからな!今は、大丈夫なのだ!」
「え゛・・・」

「聞いていなかったのか?この線が、こうなって、こう来ているから、今は妊娠しにくいのだ!分かったか?」
知りたかった事を、こう簡単に言われて、アンドレはどう答えていいのか、分からなくなってしまった。

「ほら!見てみろ!毎日、微妙だが変化している。」
オスカルは、得意げに基礎体温のグラフの説明をしてくれる。
アンドレは、10日前に、宮廷で聞いた知識を総動員してグラフに見入った。

基礎体温は、低めで推移しているようだ。
オスカルも、やっと、
「だから、今日は、安全なんだ」と、言った。

アンドレは、やっと聞きたかった回答を得てホッとして、
「あゝ、そうか」とだけ言って、ソファに身を沈めた。

その様子を見ていたオスカルは、なんとなく、微笑ましく思った。この10日間、アンドレ無しで過ごしてきて、他の男たちに囲まれ、少し判った事があった。オトコは、オンナが無防備にしていると、手を出したくなるようだ・・・と。しかし、本当に想っている相手だと、紳士的に振る舞う・・・・・とも。

黙ってしまったオスカルをアンドレは、心配そうに見つめていると、オスカルの顔に微笑みが浮かんできた。
「どうした?オスカル?何を笑ってる?」
堪らず、オスカルの顔を覗きこみながらアンドレは、聞いた。

アンドレに、楽しそうに聞かれたオスカルは、
「ふふふ・・・おまえは、紳士だな!アンドレ」
不意に言われて、アンドレは、ヘッ!?と、妙な顔になってしまった。
でも、それがまた、オスカルには魅力的に思えてくるのであった。

実は、先程から真逆のことを考えていたアンドレは、返す言葉がなかった。オスカルが、この2日間大丈夫だと知ってから、ベッドまで連れていく間も無く、この場で押し倒してしまいたい衝動に駆られていたのである。

それを、こんな風に言われては、手出しがしにくくなってしまうものである。参ったなぁ!って思っていたら、愛しいとんでもないお嬢さまは、次の一手に出てきた。

「おまえ、この10日間、耐えていたのか?」
なんて事を聞くんだ、オスカル。

おまえへの想いに耐えていた時は、それなりに、それなりだった。
が・・・こうして、想いが通じあって、おまえを知ってしまったこの10日間、どんなに辛かったか、おまえには分からないのか?
それとも、オンナにはそれ程、欲望がないのか。

散々思いを巡らせ、頭の中は、欲望で渦を巻いていたが、アンドレは、爽やかに、
「あゝ、モチロン」とだけ答えた。

すると、何を考えているのだか、お嬢さまは、
「もし、もしじゃなくて、これから、月誕生日の何処かに、危ない日や月のモノの日があると思う。それでも耐えられるのか?」
と、とんでもない事を聞いてきた。

アンドレの目眩は、貧血になってきた。
そうだった。オスカルの月のモノは、何時も正確に、28日周期で、来るのだった。
だから、これまでは4週毎に気を使って体調管理をしていれば良かった。

だがこれからは、彼女が煩わしく思っている以上に、自分も月のモノに行動を左右されるのだ。下手をしたら、2ヶ月我慢しなくてはならない。もっと下手をしたら、月のモノと、排卵期が続いて起きる場合もある。そうしたら、3ヶ月もお預けになる。

隣に座る愛しいオンナを見た。
とても、冷静で穏やかな姿をしているが、アンドレは、知っていた。
一度火がつくと、手に負えなくなる情熱を持っている事を。

もし、自分が耐えきれず、他のオンナに手を出したら・・・ここまで考えて、アンドレの思考は停止してしまった。

未だ、それを知るほど、相思相愛の期間は長くなかった。でも、どれだけ彼女が傷ついて、どれほど彼女が怒り狂うかは想像できた。

だから、アンドレは、
「モチロン!おまえと一生、一緒に居られる為だ。我慢なんかではない。当然のことだ」と、答えた。

この言葉に、愛しい女性は苦しい胸の内を、果たしてわかってくれたのか、アンドレがオスカルを見ると。

アンドレが、投げた変化球をどうキャッチしそこねたのか、オスカルの目から涙が止めどなく溢れてきた。

参った!アンドレは、お手上げ状態になってしまった。8歳の時からずっと一緒に育ったというのに、未だこのお嬢さまの反応に、驚いてしまう。

オロオロするだけの、オトコの胸に、手が負えないお嬢さまが飛び込んで来た。

「ゴメン、ゴメン、アンドレ。
おまえが、そんなにわたしのことを思っていてくれているというのに、わたしは、わたしときたら・・・」
アンドレの頭は、今度はパニック状態に陥った。
何を、言い出すのだ。何をしたんだ?このお嬢さまは?

アンドレが、黙っていると、オスカルが続けた。
「わたしは、おまえが居ないのが、寂しくて。
おまえに会えないのが、辛くて。
執務机の斜め前を見ても、おまえが居ないのが、不満で・・・

だから、だから、ド・ギランドに・・・」
オスカルの長い付き合いの、男の名が出てきて、アンドレは、目の前が真っ暗になった。アンドレの思考は、悪い方へと超音速で向かっていった。しかし、ここで思いとどまった。ド・ギランドは、ゲイじゃなかったのか?それとも、バイになったのか?思わず、オスカルの背中に回している手に力が入る。

しかし、心と裏腹に、出来るだけ優しい声で問いかけた。
「ド・ギランドに、どうしたんだ?オスカル。
泣いていては、分からないよ」

「うん、だから。ド・ギランドに愚痴ばかり言ってしまった」
アンドレは、そっとため息を吐いた。
なんだ、そんな事か。こんな事では、このお嬢さまには、一生ハラハラさせられるぞ。
アンドレは、覚悟を決めた。

一方、オスカルも小さなため息を吐いた。
本当の事を言わないで良かった。ド・ギランドに泣いて抱きついて、慰めてもらって、その上、1年間頑張るよう、励まされた。なんて言ったら、アンドレは、もの凄く、怒りそうだった。

アンドレ・・・愛を告げる前から、ずっと愛してくれていた。望みがなくても。それなのに、わたしは・・・。
もし、アンドレが、他のオンナを抱きしめたら、わたしは許すことができない。

ド・ギランドが、たとえゲイだとしても、アンドレは、いい気がしないはずだ。
こうして、10日ぶりの2人の夜は過ぎていった。

  *******************

翌朝、アンドレはいつも通りに起きると、いつもの様にお仕着せを着て、朝食ルームへと向かった。

オスカルもいつも通り、朝食ルームに入って行った。
ジャルパパと、ジャルママが、ゆっくりとくつろいで、朝食を楽しんでいた。

オスカルが入って行くと、アンドレが、親しみを込めて、おはよう、オスカル!と声を掛けた。
それまで、2人の存在に気がつかなかった、パパとママが驚いて顔を上げた。

「まあ、あなた達、もっとゆっくりしているのかと思ったわ」
なんて言うものだから、ジャルパパは、オッホン!と咳払いした。

しかし、ジャルママは、気にも留めずに、
「あら!オスカル!寝不足の様ね~
目が真っ赤だし・・・お肌も、くすんでいるようですね。
眠れなかったのかしら?
後で、ガトーにしっかり、お手入れしてもらいなさいね」
と、言ってのけた。

それに、オスカルも全く頓着なく、
「はい、母上。昨夜はアンドレと、お互いの顔を見合って、
視線を合わせ続けていたので、いささか寝不足気味でございます。
美容に関しては、わたしは、軍人でございます。
お気遣いなく・・・」
と、堂々と言った。

ジャルママは、今度は面白そうに、
「あらまあ!一晩中、睨めっこしていたの?あなた達?
そんな事をして、吹き出しはしなかったのですか?
私だったら、お父さまと目を合わせて、黙っていたら、
直ぐに、吹き出してしまうわよ。
不思議な、カップルねぇ。
お父さま?」

突然話を振られた、ジャルパパは、答える術もなく、コーヒーでむせこけた。
オスカルは、至極真面目に、
「今まで、アンドレと、何気なく視線を合わせていましたが、
それが出来なかったとき、視線を合わせるというのが、
どんなに己の意思、気持ちを表すのか身にしみてわかりました。

ですから、昨夜は一晩中、視線だけで、会話をしていました。
もちろん、母上の仰る様に、たまには笑い出しましたが、
視線を合わせる事の出来なかった、この10日間を取り戻しました。」

オスカルが、嬉しそうに話している所へ、アンドレが朝食の皿をオスカルの前に置いた。
「オスカル?今朝はこんなものでどうかな?」
オスカルは、皿に乗せられた、ハム、オムレツ、野菜、それに、グラスにはグレープフルーツジュース、十分満足であった。

顔を上げると、
「アンドレ!ありがとう!」と目を見て言った。
アンドレも、優しいまなざしを送った。

ジャルママがまた、
「あら!アンドレ、今日は一緒にテーブルに着いたらいいのに・・・」

オスカルが、至極当然と、
「今までの通りに、過ごしたいのです。今日は。
ですから、この後、衛兵隊に出仕いたします。」

「まあ、まあ、あなた達・・・」
ジャルママは、開いた口がふさがらなかった。
その代わりに、ジャルパパの口が開いた。

「なんだって、おまえ達、休みではないのか?
おまえが、休暇だから、わしも休暇を取ったのだ。
わしだけが、休んでいては、面目が立たない。

おい!誰か・・・私も出仕できるように、準備するよう伝えてくれ!」
と、これまでのんびりと、コーヒーを楽しんでいたのを、流し込み始めた。

その言葉に、オスカルは、
「父上の面目など、いつも傾いたままではないですか?
今更、頑張っても無駄というもの、
老兵は、休んでください」
と、さらりと言ってのけた。
ジャルママが、笑い出したのは言うまでもない。

アンドレは、笑いたいのを堪えながら、何かいい言葉が無いか、目を白黒させて頭を巡らせていた。

その脇を、オスカル達が入って来てからずっと、ばあやが相変わらず胡散臭い目で見ながら、せっせと動いていた。が、幸せに酔っていた・・・自分たちは冷静だと思っていたが、・・・2人には、その様子が全く目に入っていなかった。

  *******************

衛兵隊に到着すると、オスカルとアンドレは誰にも見つからない様に、ひっそりと司令官室に入って行った。

入室し、いつもの様に、司令官の椅子に座った。
アンドレも、彼に与えられた、オスカルから見て左斜め前に腰掛けた。

いつもの様だったが、2人でこうして、向かい合って座るのは、約一か月ぶりであった。本来ならば、アンドレは、オスカルが腰掛るのを待って、飲み物を用意し、その日の予定を伝える。

しかし、今日は、有給休暇だったのを、勝手に出てきたので、こなさなければならない仕事はない。

2人の目的は、こうして、2人で今まで通り座って、お互いの顔を見て、目を合わせる。
それだけであった。

・・・が、それに加えて、別件があったが、それは後程・・・。

衛兵隊に転属してから、もう数年、ずっとこのようにして、事務作業をこなしてきたが、とても新鮮だった。ちょっと、照れ臭かった。オスカルは、自分の方に向けられている、たった一つの黒曜石に見つめられ、うつむいてしまった。

アンドレは、そんなオスカルが、可愛くて、可愛くて、出来るなら、机を飛び越えて、抱きしめたいほどだった。

「ふふふ・・・」オスカルが、笑った。
「ふふふ・・・」アンドレも、笑った。

そしてまた、2人は見つめ合う。

暫くして、アンドレが飲み物を用意するため、席を立った。
オスカルは、書類箱の中から、件の要望書の原本を出してアンドレを待った。

アンドレが、紅茶を渡すのと同時に、オスカルから要望書が渡された。
また、オスカルが、笑った。
そして、アンドレも、笑った。
これで、本当にいつも通りになった。

アンドレが、これは、4班の・・・名前を言ってもいいか?と、要望書を見て言った。
オスカルは、しばし考えて、
「やめておこう、わたしには、知られたくないという理由から、名前を書かなかったのだろう。それに、知ってしまえば、なんとなく見てしまって、気づかれてしまう。
アンドレ、おまえの胸の中だけにしまって置いてくれ。

ふふふ・・・おまえなら、ポーカーフェイスが得意だろう!?」
するとアンドレは、人聞きがわるいな・・・とぶちぶち言いながらも、対策を考え出した。

それからは、この10日間で滞っていた、書類をやっつけて、あっという間に昼食の時間になった。

アンドレが、重厚感のあるドアを開けて、オスカルを廊下へといざなった。
オスカルは、茶目っ気たっぷりに、メルシーと、笑いかける。
こんな何気ない日常が、2人にとって心から、幸せと感じられた。

食堂への廊下で、偶然にも1班の面々と出会った。が、これは、向こうにとっては、偶然だったが、アンドレが、日頃の彼らの行動から推測して、出会うよう司令官室を出たのだった。

1班の面々は、休みだと思っていた、隊長が来ている事。オスカルの隣には、アンドレが居る事を、素直に喜んだ。隊士たちにとって、アンドレは彼らの敬愛する隊長の前に立ちはだかる、邪魔ものの様に感じていたが、この10日間、隊長の横に違う男が居て、超違和感だったのである。

アンドレが、アランとフランソワに伝えた。
「おれたちは、そっと食堂の隅に座っているから、おまえたちの分と称して、2人分持って来てくれないか?」

フランソワは、オスカルの食事係をまた出来るのかと、喜んだが、勘の鋭いアランは、眉を寄せながら、
「ふん!何を考えているんだか!?
俺たちの為になる事だろうな?
どうせ、その為に出て来たんだろ!」

「まあ、いいから、分からないようにやってくれ!」
アンドレが、勝算ありと言う顔をした。

1班の面々は、いつも食堂の、一番居心地のいい場所を、占めるのだが、この日だけは、そっと食堂に入り、入口に近い端の方に静かに移動していった。

間もなく、アランとフランソワが、それぞれのトレーを持って近づいてきた。
フランソワが、オスカルの方にトレーを渡そうとすると、アランがすかさず、オスカルのまえに置いた。フランソワがちょっと、がっがりした。

トレーが置かれると、オスカルとアンドレは、スプーンを持って、今日のメニュー、シチューを掬ってみた。
具が・・・野菜の端切れと、肉の破片があるだけだった。
オスカルの眉間に、珍しくも縦皺が寄った。

そっと、シチューを飲んでみた。
味が・・・塩味だけだった。
アンドレも、同じようにしていた。
そして、考え込んだ。

アランは、2人が何をしようとしているのか、悟った。
そこへ、アンドレが、
「アラン。オスカルが、来ているから、もう二人分頼むと、料理長に言って、もらって来てくれないか?」
すると、アランは、面白くなってきたとばかり、不敵な笑みを浮かべながら、調理室の前にある、配膳台の方へと大股で歩いて行った。

やがて、アランが、またまた、楽しそうな顔をして戻ってきた。
「おう!料理長が、今日は、人数分しか用意していないから、隊長とアンドレの分は、これからお作りして、お持ちします。・・・だとさ!」

オスカルが、どうするのだ?アンドレ!と、目で聞いてきた。
アンドレは、柔らかな笑みをオスカルに送ると、至極真面目な顔になって
「調理室に行って来る」
とだけ言って、席を立った。

オスカルは、目の前の殆ど具のない、シチューを見てから、隣のフランソワに、
「もう少ししたら、何か出てくるかもしれないが、これも食べるか?」
と、トレーを横に滑らせた。

フランソワは、天にも昇る気持ちだった。
憧れのオスカルが、口を付けたスプーンを使って、食事が出来るのである。
いつかのように、倒れそうになる自分を奮い立たせ、震える手でスプーンを手に取ろうとした時・・・

「お~い!みんな!今日は、料理長の大盤振る舞いで、昼から、焼き肉が振る舞われることになったぞ!
1人一皿だ!行き渡らなくなるから、二度並んではダメだぞ!」

食堂の中が、騒然とした。誰もが、此のところ、貧相な食事しかしていなかったので、飢えていたのである。我先にと、配膳台に並ぶ。オスカルのスプーンに震えていたフランソワも、すっかり忘れて、突進していった。

食堂のテーブルに座っているのは、オスカルとアンドレだけになった。
かえって、目立ってしまった。
これは参ったなぁ・・・と、オスカルがまた、アンドレに目で訴える。

「後で、司令官室に来るように、料理長に伝えたよ。
調理室ぐるみで、食料を持ち帰っていた。
腐りやすい肉は、丁寧にも塩漬けにしていた」

オスカルは、驚いたようだったが、悲しそうに、
「食糧難なのか?」
ポツンと言った。

「う~ん、それなりの食料は行き渡っているが、衛兵隊で提供される食糧は、少しだけ、庶民のよりマシだから、美味いものを家族に食べさせたい。・・・その一心だったのが、段々エスカレートしていったみたいだ」

「そうか・・・何らかの処罰をしなければならないな・・・」
「え゛・・・今まで、処罰はしなかったじゃないか?」
アンドレが、真剣に聞いてきた。

「今までのは、わたしへの、反抗だったから・・・って、知っているだろう!?
一々、言わせるな!」
「ハハハハハ・・・で、どうするのだ?」

「それを今、考えている。クビにするのは簡単だ。
でも、それでは、解決にならない。
彼等の出方を見てから、考えてもいいだろう・・・」

  *******************

昼の時間が終わり、料理人たちが顔をそろえて司令官室にやってきた。それを、オスカルは、見事な裁きで納めた。

また、司令官室に静寂が訪れた。
ヴェルサイユ四剣士隊が、来ていた時も書類仕事はものすごい勢いで、処理されていたが、やはり、アンドレが居るのと、居ないので、こうも違うものか・・・と、オスカルは、嬉しくなってきた。

この分なら、早々に国王陛下にアンドレの衛兵隊への復帰を、お願いに行けると、オスカルは、笑いが止まらなくなってきた。止まらなくなってきたので、ニマニマと笑ってしまった。

目ざとい・・・オスカルに関しては・・・アンドレが、どうした?オスカル?と不審に思いながら聞いてきた。

「え゛・・・何が・・・」
アンドレの復帰を、突然の事だと驚かせたいオスカルは、天井を眺め、そ知らぬふりをした。

そんなオスカルを見て、
「まあ、いいさ!そんなに楽しそうな顔を見るのは、久し振りだからな!
ところで、今夜はどうする?」
と、アンドレとしては、ディナーの事を聞いてきた。

しかし、狼狽していたお嬢さまは、
「決まっているだろう!
おまえは、わたしの部屋でまったりと過ごすのだ。
ワインは、任せる」

「へ!・・・ワイン?まったり?」せっかくの、よく見ればハンサムなアンドレの顔がひん曲がった。そこへ、すかさずオスカルが、

「その後は、安全日だから任せる。
オトコの管轄だろう?」

「え゛・・・オトコの管轄?」さらに、アンドレの顔はひん曲がっていく。

お嬢さまは、シレっと、続けた。
「だって、オトコはその事の為に、働いて日々を過ごしているのだろう?
おまえだって、オトコの端くれ、違わないか?」

遂に、アンドレは答える事が出来なくなってしまった。
すると、オスカルが、目を細めて、
「ふふふ・・・」と笑った。

察したアンドレも、
「ふふふ・・・」と笑い返した。

こうして、10日ぶりの2人だけの宵が、過ぎていった。

つづく

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