かわいくて、優しい、最愛の私のおかあちゃんに捧ぐ


それからしばらく、グランディエ家は、はた目には、何事もないように日が過ぎていた。いつの間にか、国王は、子ども2人をアラスから連れて来たパパアンドレの娘婿と言う事になってしまった。

そして、国王は、馬車庫で、毎日、鉄と格闘していた。もともと、錠前作りがお好きだったが、壊すのは初めてだ。と、試行錯誤をしながらも、楽しそうに作業をしていた。遅々として進まなかったが・・・。
(かつらを外して(笑))

シャルルとマリー・テレーズは、オスカルの午後からの勉強会に参加していた。そして、同じ年の子どもと遊ぶのが、楽しそうだった。ヴェルサイユ宮殿にいた頃は、好き勝手に遊ぶ事が出来なかった。それはいけません。そのような事を、国王陛下のお子様方がなさっては、いけません・・・。そう言われ続けていたが、ここでは、そのような事も、それ以上の事も出来た。

オスカルは、アンドレとアリエノールに、怪我をしないように遊べ!とだけ言って、そっと見守っていた。アリエノールは、相変わらずマリー・テレーズ相手にも「アリエノールちゃんって呼んでよね!」とくぎを刺していた。

アントワネットとエリザベートは、やはり外は怖いと言って、3階で過ごしている。
時折、ジャルママも参加し、昔ばなしに花を咲かせていた。

しかし、真冬の寒さの中に春の足音が聞こえ始めた頃。ジャルママの食が細くなってきた。オスカルは、ジャルママが好きなもの、少量でも栄養が取れるものを作った。

しかし、その甲斐もなくジャルママは、床に伏せることが多くなってきた。やがて、下に降りてくるのが、億劫になってきたのか、自室で過ごす日が多くなった。

それでもオスカルは、階段がきついのなら、1階にベッドを持ってこよう。みんなで食べよう。その方が楽しいし、昼間も孫たちが寄ってきて元気になるぞ。と提案したが、ジャルママは、首を振った。

しばらくすると、ジャルママは、全く食事を受け付けなくなった。
オスカルは、困惑した。
この様な時、どうしていいのか、士官学校では教えてくれなかった。

そこで、オスカルは、アパルトマンのやはり、初老の両親を抱えている夫人を訊ねた。しかし、期待していた答えは得られない。

アンドレが、ドクターに診てもらった方がいい。と提案した。
ドクターは、ジャルママの脈を取り、身体のあちらこちらを触り、叩き、押してみたりした。

見ているオスカルは、弱っている母をそんなに手荒に扱うな!と言いたい所を、アンドレに両肩を支えられていて、動きが取れないでいた。

ドクターは、しばらくすると、うなずいて、オスカルとアンドレに外に出るよう示した。

ドクターが、言うには、食事がとれないので、身体の水分が減っています。
それで、弱ってきたようです。その悪循環で、食べる体力・気力が無くなっているのです。そう言った。

オスカルは、そのような事が起こるのか?
どうして、少し前までは、あんなに元気だったのに・・・と自分の考えに没頭していた。

その間に、ドクターは、更に・・・それと同時に、かなりのストレスを感じているようです。多分、革命が起きて暮らしが、がらりと変わってしまった為でしょう。
そう言ったのを、オスカルは聞いていなかった。

だが、アンドレは、冷静に聞いていた。それに、それが、オスカルの耳に、届いていないのを知っていた。

オスカルは、そっとジャルママの部屋に入って行った。看護師が出てきて、ドクターは、帰り支度を始める。アンドレが、玄関まで見送ると、ドクターが振り向いて、アンドレに言った。

若奥さまには、今伝えるには、辛いだろうと思い、言わなかったが、お母上は、もう、手の施しようがないようだ。あとは、本人の生きたいと願う気持ちと、体力がどこまで持つかだ。

若奥さまは、きっと、懸命にお母上を看病なさるだろう。
その時、夫である、君がしっかりして、若奥さまを支えなくてはならない。
わかっているね。

そう言うと、ドクターは、馬車の人となった。

アンドレは、考えた。ドクターは、ストレスと言った。
革命の・・・とも言ったが、それ以上に・・・。

アンドレは、ドクターの話の、後半をオスカルが聞いていなくて良かったと思った。

奥さまのストレスは、多分・・・きっと、3階の方々だろう。あの、高貴な方たちが、同じ屋根の下にいる事に、おれは、いつも気を張り詰めている。オスカルも、いつどのように、見つかるか、いつも警戒している。

だが、オスカルは軍人だ。そして、おれは軍人ではないが、軍人であるオスカルと共に行動してきた。それなりの覚悟を持っている。たとえ、子ども達がいるとしても。

その時は、どう行動するのか、お互い話し合った訳ではないが、意思は通じているつもりだ。

だが、奥さまは、たとえ伯爵将軍家の夫人として、夫を戦地に送り出し、その間屋敷の采配をしていらした。そして、戦地に行った夫の武運を祈っていただろう。

しかし、残された娘たち、そして自分自身も、もしかしたら、断頭台に行くなどと言う恐怖を、感じる事などなかったのだ。

きっと、ヴァレンヌの時は、ただ国王陛下御一家を逃すためだけだったのだから、なんとも思わなかっただろう。それに、あの時はオスカルの出産で、全てがおじゃんになった。

それからは、奥さまは、ここで愛娘、3人の孫たちに囲まれて、ご近所のそれなりに裕福な人たちと語り合い穏やかな、日々を過ごすのだと思っていらしたのだろう。

それが、ある日、オスカルが、王室一家をお助けして、3階にかくまった。始めは、奥さまも国王ご一家が、救出された事をお喜びだった。

だが、聡明な奥さまの事だ。翌日の国王陛下のギロチンのデモンストレーション・・・。それが、御自身の事のみならず、何も知らない、幼い3人の孫たち、そして、愛娘、と、ほんの少しは、おれの事も、考えられると居ても立っても居られなかったのだろう。

状況はその日を境に激変した。
オスカルは、最悪の事態を考えていたはずだ。
だが、オスカルの作戦は、その時にならないと、明らかにならない。

それには、おれは慣れていた。慣れていたから、その時が来たら、オスカルの指示に従って行動できるよう、日々を送っていれば良かった。

しかし、奥さまはそれを知らない。それに、立ち向かうなんて事は、お考えにならず、捕まって、即ギロチンとしか、思えなかったのだろう。

おれが、アラスの様子を見て来たわけではないのに、偉そうなことを言って、奥さまをお連れしてしまったのだ。多分・・・今、考えれば、きっと、お袋のことだ、工場が始まっても奥さまのことをないがしろになどしないだろう。

おれは、壁に頭をぶつけたい気がした。しかし、おれは、豆腐の角に頭を打ち付ける勇気しかない。そこで、拳を、思いっ切り石壁に、叩きつけた。しかし、指は、赤く内出血しただけで、おれの気は収まらなかった。

そこに、どういう偶然か、アランがやって来た。おれは、アランが玄関前の石段を上る前に、剣を2本持って来て、1本を投げながら、相手をしてくれ、と言った。オスカルさえも、追い込んだアランだ。おれが、立ち合える相手ではなかった。

ただ、アランに滅多くそにやられたかった。

アランは、何があったかも聞かずに、相手をしてくれた。俺が持って来たのは、真剣だ。しかし、アランは、容赦しなかった。尻もちをつくのは、未だ軽い方、シャツは破れ、むき出しになった腕から、胸から、血が流れた。

流血で、剣を持つ手が滑り出した頃、アランが、もういいだろう。
そう言って、何があった?聞いてきた。それもそうだ、意味もなくこの様な事を、おれがした事など無い。

玄関先の石段に座って、おれは、奥さまの事、オスカルの事を話した。アランは、頷いて、うん、うん、・・・と、黙って聞いてくれた。それが何故か、心地よかった。

おれが粗方話し終わると、今度は、アランが、言い足りなかった所を聞いてきた。

話し終わるとアランは、隊長には会わないで帰る。

それから、表面だけについた、鋭利な傷だから直ぐに治るだろう。顔には、傷を付けないでやったから、隊長には、バレないはずだ。もし良かったら、男の子2人を遊びに連れ出してやろうか?とまで、言ってくれた。

おれは、最近は子ども達が、このアパルトマンから、ほとんど出ていないので、この申し出を、感謝しながら申し受け、ついでに、アリエノールも連れて行ってくれ。と頼んだ。

アランは、渋い顔をしたが、フランソワを肩車して、アリエノールの手をつないで出て行った。アリエノールが、相変わらず、大きくなったらパパのお嫁さんになるの!と叫んでいるのが、聞こえた。

ドクターは、1週間後また往診に来た。
奥さまが、ドクターに声をかけた。
オスカルが、一歩近づいた。

「もう、わたしは、夫の所へと、行くのでしょう?
娘と息子、孫たちに、感謝とお別れを言わなければいけなくなったら、教えてくださいね」
オスカルが、口に手を当て、二歩さがった。

おれが受け止めると、オスカルはおれの胸に、背中を預けると思った。
しかし、オスカルは、おれの手などないように、そのまま奥さまを見ていた。
おれの存在は、オスカルには見えていないし、感じていないようだ。

おれは、仕事を休むわけにもいかなかった。少ない給料でも(まあ、実際は家族6人が、生活できるだけは稼いでいたが・・・。)働いている事をこのアパートメントの住人に見せていなければ、不審がられる。だが、職場にいても、心は自宅に・・・オスカルに飛んで行っている。

仕事に行っている時間、オスカルがどうしているのか知りたくて、おれはマザコンアンドレに、報告するよう頼んだ。但し、オスカルには知られないように、と言うのも忘れなかった。

マザコンアンドレは、自分が大人に見られたのと、大好きな母の側にいられる喜びもあった。しかし、絵画の師匠である、祖母が病気で寝ている・・・それも、自分が風邪をひいた時より、ずっと悪いようだ。と感じていて、苦しさも味わったようだ。

一方の、アリエノールも家の中の緊張した様子から、何かを察した様だ。それでも、ボロボロになって、片手がぐにゅぐにゅになっている、アンジュちゃんを離さず持って、時たま、大声で叫ぶのは、変わりなかった。

そして、2歳になった、フランソワが何も知らず、歩き回ってオスカルの手を焼いている。またそれが、オスカルのストレス解消になる事もあるが、反対にストレスの原因になる事もあるようだ。

だが、それは緊張で張り裂けそうな大人たちに、グランディエ家の外でも、中でも、時が変わりなく流れている事を知るきっかけにもなっていた。

マザコンアンドレに、報告を受けたある日、おれは、このままでは、いくら軍人としての体力があるオスカルでも、参ってしまうと思った。それに、精神的にも苦しいはずだ。これは何か、手を打たなければならない。

そこで、おれは、オスカルに奥さまの世話と家事、3階の人達の世話を両立させるのは、無理だ。家政婦か、看護師を頼んだ方がいい。そう言った。

オスカルは、始めは、自分一人で全て出来ると、きかなかった。しかし、珍しくおれが、しつこく言うものだから、考えた末、家政婦では、三階の方々の事があるので、頼めない。

そうすると、選択肢はひとつとなるな。看護師だ。だが、看護師には、医学的な事を任せるが、精神的な支えは、わたしにしか、出来ない。そう言いつつ、看護師を呼ぶことに、同意した。

翌日から看護師が来てくれた。看護師はオスカルが言うには、思っていたよりずっと、心を込めて世話をしてくれている様で、ホッとしている様だった。仕事とはいえ、ここまで出来るのかと、感心している、と言っている。ジャルママが、眠りから覚めかけると、水を与え、細かく刻んだフルーツを潰して、勧め、献身的なようだ。

それに、看護師は、通いで来るのかと思っていたら、簡易ベッドを持ち込んで、一日中奥さまについていてくれる。おれも、少し安心する事が出来た。オスカルも、ずっと傍についている時間が減って、他の事に専念し、少しは休む事も出来るようだった。

また、マザコンアンドレも緊張しながら、母を見ていたのが、外で遊ぶ時間が出来て、ホッとしてストレス解消になったようだ。アリエノールは、相変わらずだったが・・・。

フランソワも・・・。相変わらずだが、オスカルが相手をする時間が出来て、満足そうだった。

その様な日々がしばらく続いた。奥さまの容態は、おれの目には、悪くもならないが、良くもならないようだ。しかし、オスカルには、そうは見えなかったようだ。おれが帰宅するたびに、オスカルの顔色が冴えなくなっていくのが、奥さまの病状を示していた。

ある日帰宅すると、オスカルが、看護師が時たま、奥さまの手の甲を、そっとつねって、反応があるか、確認している。と心細げに言った。そして、看護師が言うのだ。意識は、有るようだわ・・・。と。

意識があるという事は、その内無くなるのだろうか?オスカルが、おれにすがるように聞いてきた。おれは、何と答えていいのか、分からなかった。

おれが黙っていると、オスカルが、母上はつねられても、首を動かすだけで、『痛い』とも、何の反応もしないんだ。オスカルは、相変わらずおれの胸には飛び込んでこない。

よっぱど、そうしてくれた方が、抱きしめて言葉を濁す事が出来る。
だが、多分、オスカルもそうなる事を知っていて、距離を置いているのだろう。

おれは、医術の知識は無いから、分からない・・・としか、言えなかった。
それでも、食卓は賑やかだった。マザコンアンドレは、少し事情を知っていたので、静かだったが、アリエノールは、相変わらずペチャクチャと話し、フランソワは、手づかみで食べ、服をべちょべちょにして、オスカルは嘆きながらも、世話を焼いていた。

そして、ある夜、看護師がおれの所に来て、奥さまの意識がなくなりました。あとは、時間の問題です。これをどうやって、若奥さまにお知らせしたらいいのか、お知らせしない方がいいのか、迷っています。ご主人さまに、ご相談したくて、お待ちしていました。そう告げた。

そう告げられた、おれも困ってしまった。だが、オスカルは、全てを知っていたいタイプだ。黙っていたら、余計に悲しむだろう。

ずっと、オスカルが、子どもを身ごもり、授乳する間を除いて、オスカルとおれは、子ども達が眠ってから、食卓で酒を酌み交わす時間を持っていた。

黙って見つめ合いポツリポツリと意味のない話をすることもあるし、子どもたちの話し、おれの仕事の話しなど、毎日話題には事欠かない。

その日も、おばあちゃんの何年物になったか分からない梅酒を飲んでいた。

オスカルの方から、おれの異変に気付いた。おれは、その事にホッとした。オスカルの方から、話すきっかけを作ってくれた。まったく、情けない夫だと思った。

話し終わると、オスカルは、グラスに残った梅酒を一気に空けると、『今夜からは、母上の部屋に寝る。おまえは、フランソワの事を頼むぞ』そう言って、階段を駆け上がって行ってしまった。

慌てて、オスカルを追いかけると、毛布を持って、奥さまの部屋に向かっていた。おれに気が付くと、此処に寝る。暖炉の火があるから、大丈夫だ。かなり、強がりを言っているように見えた。

おれも、臨戦態勢に入らねば、そう思った。多分、明日からはオスカルは、奥さまの傍を離れないだろう。だけど、律儀なオスカルの事だ。苦しい思いをして、家事もこなしていくのだろう。

おれは、仕事がどうの・・・。世間体がどうだ。などと言っている場合ではないと決心した。

取りあえず、仕事を辞めないで、休める作戦を練った。
もしそれで、ダメなら、退職して、落ち着いてから、また就活すればいい。

まず、おれは、子どもが3人まとまって、おたふく風邪になった事にしよう。そう考えたが、それでは、短いかもしれない。一人ずつ順番に罹れば、かなり日数が稼げる。一か八かその作戦で行った。

先ずは、長男の第一関門はクリアした。そして、長男のおたふくかぜは、治ったが、長女に移ってしまった。それが完治したと思ったら、次男が罹った。と事務所に伝える事にした。

そして、その後、出社しなかった。

ちなみに、プレシ工務店では、その後アンドレは、無断欠勤扱いになった。そして、プレシ工務店は、21世紀になっても生き残り、社名を『ドジ様工務店』に変えた。アンドレは、無断欠勤として、現在でも記録されている。

おれは、オスカルには、育休を取ったと、告げた。
少し、ホッとした顔をした。その顔を見て、おれも安心した。

すると、しばらく休止するかと思っていた、深夜の飲み会は続く事になった。オスカルは、言葉少なくなり、時間も短くなった。お互い、無言でグラスを開ける時もある。そして、オスカルは奥さまの部屋に消える。

だが、24時間付きっきりでは、強靭な精神を持っているオスカルでも、辛いだろう。こうして、少しの時間でも、物理的に、離れる事がオスカルの心を休める事になるだろう。

だが、オスカルの顔は、強張っており、酒をどんなに飲んでも(まあ、この頃はそんなには、呑まなかったが)酔えないようだ。それに、奥さまの傍にいる事も、辛いようだった。そこの所は、おれには理解できない領域だ。

子ども達も、一層緊迫している家の中の何かを察しているようで、あのアリエノールさえ、大人しくアンジュちゃんと静かにお話ししている。

だが、ただ一人感じていないのは・・・無理もないが、フランソワだ。オスカルが奥さまの部屋に移ってからは、今まで、ベッドのオスカルが寝ていた場所を占領している。

あ~、そう言う言い方は、ちょっと違うかもしれない。オスカルとは、仲良く抱き合って寝ていた。だが、このおれの次男は、お互いに、気分良く寝るという事をまだ、知らないようだ。

おれの腹を、枕にして寝るのは、まだ許そう。
また、反対に、おれの腹に足を乗せるのも、大目に見よう。

だが、おれがオスカルの事を気にしながらも、明日の為に、ようやく寝付いた頃。あんなに小さな足なのに、思いっ切り、顔面蹴りをくれるのだけは、勘弁してほしい。

そして、おれがやっと、静かに眠ろうとすると、手をグーにして、再び顔面パンチが、飛んでくる。どちらも、一晩中何度も飛んでくる。

おれは、何年か前アラスで、オスカルにマスキングテープを貼られたのを思い出した。しかし、この次男では、マスキングテープなど役に立たないだろう。

しかも、あいつは、翌朝、何も覚えていないようで、スッキリと目覚める。
そして、言うのだ。『ママン、どこ?』

この、寝相の悪さは、誰に似たのだ?おれは、悪くはなかったと思う。そうだ!いつも、朝、布団がぶっ飛んで、おばあちゃんに怒られた事は無かった。

では、オスカルか?そうだ!オスカルだ!オスカルが、たとえ寝相が悪くても、誰も咎める事は無い。それに、オスカルが自分で布団を直す事など、ない!

それに、オスカルの寝相が悪くても、侍女たちが、外に漏らす事もない。
だから、おれも知らなかったのだ。

そうか・・・フランソワは、オスカル似だったのか!姿は、マザコンアンドレの方が似ているが、その内、こいつもオスカルに似てくるのかもしれない。

ん?アリエノールのお転婆も、オスカル似だ。おれの、遺伝子は誰が継いだのだろう?おっとっと!そんな事を考えている場合ではないのだ。サッサとフランソワに服を着せて、マザコンアンドレ風に階段の手すりを滑って、キッチンへGOだ。

最近は、3階の方々もこちらの事情がお分かりになって下さったようで、おれの、男の料理でも、召し上がって下さっている。

家事は、最低限の事だけをしている。食べて、片づけて、洗濯して、四角い部屋を丸く掃除して、後は、子どもの世話をして、それだけだ。それだけ、出来れば満点だ。

絶対に、忘れてはいけないのが、オスカルに食べさせる事。オスカルは、自分からは決して、奥さまからは、離れようとしない。だから、放っておくと、今度はオスカルが寝込んでしまう。それに、それでは、おれが子ども達の仮病を使って、仕事を休んでいる意味がなくなってしまう。

だから、おれは、子ども達の食事が終わると、奥さまの部屋に、オスカルと看護師の食事を持って行く。

本来ならば、朝一番にオスカルに会いたいが、もしも、眠れていたらと思い、遠慮している。しかし、毎朝会うオスカルの目は、赤い。ほとんど・・・寝ていないようだ。

午前中、看護師が病院に行って来る。と出かけようとした所を捕まえて、聞いた。オスカルは、眠っているのか?と。
答えは、おれの思っていた通りだった。一晩だけでも、フランソワをベッドから追い出して、オスカルに眠って欲しかった。

看護師は、往復しただけの時間で帰ってきた。

そして、午後から、ドクターがいらっしゃると、言った。おれは、また看護師を捕まえて、何かあったのか、聞いたが、ドクターがいらっしゃる。の一点張りだった。多分、彼女の立場では、病状の様子を断定して伝える事は、出来ないのだろう。

奥さまの部屋を覗くと、オスカルが奥さまの手を握って、見つめていた。オスカルは、握っているが、奥さまの手は反応が無いようだ。オスカルは、度々奥さまの手を己の額に当てて、祈るようにしていた。

おれは、見ているのが辛かった。オスカルの肩に手をかけたが、少し振り向いて、憔悴した顔を見せただけだった。

午後早い時間に、ドクターがいらした。脈を取って、おれには、訳の分からない事をして、オスカルには、意識はないが、穏やかにしている。そう伝え、部屋を後にした。

玄関を出る前、ドクターは振り向いて、若奥さまにはショックだろうから、君だけに言おう。もって、あと2-3日だろう。これからは、午前と午後に診に来る。と言って帰って行った。

そして、朝からドクターが詰めていた日の午後、奥さまは、ジャルパパの元に旅立った。オスカルは、奥さまの手を取ったまま、そっと、奥さまの額に口づけた。

子ども達も、奥さまにお別れをした。
その時もオスカルは、奥さまを見つめていた。
しかし、涙を見せなかった。

そして、おれは、オスカルが、いつ来るか分からない、その時が来て、やっと苦しみから解放されて、ホッとしたような感じがした。

おれも、これでオスカルがゆっくりと眠れると思った。

だが、それからが、もっと大きな苦しみが、襲って来るなど、オスカルも、おれも知らなかった。

  *******************

夕方になると、おれは、何があっても腹が空く子どもたちと、3階の人たちの夕食の買い出しに行こうとした。
奥さまの枕辺に座っているオスカルは、降りてこないだろう。

すると、オスカルが、降りてきた。
いつもの様に背筋をシャンと伸ばして、しっかりした足取りだ。

そして、子ども達にも、3階の方々にも、久し振りにきちんとした料理を作ろう。
ふふふ・・・おまえの料理も、まあまあだが、おまえでは、我が家の食材の量が分かっていないようだ。わたしが行って来る。

そう言って、ガラガラをもって、おれの手から財布をひったくると、出て行った。おれは、そばで、ポカンとしているマザコンアンドレに付いて行け!と言った。彼なら、アリエノールのように、お菓子売り場で、大泣きして、叫びだすような事をしないだろう。

深夜の酒は、今夜はどうしたものかと、思っているとオスカルは、いつも通り座っていた。奥さまのそばに居なくていいのか?聞きたかったが、居たければ、わざわざ出てこないだろう。

マジで、おれはオスカルとどう接していいのか、わからない。おれの両親は、まだ健在だ。従ってオスカルが、今、何を思い、どう行動したいのか、そして、オスカルが、おれに何かして欲しい事があるのか?全く分からないし、想像もできない。

だから、オスカルが行動するのに、行動しやすい様に、なにかを要求してきたら、それに応えられるようにしようと思った。

何か飲むか?おばあちゃんの梅酒は、どうだ?
おれは、懐かしいおばあちゃんの梅酒でも飲めば、落ち着くだろうと思って言った。

が、オスカルは、今夜はブランデーがいい。そう言った。
おれは、棚の方を向いて声をかけたので、振り向いた。

オスカルは、テーブルの上に両手の指を組んで、指先を見つめていた。見つめている・・・と言う表現は、この場合ふさわしくないかもしれない。
オスカルは、何処も見ていない。

おれは、オスカルの目の焦点が合うように、わざとグラスの底が丸くなって自立しないヤツにブランデーを注いだ。が、やはり気が咎めてグラスが落ち着く丸いコースターを出した。

グラスを持って、おれは何処に座るか?また、思案してしまう。細かい事だが、オスカルの思いを考えると、ついつい、考えてしまう。おれの席は、長方形のテーブルの短辺。長い方に子ども2人と、オスカルとまだ世話をしなければならないフランソワが座っている。

だが、今は、オスカルの前に座って、オスカルの目を真っ直ぐに見たかった。

グラスを渡すとオスカルは、香りを立たせるため、ゆっくり回し始めた。目が、ブランデーの動きにつられている。おれは、少しホッとして、飲むことに専念した。

が、気がつくと、オスカルは一口も飲んでいない。それどころか、目線は真っ直ぐではなく、時計でいえば、7時の角度から上がらなかった。そして、ブランデーの動きを漠然と見ている。

だから、グラスの先にあるオスカルの好物のチョコレートは、オスカルの視界には入っていない。それどころか、おれのことも、見えていないのだ。

だが、おれは、オスカルの夫として、また、子どもの頃から、本当の母の様に可愛がってくれた奥さまの為にも、オスカルに聞かなければならない事があった。

オスカルには、つらい事だ。

だが、ジャポンでは、遺体が自宅に帰ると、直ぐに葬儀屋が、あれやこれやと決めようと段取りをして、悲しむ間もないのだ。

こちらでは、身内で決められるのが、いいのだろうが、おれとしては、事務的に進めたい気分でいた。他人なら、そうできただろうが、おれは、オスカルの夫だし、オスカルを心から愛している。それ故に、どうしたら、十分傷ついている、オスカルをこれ以上傷つけないように、気を使ってしまう。

おれが話しだそうとすると、オスカルがグラスを持ってブランデーを飲もうとした。おれは、ホッとした。しかし、飲めなかった。オスカルの顔は8時の位置より上には、上がらなかった。

おれは、オスカルにショットグラスを出そうと立った。
また、オスカルの背後に回る。

気の弱いおれは、そのタイミングで聞いた。
奥さまは、この辺りの共同墓地でいいか?と、
酷く、卑怯だと思ったが、オスカルの前では、言い出せない。

するとオスカルが、今まで聞いた事が無い程、か弱い声で何か言った。
聞こえなかったので、聞き返した。

「アラス・・・アラスの父上の隣に眠らせてやりたい。
1人で行って来るから。子どもたちの事、3階の方々の事、頼む」

オスカルの為に、ブランデーをショットグラスに移し替えていたおれは、その手を止めオスカルを見た。相変わらず、目線は、7時の方向だ。

だが、おれはオスカルの申し出に、オスカルの視線が何処にあろうと、首を縦に振る事は出来ない。絶対、今のオスカルを1人にしてはいけない。
おれにしては、珍しく、それだけは、オスカルの言う事でも、ouiとは、言えない。

では、どうするのか・・・そんな事を考える前に、おれは、ダメだ、独りでは行かせない。5人で行こう。3階の方達のことは、何とか考える。と一気に言った。

すると、やっとオスカルが視線を少し上げた。そして、分かった。と言った。
反対されるかと思っていたおれは、少しだけホッとした。

そのまま、珍しく話もせず、チビリチビリと飲んでいると、オスカルが、奥さまの部屋に戻ると言った。今夜は、母上の側にいたい。おれも付き合う。と言おうと思ったが、独りでいたいとオスカルの背中は、訴えていた。


つづく
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。