オスカルは、横を向いて寝て、アンドレの横顔を眺めていた。
しかし、頭の中は、他の事を考えたかった。

何もない天井を見つめ、集中したかった。
でも、出来ない。腹が重いのだ。
無理をして、仰向けになってみた。
しかし、内臓が腹に押されて、ペッタンコになりそうだったので、諦めた。

そんな訳で、アンドレの横顔を見つめていた。
相変わらず、イイ男だ。
アンドレの顔の、どこが一番好きなのか、考えてみた。
だが、今はその時ではないと、止める事にしたが、想いは止められなかった。

オスカルが、しげしげと、眺めていた顔が、こちらを向いた。
余りにも、うっとりと眺めていたので、焦ってしまった。
しかし、そんな事にはお構いなく、アンドレが心配そうに言った。

「おまえ、そろそろ、じゃなくて、だいぶ前から階段を下りるのが、大儀になって来たのではないか?」

オスカルも、足元が見えないので、毎回慎重に降りていた。
「ああ、上がるのは造作ないが、下りるのはかなり怖いな。
プチの時は、バーの2階にいれば用事は全て片付いた。

アリエノールの時は1階だったから、気にも留めなかった。
が、今は、下に行かなければならない。
庶民の住宅って言うのも、不便な事もあるのだな」

「おれが、朝一回、付き添うだけでは駄目か?
それだったら、安心だ!」

「それならいいのだが、日中もアレコレと用事があって、結構行き来している」
「何が、一番大事な事か?それから、外せない事は何なんだ?」

「う~ん、子ども達の事だな。部屋の掃除を兼ねて、何を持ち込んだかチェックしている」
「持ち込む?別に小遣いをあげている訳じゃないだろう?
どうやって、何を手に入れているんだ?」

「ダメな父親だなぁ!あいつらは、まだ子どもだ。こどもが、親に内緒で作るものと言ったら、『秘密基地』だ。

老夫婦が住んでいる、部屋があるだろう?
あそこは、もう3階には昇らないから、そこに作り出した」

「どうやって、入るんだ?
まさか、『こんにちは。秘密基地に来ました』なんて言うんじゃないよな?」

「ふふふ・・・あそこの前に、大きな樹木があるだろう。あれを昇って、枝を伝わって、入っている。以前、プチが細かい傷だらけになってただろう?木から見事に落っこちたらしい。何も言わなかったけど、見ていた、婦人が言っていた」

「はあ、秘密基地ね。おれ達も、おばあちゃんにチェックされていたのかな?
そのチェックは、子どもが、生まれるまでは、子ども達に任せるのはダメか?
今まで、困るようなものを、持っていた事は無かったのだろう?」

「う~ん、チェックはいいとして、掃除はどうする?子ども部屋だけではない。母上の部屋、廊下、階段、それから、忘れてはならない、風呂にトイレ掃除だ!
それに、洗濯して、それぞれ取り込んで、片づけて・・・。」

「掃除は、おれがやろう。但し、プライベートがあるから、奥さまの部屋は、ご自分でなさっていただこう。廊下と階段もこの際だ、お願いしよう。

洗濯は、奥さまもアラスでしていらした。子ども達の部屋、おれ達の部屋の洗濯物をおれが集めるから、奥さまにお願いしよう」
それでどうだ?かなり負担が減ると思うが・・・。」

「スゴク助かるが、おまえの負担が多すぎる。
ただでさえ、仕事で疲れて帰って来るのに・・・。
そんなに、甘えられない。

それに、これからは、かなり頻繁にマティニヨン通りに、行かなければならない。
なんで、こんなに腹がデカクなったのだ。
プチの時も、アリエノールの時も臨月になるまであまり目立たなかったのに・・・。
今回は、ポンポコリンだ!」(オスカルは、少し後ろめたくなりながら言った。)

「予定は、7月中旬だよな?
確かに、デカイ!
それより、しばらく、これでやってみよう。
生まれて、おまえが動けるようになるまでだ。

1階の掃除、諸々は大丈夫なのだな?
あ!料理は、買い出しは大丈夫なのか?」

「まったく、おまえは良く気が利く亭主だな。
いざとなったら、母上に付いてきてもらう。
これなら安心だろう?」

オスカルは、満面の笑みで、頷いた。
しかし、肝心の考えなければならない懸案を考える事は忘れていなかった。

  *******************

翌朝、オスカルは、これで母上のご自分の部屋の掃除をお願いします。
クイックルワイパーのドライとウエットを、二枚ずつ渡した。
そして、オスカルは、リビングのラグに掃除機をかけ始めた。

大きな音に、ジャルママがクイックルワイパーを持ったまま立ちすくんでいた。
オスカルは、それに気づきもせず、掃除機を動かしていた。

立ちすくんでいる母にようやく気づいたオスカルは、言った。
母上、先に洗濯をしないと乾きませんぞ。
アンドレが洗濯物を入れておいてくれたはずです。

ジャルママは、洗面脱衣室に行った。
今までも見慣れていたけれども、何に使うのか分からなかった四角い白い箱に洗濯物が投げ込んであった。

これを・・・洗面所で洗うのかしら・・・。
それにしては、狭いわね。ジャルママは、またもや立ち尽くした。

アラスでは、未だに、井戸でたらいを使っていた。
だが、都会のパリでは、全自動洗濯機が主流だった。

こうして、ジャルジェ家の新しい生活が、取りあえず始まった。

  *******************

たまには、コーヒーでもいれましょうか?
フェルゼン家のじいが、言った。

いや、妊婦にはカフェインは、あまり良く無いようだ。
アンドレもあまり飲ませてくれない。

アルコールが入っていない、オレンジジュースか、ジンジャーエールにして欲しい。
サラリとオスカルが言った。それを聞くと、フェルゼンは、
「大変だなぁ、
よく耐えていられるな?
私だったら、耐えられない。

それに、一日中その重そうな腹を持ち歩いているんだろう?
たまには、取り外したくなるだろう?」
オスカルは、このような事を言われたのは初めてだった。

言われてみれば、眠る時、取り外しが効けば、寝返りだって簡単にできる。
だが、こちらの機嫌を察したかのように、腹を蹴って来る我が子の可愛さは、何にも代えがたかった。

だが、今ここでその様な、呑気な話をしている場合ではなかった。
オスカルが、確か決行は、6月20日だったよな?と、確かめた。

するとフェルゼンが、何を言っている。といいながら、口を濁した。そして、やはり、何処からの情報か分からないが、正確な事を知っている訳ではなさそうだな。とフェルゼンは、思い安心した。

オスカルは、ジェローデルの情報を恨んだ。どうも、あの情報は、ところどころ、抜けている所があって、完璧ではなかった。何かが起こるとしても、いつなのか、何時頃なのか不明な点が多かった。

だいたい、フェルゼンが亡命を言い出したのも、ミラボー伯爵が亡くなった後、だけで、だから、オスカルも初めにフェルゼンに会いに行く日を、慎重に検討しなければならなかった。

だが、フェルゼンは、未だにオスカルを警戒しているものの、オスカルの助言には、耳を貸していた。そして、オスカルが帰った後、再考してみると、さすが元准将と思われるものばかりだった。

ある夜、オスカルは帰宅するとアンドレに相談した。
「フェルゼンが、逃亡用の車を手配した。
特注だ。完成図面を見せてもらった」
「特注・・・だろうな。国王ご一家がお乗りになるのだからな・・・。」

「それが・・・。
Volvoのリムジン(全長20メートル)なのだ」
「ルノーじゃないのか?フランス製を走らせなければ、目立ってしまう。
それに、リムジンだと?

超高級貴族だって今では手に入らない。
『これから、私たちは逃亡します。どうぞ、捕まえて下さい』って言っているようなものだ。信じられない!」

「だから、ルノーにしろと言ったのだが、VOLVOの方が、石畳の上でも、郊外に出ても乗り心地が良いから、ご一家には相応しい、のだそうだ。

それに、内部には、お子様方用のベッドがあり。陛下がお座りになる、特注の大きなソファーもある。アントワネットさま用は、ゆったりと出来るよう、オットマンが付いて、リクライニング出来るようになっている。

それから・・・アンドレ!驚くなよ!最後部は、食糧庫になっていて、冷蔵庫とミニキッチンまで装備されている」
アンドレは、しばらく、開いた口が塞がらなかった。

ようやくアンドレは、
「内部はともかくとして、その長さの車で、どのルートを通るというのだ?
下手をしたら、曲がり切れないぞ」

「ああ、わたしもその事を、言ったのだが、スウェーデン製のナビを付けてあるから、大丈夫だ!」とさ!

「ガソリン・・・食うな・・・。」
「ああ、途中で給油するポイントも押さえてあるそうだ。
それにまだ、隠している事があるようなのだが、わたしを完全に信用していないので、こちらからも、踏み込んでも、ハッキリとした答えが返ってこない事が多い」

「だが、ジェローデルの話では、ナビはなかった。
いくらフェルゼンが、方向音痴でも、ナビがあれば大丈夫じゃないのか?」

「う~ん、しかし、どう考えても、一抹の不安が残ってしまう。
ジェローデルの話では、馬車が立派過ぎて、怪しまれたため、バレた・・・。という事だった。こちらでも同じだぞ。せめて、・・・。そうだ!老人ホームの送迎バスにでも、すればいいのだ!」

「おいおい!オスカル、それでは、真夜中に走って、余計に目立ってしまうよ」
「だが、元々変装していくのだ。老人に変装すればいい。
出なければ、救急車だな!速度制限、信号無視OKだ!」

「で、助手席には、誰が座るのだ?」
「わたしが座ろうと思ったのだ。それなら、パリの道をくまなく歩いたから、フェルゼンがナビに不案内でも、何とかなる。
だが、アントワネットさまが、お座りになりたいと仰っているらしい」

「え゛・・・アントワネットさまは、奥に豪華な椅子があるのではないか?」
「それが、アントワネットさまにも、何か魂胆があるらしいのだ。
そこの所は、全く教えてくれない。フェルゼンも、知らないようだ。

だから、わたしは、リムジンの前を、オート三輪で、先導しようと思っている。
小回りが利いて、便利だ。
安心しろ、パリを出るまでだ。そこまでなら、おまえも許可してくれるだろう」

「う~ん、オート三輪か・・・。
あ!チョロQじゃダメか?その方が、もっと小回りが利くぞ!」

「ああ、考えたんだが、アレに乗れるまで、縮小版になる修行をしていない。
それに、フェルゼンから見えなくなってしまう」

「そうか、やはりオート三輪か・・・。
え゛・・・無理じゃないか?その腹じゃ。ハンドルにつかえてしまう。
おれが、運転しよう。

ところで、フェルゼンは、運転免許証・・・フランス版か国際免許証を持っているのか?」
「ああ、こちらに居た時に取ったから、国際免許証ではなく、フランスだ」

「ナンバープレートは・・・。
それよりも、お子様方が、宮殿を出られる時間は、まだ、明るいのではないか?夏至は・・・今年はいつなんだ?」

こうして、オスカルとアンドレの夜は更けていった。

つづく


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