7月16日、早朝

アンドレは、憮然とした顔を、いつものように穏やかな顔に戻すのに努力していた。
努力したが、戻らないので、そのままの顔で、厨房へと入って行った。

窓際で、見習いがティカップ、コーヒーカップ、ソーサー、ポットを湯で温めながら、空を見上げて、今朝の茶葉とコーヒー豆の種類を考えていた。
その様子を見て、安心したアンドレは、料理長の処へと向かった。

料理長に用件を伝えると、快く引き受けてくれた。
満足したアンドレが、厨房から消えると、料理長は見習いをそばに呼び寄せた。

そして、一言二言伝えると、見習いの顔が青ざめた。

見習いは、料理長から、今日からオスカルさまと、行動を共にして、適時、コーヒー、紅茶、あるいはショコラを入れて差し上げるよう言われた。ある意味では、ありがたい事だった。

だが、この厨房に居れば、先輩たちの仕事を見て、覚えることが出来る。
しかし、毎日毎日、お茶当番では、料理人として自立するのが遅くなってしまう。
噂では、1年間、アンドレとオスカルさまは、離れていると聞いた。

若い、見習いにとって、1年間はとてつもなく長く感じられた。
どうか、この任務だけは、勘弁してください。と、料理長に頭を下げたが、年配の料理長は、1年なんて直ぐ過ぎる。
それに、次期当主のオスカルさま付きになれば、良いこともあるさ!と、取り合ってくれなかった。

こうして、見習いは、オスカル専属の、お茶当番となった。

一方、オスカルの水分補給、若しくは、脱水症回避策を終えたアンドレは、今度は憮然とした顔の下から、不機嫌な顔が現れたまま、屋敷の中を歩いていた。

オスカルの補佐に、ジェローデルが付いた!
それもこれから、1年間。

幼い頃から長きにわたって、誰にも明け渡した事がなかった、おれの居場所。

昨秋、オスカルが、どうゆう訳か、求婚を拒絶して、もう二度と関わることもないと思っていた。自分の次に、オスカルに近い男。アイツが、これから、毎日毎日、オスカルと勤務をすると言うのか・・・。

でも、オスカルは、おれを選んだ。おれだけを愛していると、言った。しかし、この先1年、月誕生日しか逢えない、おれ達。

それにひきかえ、アイツは毎日、オスカルに会えるのだ。
アイツは、地位や、財産目当てにオスカルに求婚してきてはいない。

アイツなりに、近衛の頃から、オスカルの生き方を知って、想いを寄せて来たのであろう。

おれは、オスカルを信じるしかない。あゝ、オスカルを信じている。だけど、だけど、なんて心許ないのだろうか?!同じ屋根の下に暮らしていると言うのに、目を見交わすことも出来ないなんて・・・。

アンドレは、頰をパンパンパンと、叩いて、頭の中からモヤモヤを追い出そうとした。それを見計らった様に、2階のオスカルの居間のドアが開き、想い人であると同時に、悩みの種の主人が現れた。

こちらは、アンドレの悩みなど、全く知らず、昨夜の楽しい会合の余韻を残して、足取りも軽く、階段を降りてくる。そして、目を合わせられない恋人の前を通りながら、おはよう、アンドレ、今朝の調子はどうだ?・・・と、罪な事を言って、朝食のテーブルに向かった。

アンドレは、またも、首をフリフリ、オスカルの後についてテーブルに向かい、オスカルの為に椅子を引いた。「ありがとう、アンドレ!」嬉しそうな、オスカルの声が聞こえて、漸くアンドレの心も晴れてきた。

ばあやが、いそいそと、しかし、素っ気なく、搾りたてのオレンジジュースを持ってきた。
オスカルは、すかさず、

「ばあや、昨夜はすまなかったな。今夜、時間が取れるかな?
昨夜出来なかった話をしたい」
ばあやが、訝しげにオスカルを見た。
「いーえ、私のことなんか、ほっといて結構ざます」

「そんな事言わずに、話だけでも聞いてくれないか?」
ばあやには、アンドレと同じく頭の上がらないオスカルが、頼み込んだが、
「どーせ、お嬢さまも、アンドレも年寄りのことなんて、関心ないようでございますからね!」
と、言い捨てると、相変わらず、むっつりとしたまま、朝食の準備をしている。

そこへ、ジャルママが口を挟んだ。
「そのお話でしたら、私も聞きたいわ。勿論、私は、賛成しているのですけど。
ねぇ!今まで、恋愛に無関係だった娘の『恋バナ』、聞いてみたいものだわ」
と、言うものだから、オスカルは真っ赤になってしまった。

昨夜、3人の男ども、旧友とも言うが・・・・・、に散々ノロケ話をして、赤面して、からかわれたばかりなのに、今夜また、然も、母親を前にして、話すのかと思うと、楽しく思う反面、恥ずかしさもあった。

アンドレを愛している事は、誰に対しても、誇らしく宣言できる。だけど、その経緯など胸に秘めておきたくもあり、その相手と愛を語り合えない今は、誰かに聞いて欲しくもあった。

などと、オスカルが、赤くなったり、青くなったりしていると、もう1人声をあげた。
「あ~、その件なら、わしも聞きたいものだ!なにせ、わしが、有り金はたいて開いた、花婿選びの舞踏会を、ぶっ壊してまで、選んだオトコのことだからな!」

オスカルが、ギョッとして声の主を見た。
声の主は目が合うと、ニヤリと笑いながら、優雅に紅茶を口にした。
この家の主人、ジャルジェ伯爵将軍こと、ジャルパパである。

オスカルの後ろには、真っ青な顔をしたアンドレが、立っていた。

  *********************

オスカルは、司令官室の椅子に座りながら、今日の軍務がずっと終わらない事を祈った。しかし、その日も、ジェローデルが来て、書類の仕分けをテキパキとして、定時で帰った。すると、それを待っていたかの様に、昨夜の3人が現れ、昨夜と同様作業をキッチリ2時間で、やり遂げた。

そして、言った。
「今日は、心配するな!俺たちは、これからアンドレを誘って、いつもの店に行くのだ。
ははは・・・ずっと耐えてきた、アンドレを労うだけだ!
いじめないから、安心しろ!」
そしてまた、ベルリン馬車に乗って行ってしまった。

ベルリン馬車が、ジャルジェ家の門前に着くと、アンドレが待ち構えていた。馬車の中から手が3本伸びてきて、アンドレの襟を引っ張り、引きずりこむと、馬車は昨夜の店へと、ルンルンしながら走って行った。

その後を追うように、オスカルを乗せた馬車が、ジャルジェ家の玄関に到着した。

のろのろと、オスカルが降りてくる。
整列した、使用人の間も、いつになく足取り重く通り過ぎ、自室へと向かう階段も、のろのろと、上がった。

部屋に入ると、サーベルと銃を腰から外し、寝椅子に、ドサリ!と寝転ぶ。

と、オスカルの侍女、3人が入って来た。
年嵩の、ガトーが、
「オスカルさま、今日はお疲れのようですね。
それに、昨夜は、遅くてお風呂に入れませんでした。

これから、お湯に浸かって、ゆっくりなさってみてはいかがですか?
気分転換にもなりますよ」と、勧めた。

オスカルも、初めは面倒臭そうな顔をしたが、気分転換、と聞いて、渋々入る事に決めた。
湯が、用意されている間、フォンダンが、リラックス効果があるハーブティを淹れて来てくれる。

こちらもまた、渋々飲んだが、気持ちが癒されてくるのが、感じられコクコクと飲み始めた。

浴槽に湯が張られ、浴室へと導かれる。思考がまた、元へと戻っていった。つまり、4者会談・・・父上、母上、ばあや・・・との、ナニである!

侍女たちが、せっせとシャンプーやら、身体を洗ってくれている間も、ボーっと考えていたが、・・・侍女たちが、離れて、1人湯に浸かっていると、4者会談対策が現実味を帯びて来た。

母上は、賛成だ。とおっしゃって下さった。ただ、『恋バナ』なるモノを、ご所望のご様子だ。そんな話は、出来れば、母上と、2人きりの時にして頂きたいが・・・。

父上は、反対はしていらっしゃらない様だが、あのクソ忌々しい、舞踏会の落とし前をつけたいご様子だ。何を話したらいいのか?こちらも、『恋バナ』なのか?

問題は、ばあやだ!こちらは、『恋バナ』ドコロではない!どう攻めれば良いのだろうか?
『昨日の敵は今日の友』って言うではないか!そうか!懐柔策で、行くか?ってどうすれば良いのだ?

オスカルが、一見ぼんやりと、しかし、真剣に考えていたら、ガトーが、そろそろ上がりませんか?のぼせますわよ。と、声をかけてきた。オスカルは、思考を一時中断して湯船から出た。

「ばあやさん対策を、お考えになっていらしたのですか?」
思わぬガトーの言葉にオスカルが、黙ってガトーの顔を見た。そして、

「わたしの考えている事が、分かるのか?」
と、驚きを隠さずに、聞いた。
「ホホホ・・・オスカルさま。私が、何年オスカルさま付きの侍女をしていると、思ってらっしゃるのですか?
難しいことは、分からなくても、オスカルさまの気分は、お察しする事は、できますわ」

「そうか、
では、聞くが、わたしが、アンドレを意識しだしたのは、いつ頃からか、分かるか?」
オスカルは、昨夜の様にからかいの言葉が、ガトーの口からも出てくるかと、身構えたが、ガトーは、いたって真面目に答えた。

「そうですねぇ。やはり、ジェローデルさまが、このお屋敷に出入りなさり始めた頃かしら。あの頃、オスカルさまとアンドレの、距離が今までと違ったものになってきた気がしていましたわ。

あの頃の、オスカルさまの、口癖、ご存知ですか?」

「え゛!わたしが、何か言っていたか?」
「ええ、ええ。毎朝、お目覚めになると、『アンドレは、どうしている?』と、お聞きになられて、晩餐を終えて、お部屋にお戻りになるとまた、『アンドレは、どうしている?』でしたわ。

ですから、私どもは、アンドレが、何をしているのかも把握していなければ、なりませんでしたわ。

でも、使用人仲間として、アンドレを想うオスカルさまの気持ちが、嬉しくもありました。」

そうだったのか・・・自分でも気が付かないうちに、わたしの心は、あの頃からアンドレを求めていたのか。・・・使用人仲間・・・か、やはり、アンドレは使用人で、わたしは主人なのか。・・・と、オスカルは、また、己の世界に入ってしまった。

その間にも、3人の侍女は、テキパキとオスカルの濡れた身体を拭き、ガウンを羽織らせた。

オスカルは、促されるまま、鏡の前に座らせられる。
顔と髪の手入れをしながら、ガトーが、そっと告げた。

「ばあやさんの事ですけれど、・・・真っ正面から向き合われた方が、よろしいと私は思いますわ。」
オスカルが、驚いてガトーを見た。
そして、目顔で、先を続けるよう促した。

「ばあやさんは、頑固です。
それでなくても、アンドレに、分をわきまえる様に、幼い頃からずっと、言ってこられました。

その年月を考えたら、今夜一晩では、分かっていただくのは、無理だと思います。オスカルさまとアンドレには、これから、1年間という月日が与えられています。

1年かけて、理解して頂くくらいの気持ちで、いらした方が、宜しいかと存じます」

ガトーの言葉を聞いて、オスカルは、再び、己の思考に入り込んでいった。

ふむ。持久戦か・・・わたしが最も苦手とする、戦法だな。
もう少し、どうにかならないものだろうか?

あゝ!焦れったい!なんだって、ばあやは、孫息子の幸せを喜んでやろうと、思わないのだ?だいたい、わたし達は幼い頃からずっと一緒だった。あの、出会った時から、こうなる運命だったのだ!

そうだ!ばあやが、アンドレを引き取ったから、わたし達の運命は、ばあやが決めたも同然なのだ!

オスカルが、あらぬ方へと、思考を巡らせている間に、顔、髪、腕のお手入れが、終わった。まだ、真剣に考え込んでいる女主人を、侍女達は、慣れた仕草で、今度は衣装部屋へと誘った。

オスカルは、されるがままに、脚を上げ、手を伸ばししている間に、ブラウス、キュロット、サッシュベルトが身に付けられ、一歩前に出ると、靴を履き、完璧に仕上がった。

オスカルのプライベートな居間に、移動すると、侍女のフォンダンが、ヒンヤリとしたアペリティフをテーブルに置いた。
いつもの事なので、オスカルは、無意識に飲む。

そこで、思考回路が急発進し始めた。
酔った勢いで、ブチまけたら、どうだろうか・・・?
しかし、急発進した思考回路は急停止した。

ダメだ、わたしが、酔うにはかなり呑まなければならない!それに、今まで、酔った勢いで、胸の内を明かした事はない。もちろん!酔っていたからと言って、発言した事を忘れた事もない!

酒に強い、というのも、不便なものだな!

アペリティフに、あまり手をつけず、オスカルの癖である、髪の束を指先に取って、クルクルともてあそび、せっかく侍女達が、きれいに整えたカールを台無しにしていた。普段と様子の違うオスカルを心配して、ガトーが、声をかけた。

「オスカルさま。あまり考え過ぎては、いけませんわ。ありのままでいらっしゃるのが、一番だと思いますわ」

思考の海の奥深くに潜っていた、オスカルが、浮上してきた。
「ありのまま・・・か・・・?」

「そうです。オスカルさま・・・・・・きゃ~!オスカルさま!申し訳ありません!私としたことが!今日という日に、なんて言う事を!」

オスカルは、キョトンとガトーを見た。
ガトーは、慌てふためいて、部屋を出て行こうとするフォンダンを、止めた。

「どうしたのだ、ガトー?不都合など何もないぞ」
するとガトーは、
「申し訳ありません。そのブラウスの色は、今夜の4者会談にふさわしくありませんでした」

更に、不思議な顔をしてオスカルが、
「ん?水色だが・・・ブルー系は、わたしの瞳を美しく見せてくれる。と、アンドレが言っていたが・・・」
「ア・・・・アンドレには、ブルー系はグッドチョイスなのですが、・・・今夜は、『恋する乙女』を演出しなくてはなりません。

フォンダン。クローゼットから、ローズピンク系と淡いピンク系のブラウスを、持ってきてちょうだい!」

「ちょっと、待て!」
オスカルが、慌てて止めた。
「それらのブラウスは、ばあやが誂えたものだが、乙女チック過ぎて、恥ずかしくて着たことがないのだぞ!」

そうこう言っている間に、フォンダンが数枚のブラウスを抱えて、戻って来た。

ガトーは、2-3枚を受け取ると、オスカルにあててみた。そして、頷いた。

「やはり、今日は、これらのどれかですわ!」
フォンダンも、オスカルの前に、姿見を移動してきた。

「似合わないぞ」と、言いながら、渋々オスカルは、鏡を覗いた。

目が、見開かれた。
吸い寄せられるように、ブラウスをあてたまま、姿見の前に近寄った。

今まで、知らなかった、自分が映っていた。
ガトーも、ここまで似合うと思っていなかったようで、両方の手のひらを、頰に当てていた。

こうして、新しい勝負服となったカラーのブラウスを着て、オスカルは、戦闘会場へと向かっていった。
つづく

スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。